文章とショートコンテンツの話
noteを始めた理由は、以下の通りです。
(書いていくうちにTwitterとの比較みたいになってしまった)
・知らない人の文章が読みたい
できればそこそこボリュームがあって、起承転結はなくてもよくて、その人なりのロジックと根拠があるもの。
Twitterでたくさんリツイートされるような、少ない文字数でしっかり密度を持ったキャッチコピーに近いテキストを読むのもいいのだけど。
インスタントであるが故に、消費スピードの速さに辟易としたのです。
咀嚼反芻して、食道を通って消化して吸収していけるような、そんな文章が読みたかったことが1つ目の理由です。
・自分も文章を書きたい
Twitterでは許容文字数が少ないので、冗長になりがちな自分にとっては制限内に収められない。
収めようとして文章を練っているうちに、なんだかカッコつけたようなものになってしまうのも恥ずかしいし、そこまでして練り上げたものを投稿するのも違和感ありありに感じてしまってだめだった。
できる限り随筆で良いと思える、色々な意味でそこそこのテキストの捌け口を探した、ということが2つ目の理由です。
・読み手を意識したくない
顔や人となりを知っている人がフォロワーにいると、だめなんですよね。照れ臭くなっちゃって。
誰も知らない土地に行きたかったのです。
TwitterやYouTubeのショート動画に顕著ですが、近頃では本当に、いかにミニマムなコンテンツで人の心を動かすかということが重視されているように感じます。
特にミニマム化されているのは、コンテンツ自体を消化する時間や、摂取するまでに必要な手間などについてであり、主に消費者側に配慮されている印象です。
供給側はある程度あの手この手を使うでしょうから、制作に関するところは個人によりバラつきそうです。
便利なツールなどにより制作を始めることのハードルは下がっていると思っています。それ自体はいいこと。
視覚的に刺激的なもの、早口で情報を詰め込んだものが多いなーと思うんです。
そんなに現代人忙しいかな?
何に時間をかけるかは人それぞれだけども。
もちろん端的に情報を取り込みたい時もあるけど、比較的無機質的なところはそれでいいんです。
個人的には。
感情に関わるところは、あまり簡略化したくない。
なんかもったいないなって思うんです。
先に書いたようなショートコンテンツは、一瞬爆発的に流行ることはあっても、とんでもない速さで消費されて、一瞬で味わい尽くされてしまう。その頃にはまた次の新しいものが生まれている。
そうして消費者の心には、何が残るんだろう。
一生忘れられない、心に留めて生涯ともにしたくなるような言葉や経験が、そこから生まれるのだろうか。
(わたしが経験していないだけかもしれません、悪しからず)
そんなことを考えると、咀嚼や吸収に時間をかけてでも、何かしら栄養を取り込めるようなものを五感で感じていたいと思ってしまうんです。
少し前に「本は紙で読みたい理由を感情論抜きで説明できるか」に友人と挑戦したことがありました。
今思うと、文化がインスタントに消費され続けている現状に対するアンチテーゼ的なところが理由の一つとしてあるかもしれません。
こういうとかっこいいけど、つまりただの天邪鬼です。
紙の本を買う理由、CDを買う理由はまた今度にします。
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