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わかちあうこと、食事の愉しさ。家族の食卓が辛かった〜ちいかわを見て。

ちいかわにハマっています。
毎回更新のたびに私にはいろんな気づきががありますが、そのひとつが食事です。

注意・ちいかわ目当てで楽しい話を期待した方へ、ごめんなさい。辛い記憶の話が含まれます。


家族の食卓がただただ辛かった

私は幼少期から父親から暴力を振るわれ、ことあるごとに理不尽で一方的な暴言を投げつけられ、大変辛い環境で育ちました(もちろん自分の選択ではありません)。不機嫌さを全く隠さない父親はさながら暴力モンスターで、何か少しでも思い通りにならなかったり気に入らない事があると家族や物に当たり散らかすDV野郎でした。物心ついた時から父親と共に過ごす時間は苦痛でしかなく、そのうち最も重かったのが毎日の食事でした。

機嫌が悪くなると家族全員揃って食事中にもかかわらず、箸や食器をテーブルに叩きつけて「まずい!」と叫んでカップラーメンを作って一人だけ啜り出したりするような人間で、それはもう嫌で嫌で仕方がありませんでした。口に合わなかったからってそんな態度を取らなくてもいいのに。わざわざ見せつけるかの様にその場を嫌な空気で支配した行為はDVであり心理的虐待に他ありません。

くちゃくちゃくちゃくちゃ音を立てて食べる姿もそれは醜いもので、ただただ嫌悪の対象でしかなく、テーブルの定位置が私の向かいにDV野郎がいる事が毎回食事の空気を重くしていました。見たくなくても目に入るところに暴力モンスターがいた。

そんな背景もあり、実家にいた頃は家族の食卓というものが辛くて辛くて本当に嫌でした。

実家を出て気づいたこと

紆余曲折あったものの、進学で晴れて実家を出る事ができました。
貧乏一人暮らしでも、日当たりのない狭くじめじめした部屋でも、ただただ同じ屋根の下に暴力を振るう奴がいないというだけで自由を感じました。

それから学校で友人もでき、食事を共にする機会が増えてきました。

ふとある時気づいたのです<他人と食事をすることは楽しいことなんだ><食べる時に殴られたり暴言を浴びる事を怖がる必要なんて全くないんだ>と。気が合う友人と食べながら過ごす時間、それはとても楽しく、大切なひとときでした。実家から飛び出せて本当によかった。

わかちあうちいかわの世界

ここでちいかわの話に。ちいかわを見ていて気づいた印象的なことのひとつに、ちいかわ、ハチワレ、うさぎの3人は食べ物をともだち同士でわかちあっている点があります。

お寿司を作ってあげたり、湧きドコロを見つけたらともだち
共有したり、ともだちと一緒に食べるためにすき焼き懸賞に応募したり、差し入れしたり、、、、ちいかわの世界では食べることや食べ物を通じてつながっている喜びや友情がたくさんあります。食べ物の自体の描写もとても表現豊かで、それはもうおいしそうに食べる姿(特にうさぎ)は見ていてこちらまで楽しくなるものです。

DVが壊すものは大きい

私にとって、大変不幸にも実の家族と囲む食卓はただひたすらに苦痛で重い時間でした。実家を離れてようやくその呪縛から解き放たれ、食事中は暴力に怯える必要はないこと、食べることや食事中の会話とは純粋に楽しめるものなのだと知りました。

なんと歪んだ環境だったことでしょう。

世の中そんな家庭・家族ばかりではないと頭ではわかっていても、自分の家族原体験というものはとても重苦しく、その後の人生にもずっしりとのしかかってくるもので、頭ではわかっていても自分が辛かった事からはいまだ逃れられていません。

家庭内暴力、心理的虐待、絶対だめです。

物心ついた時から日常的におびえていた私は見事に心が壊れ、結果、精神障害者になりました。服薬は一生せねばならず、完治がない障害を抱え、いまでも日々苦しみもがいています。

ただ暴力におびえないで済む環境で生まれたかった。

今では心を許せる知人や友人との食事が楽しいと思えるようになった自分ですが、いまだに暴力モンスター(父)の事は許せていませんし、どんな言い訳があろうと許すつもりもありません。

わかちあえる人がいるということ

食べ物を通じて同じ空間で楽しいひとときを共有できる人がいるということは、とても恵まれた幸せな事です。

ちいかわを見て改めて深く実感しました。


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