見出し画像

今日もお休み -安心したい-

相変わらずの体調。私の風邪?が家族にも移った。丁度、病院に行く機会があったようで、インフルエンザと診断されたようだ。ということは、私もインフルエンザだったのだろう。しかし、インフルは熱が上がるイメージがある。インフルにはAとBの2タイプ(もっとあるのかもしれないが)があることは知っていて、Aは高熱、Bはそうでもないくらいで認知している。とは言え、Bでもそれなりに寒気がして辛いという印象がある。

私はそんな症状ではなかったので、違うと思っていたが医者から聞いた話によると、そうでも無さそうだ。体調で病名を判断するのは難しい。

今はたまに出てくる滲むような汗で肌寒い。この汗が熱が出ている時のものと似ていて嫌な感じがする。かといって、どうすることもできないのだが。それに相変わらず、頭が少しぼーっとする。ちょくちょく行動が抜ける。まだ、本調子ではない。

このぼーっとするのがコロナの後遺症なのでは?と思いたくなるが、私もインフルだったのかはもう闇の中で分からない。

以前、精神的に弱っていた時に本で読んだことを思い出した。それは「うつ病として診断されたい」というものだ。自分のよくわからない状態に対して病名をつけてもらうことで「あ、私は病気なんだ、仕方ない」と納得して安心したいという。よくわからないものに対して何かと理由をつけて安心したがる。気持ちとしては理解できるし、仕事で休む上でもそこには何かしらの「理由」が必要だ。人間は何かと理由をつけて安心したがる。

仕事で「分からないことがあったら聞く」というのは常識としてあるが、そこには理由を聞いて納得した(安心した)上で行動する意味があると思う。それに何か問題が発生したとしても会話の糸口となるものとしても「理由」があげられる。「聞いたようにやった」「マニュアルどおりにやった」。おそらく会話はこういった所から始まる。それは、相手との相互理解が取れているもので、かつ納得した行動をした。だから私は間違っていないと安心した上で話す。

理由をつけるのは自分が安心するためにあるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?