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散文52

オレンジのペンで優れた詩集が書かれたというのは、
過去の話。

遠い街の記憶で、皆が寝静まった後、
明かりの消えた夏のキッチンでは夜の雫が零れ落ちていた。
夜の空気に、青緑色した膜がどんよりとまとわりついて、
ワクワクとした気分に触れては離れていく。

花火、綺麗だったと思うのと、同級生の普段着を見れたことが
祭りの収穫で、空から降りかかるように巨大すぎる火花がほとばしっていたし、あの子の佇まいが目から離れない理由が、なんとなく見えたような気がしていた。夜は、長いけれど、まだ寝たくないと思っていたのだ。

「楽しい詩を書くのが第一です」
と言った国語の先生がいた。わたしは、それが嘘だとわかっていたし、それが優れた詩を書くことには繋がらないこともわかっていた。逆に、孤独といった状態や感情、何らかの満たされなさが、詩として発散されていくことも、それが優れた詩を書くことに繋がらないと知っていた。

大半の大人が、どうでもよいと思うようなことを話し、わたしが思いつくようなことすら思いつかない街の中では、わたしはいつまでも、土のついた人形で遊ぶことを強いられている。

オレンジのペンを買ったのは、池袋かどこかの文具店だった。
夜、眠れないから、朝まで開いているマックの中で夜通し、何かを書いた。その散文が、東京の街の中で消費されていけばいいのに、と思う頃にはわたしは詩というものの全てをあきらめていたのかもしれない。

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