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海外で見かける日本語

日本で暮らしていると当たり前にのように街に溢れる日本語を、日本から少し離れるだけで全く見なくなる。それでも韓国や台湾などの近い国では日本語の表記も多いのかもしれないが、ヨーロッパまでくると日本語を見かけることはほとんどない。

そんな環境に住んでいるので、普段だったら気にも留めないような表記も、日本語があるだけで雑多とした風景からそこだけポップアップされて目に飛び込んでくる。よくあるのは謎の日本語Tシャツを来た人々だが、「東京」「富士山」のような典型的なものはまだしも、「原料」「極上」などと書かれたTシャツを見かけるとどういう意味なのか、どこで手に入れたのかなど気になってまじまじと見てしまう。

もちろん日本語の意味を考えて着ているわけではないので、書体がかっこいいとかなのだろう。逆のシチュエーションを考えると、日本人が着ている英語のTシャツが意味不明なのと同じ。私はそれが嫌で英語の書かれた服は一切持っていないが、自分が全く読めないドイツ語がプリントされたTシャツ(字体がかっこよかった)を着ていると、ドイツ語が読める友達から「動物の王国」って書いていると言われて恥ずかしい気持ちになった。

海外で見かける日本語は何だか居心地が悪そうだ。日本語であることでは変わりないのに、その文脈から切り離されて置かれているせいか、使われている字体が日本で見ないものだからか(表現しにくいがなんかおかしい)、理由はよくわからない。

Tシャツはまだデザインの一部であるのでよいが、何か意味を伝える役目を担っている日本語の場合は、特に違和感を感じる。大体の場合はやはり日本語がどこかちょっとおかしいからである。

ハンガリーの隣国、スロバキアの首都・ブラジスラヴァに行ったときに、観光地であるデヴィーン城の周りのモラヴァ川沿いに歩いていると、一つのゴミ箱を発見した。そこには色んな国の言葉で「ゴミ(箱)」と翻訳され、ご丁寧に日本語表記まで書かれていた。

英語だとTrash、あとはドイツ語、オランダ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ハンガリー語などなどヨーロッパ諸国をはじめとした各国の言葉でゴミの表現がされているわけなのだが、どういうわけか日本語訳が『無駄』。

私は翻訳家でないので、これが間違いかどうかわからないのだが、直感的には誤訳であろう。しかし完全に外している訳でもない。確かにゴミは無駄だから無駄と訳してよいのだろうか、しかし無駄だからと言って必ずしもゴミになる訳でもないしな…などと色々考えてしまう。

意味が伝わればいいので、そういう意味ではこの日本語はちゃんと役割を果たしていると言えるだろう。しかしながら、「ほんとはちょっと違うんだけどな〜」というような顔持ちで置かれた日本語を見つけるのは、私のちょっとした楽しみである。