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口調に困る

口調に困っているのはnote上でのことです。

「口調」と書いているのは、話し言葉を書いているつもりだからです。

とは言っても、「である、だ」で終わったり、「です、ます」になったりとマチマチです。

統一感がないので後で読み返した時に読みづらいのはそのせいかもしれません。

この原因は「誰に向かって文章を書いているか?」がハッキリしていないからだと思っています。

日記という体ですが、読書感想などはある程度誰かに読んでもらう(自分も含めて)ことを踏まえているのでどうしても説明口調というか、誰かに対して分かるように書いているつもりです。

日記はとても私的なことで、自分で分かればいいものです。多分ここに問題があります。自分が分かればという前提が難しく、未来の自分に読み解けるかは全く分かりません。そのため、日記と言っても、自分に読み解けるように分かりやすくかいたつもりのものと、本当にどうでもいいラフに書いたものが混在してて読みづらいのではないかと思います。

それに加えて、どこか堅苦しくスマートに済ませたいのか、だ・である調や登場回数は少ないものの、どこかハッピーなイメージで「!」をつけたりするものもあります。後者は自分でもこういう文章を書いていると意識しつつも、「自分のイメージとは合わないよな」と思いながら書いています。すごいポジティブ人間になりたいのなら、ハッピーなキャピキャピしたイメージの文章を書き続ければ成れるのかもしれませんが。

全体で見た統一感が薄いということは、「あれ?この人ってこんな文体だったっけ?」と読んでいる人には分かりづらいのかなと。自分も読み返してみて「猫被ってるな」とか思うこともあります。

個人的には統一感が薄いからこそ当時の心境が分かりやすいと思っています。落ち着いて文章書いているなとか、猫を被ってる時には空元気かな?とかです。単に良いことあったのかな?など。

ここまで書いてみて、統一感の薄さに問題を感じていて、読んでくれる人には不快感がある(と思っている)。自分には感情の機微が分かる、といった考えがあります。

結局は最初に書いた「誰に向かって書いているのか?」が重要です。自分から口調に困ると悩んでいるのだから、自分よりも読み手を意識していることの表れだと思っています。

どちらかに統一する(むしろ統一しないと決める)のがスマートだと自分も思っています。自分も説明対象に含むと考えると、やはり「誰か」に向けた文章を書くのが丸い答えだと思っています。

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