見出し画像

利休にまつわるすごく好きなお話

どうして大雪の中出かけて行ったのか
昔、恩師が語ってくれたこと。千利休のこんな逸話。
ある豪雪の日、師匠との稽古があったけれど外出もはばかられるような天候。それでも利休は雪の中を稽古に出向きます。すると師匠も同じように、雪の中で利休を待っていました。
利休は用意していた香炉をだまって袂から取り出し師匠に渡すと、師匠も利休のために用意していた香炉を同じようにだまって渡した。

互いに余白があるという奇跡
至高ですね。この話で何に心が動くかと言えば、おそらく仮に師匠が待っていなくても、あるいは利休がこなかったとしても、互いに落胆するとか相手に腹を立てるとかなかっただろうなと感じさせる点。互いの気持ちに迷いがなく同時にしなやかである点です。
城壁や遺跡にみられるような石と石の積み重ねに紙一枚入らないようなピッタリ感。約束(ルール)だから行くのではなく、メリットデメリット(褒められる・嫌われる)でもなく、目標達成意欲(稽古して成長したい)でもなく、ただ、「稽古の日」だから行く。それが「互いに」そうである奇跡に心動いたのかもしれません。
時間や自分の使い方について余白を持っている人同士の一期一会。
うろ覚えのこのエピソードを茶の湯や利休の本で随分探したのですけれど、なかなか見つけられずにいました。

こちらの本で出典は『不白筆記』(利休の弟子の系譜にある江戸時代初期の人の記録)であると知りました。

香清話―香に聞く、香を聞く

響き合う、ということ
私の記憶とは少し異なるニュアンスと続きがありました。
まず待っていたのは利休の方で、お出ましになったのは師匠ではなく
香道 志野流の宗匠でした。
(おそらく志野流創始者から3代目4代目あたりの宗匠かと思われます)
香炉を互いにお渡しすることは同じ。
その後、茶室に入ると利休が宗匠から渡された香炉を床に置く(飾るニュアンス)。するとあとから入ってきた宗匠がささっと、(自分が利休に先ほど渡した)自分の香炉を床からおろし、利休の香炉(先ほど利休から手渡されたもの)を床に置きなおした。

寒い雪の日なので香炉を用意することは指先の暖めるというお相手への気遣いであり、当時からその家々でコレクションが異なる貴重な香木は最上のおもてなしだったといえます。
互いにそれを用意できていたことと、実にさりげなくきっと相手を恐縮させない見事な所作で、さっと香炉を置き換え相手を敬う、その気持ちとスマートな行動。
それにふさわしい相手。
やはり互いにスマートな響き合いなんですよね。

エレガントな尊重
こういうことをエレガントと私は言いたい。
サロンのテーマである秀麗凛華に通じる4つの大切なエレメンツ。
「ときめく会話」「穏やかな風」「目から鱗の大刺激」「エレガントな尊重」。

目指す姿。
自分を鍛錬していたら、きっと同じように研ぎ澄まされた感覚の持ち主との一期一会を分かち合えるはず。

#note100日
#コルクラボ
#adams

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?