社会人二年目OLの年始営業

 9連休が明けた。

幸せな毎日だった。

朝は起きず毎晩のみに出歩き、まるで大学生の頃に戻ったかのように遊びまわった。

ある日は、ふらふらと京都の町に出かけ飲み歩き、始発が動き始めて少したってから電車に乗り込み、夕方まで眠り、またある日は梅田へと繰り出して友人と翌日の夕方まで遊びまわった。

しかし、忘れてはいけないのは私はあくまでサラリーマンだということ。

つまりは、始まってしまった連休は必ず終わりを告げてまた評価だとか数字だとか顧客満足度だとかいうまじめな世界に身を投じなければならないということである。

 社会人と呼ばれる人種になってから1年数か月、営業マンという職種についてから1年ちょっとがようやく経過しなんとなく社会人という生き物の生きづらさが身に染みてきた。

 私が勤める会社の社風はかなり自由で、上長も超がつくほどに優しい。

 社会不適合者だといわれながら生きてきた私をいつも温かい目で見ながらやりたいようにとのびのびとさせてもらえるし、服装もかなり自由でほとんど私服と同じものを着ているし、髪色もほとんど金色のような髪色でも周りから何かを言われたことは一度もない。

営業の数字も追うように言われてはいるがさほど達成が困難な数字ではないし、のびのびとゆったりとした営業スタイルで長期的な収益を目指すことが目的である。いわば、ルート営業に近い営業部署だと思う。たぶん。

 不満を上げるとするならば、私たちの部署が他部署の「尻ぬぐい部署」と呼ばれていることだろうか。

 私たちは新規開拓はほとんどおこなわない。既存の顧客に対して、最近どうですか、とご機嫌伺いをしながら長期的に商品を使ってもらうのが目的である。さらに、ご機嫌伺いをしながらしれっと商材を紹介しながらさらに商品を購入してもらうことが目的である。

 やりがいがある仕事かと言われればおそらくNOであるし、新規開拓部署が何かをやらかした際には頭を下げながらリカバリを行うのも私たちの仕事らしく、ある程度の失敗に対してはフォローの仕方が最近は板についてきた。

 もちろん、私たちがもしも何か失敗をすれば新規開拓の営業マンたちが何とかしてくれるが必ず、そこまで暇じゃないんだから自分で何とかしてね、の一言付きである。この瞬間がかなりストレスがかかる。

 ついでに、私たちが商材を紹介をして食いついたと思うと、気づけば新規開拓チームに契約書をまかれているなんてこともあるあるな話で。おもわず上長へ、鴨が葱しょってきたようなものですね、大変あちら側へ都合の良いやり口だこと、といって大変困らせたこともある。今もいまだ納得できていない状態で働いているのだからやりきれない。

 しかし、甘やかされてぬるま湯につかり続けている限りは何も言えないのだから、ただただこの緩やかな地獄で楽しくのほほんと社会について少しずつ酸いところ甘いところも味わいながら成長することもなく死んでいくのだなぁ、と一種のあきらめを感じてすらいる。

 転職どきが来ているのかもしれない。

 残念ながら、私は新卒入社して会社をほんの2か月で退職し今の会社へと転がり込んだ。そのため、転職回数はすでに1付いてしまっている。

 6か月以上の勤務実績がなければ履歴書へは書かなくてもよいが残念ながらアルバイトとして働いていた期間を合わせるとちょうど6か月間働いていたことになるため履歴書への記入は必須なのだ。

転職への抵抗は全くないが、風当たりが強いとは感じる。なかなか書類が通過しない。というよりも、今現状立たされた場所から新しいことをしていくにおいて希望条件が全く擦りあわない。

 私はもともと社会不適合と呼ばれるくらいに自由な生き方をしてきたゆえに卒業文集では担任教師から我が道を行く人、とかかられてしまったくらいだ。しかし、起業をするにも器量がない。残念ながら、人望がないために何かを始めようにも仲間はいない。自由な働き方が自分にとってどこかの企業や集団に依存したうえで成り立っているのだとひしひしと感じる。

 髪型は自由がいい、声が通りやすい社風がいい、すぐにいろんなことが反映されるような少数精鋭で、だれかとけんかしながらでもサービスやモノづくりをより良いものへとしながら会社を大きくしていけるような環境……。

 起業でもするかぁ。そんで週に6回のみに行くことを社訓に書こう。

 飲みにケーション、万歳。

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