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年末年始の振り返り

年末年始は再読をしたいと思って、3冊の本を読んだ。加えて、積読になっていた2冊も読み終えた。

再読したいと思った本は、私にとってじっくり考えていきたい本であり、それらの本を体系的に理解したいと思っていた。私にはどうもそれを一度でそれなりに形にしたいと思う欲がある。

年が明けてから昨日まで、あーだこうだと持論を書いてきた。

持論と言いつつも自分が忘れているだけで借り物の知識という可能性もある。

方法論は検索すればいくらでも出てくるし、大体自分で考えたと思っている方法論は既に存在している考え方の劣化版だったりする。

「もっといい方法がある!」と言われても、それが自分に馴染むかは分からないし、慣れ親しんだ方法があるので「本当に?」と疑ってかかることが多い。

これが自分が尊敬している人だったり、お手本にしている人から言われたらまた違うのかもしれないが、自分の良心に悪い意味で触れたり、まったく馴染のない方法を勧められると断固拒否する傾向が自分にはある。

ある程度の年齢になると考えは変わらないと聞くが、他者から変えるのは難しいのであって、自分からなら変えられるのではないかと思う。

たとえ結論として、同じ考えにたどり着いたとしても、自らなら変えられるのではないかと。

先に書いた、本の内容を理解する方法もある程度形はあったものの、自分で変えた。マインドマップ的な方法は本の知識から取り入れたが、読んだ当初は「やってみたいなぁ〜」で終わっていた。

これまでのやり方をアップデートするために当初考えていた方法だと時間もかかるし、肩も凝るし、モチベーションを吸われる、と個人的には持続しないと分かり、そこで別の方法は?と考えた所で白羽の矢が立った。というか、代案がそれ以外に思いつかなかったという面が大きい。

こうやって書いてみると、「自分で変える」と一口に言っても、何か問題が発生しないと動けないのかもしれない。これもあるあるだが、よく言われていることに辿り着いていることを認識することも大切だと思う。言葉の意味を知っていても、「私にはそんな経験はない」と断ち切るのではなく、自分の経験で考えるとこれというものがあったほうがいいのではないだろうか。

言葉の意味を自分事で捉え直すことも大切だが、話がズレてきたので戻す。自分の考えが変わり、既存の方法の劣化版だろうと持続性があればいいのではないだろうか。

持続性が無ければ、どこかのタイミングでそれは終わってしまう。そのタイミングは自分がそれをやっていることに耐えきれなくなるタイミングだと思っている。それならば、例え劣化版だとしても、自分の中で納得しながら変えてきたやり方のほうがいいのではないだろうか。自分が変わったかどうかを認識した上でやっているかは分からない。しかし、事を運んでいる感覚としては従来のやり方の延長線上にあるので比較的「いつも通り」と思って取り組めるのではないだろうか。

この変化の舵を切るためのきっかけが外部に誘導されていたら?と考えると「騙された…」と思うかもしれないが、そこまで考えるのは難しいように思う。もちろん考えられた方がいいとは思うが。


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