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ブータン 「幸福の国」の実像

ブータンについてこのような風説が広まっている。

ブータンはかつて世界一幸福な国だったが、ネットなどを通して外の情報が入るようになってから幸福度が下がってしまった。

ツイッターなどで定期的に誰かが呟いてはバズっている。
この俗説はある程度は正しいが、ブータンの実情のほんの一部しか捉えられておらず、不正確である。

なぜならブータンは海外の情報が入ってくる前から貧しく、大して幸福なわけでもなかったからだ。

「幸福の国ブータン」とは、ブータン政府が先進国の観光客を呼ぶためのキャンペーンであり、言ってしまえばプロパガンダに過ぎない。ブータンはインドと中国に挟まれた山岳地帯の貧しい国である。資源に恵まれているわけでもなく、人口も少ない。工業化も難しい。それでも外貨を獲得する必要があり、観光業が重視された。
政府はブータンを一大観光地にしたい。しかしブータンは小国である。隣にはインドと中国という観光大国がおり、真正面から戦っても勝てない。ではどう差別化するか。
そこで政府が持ち出したのが「幸福の国」と「独自のチベット文化」なのだ。

結果、先進国では多くの人がブータンを幸福の国だと信じて訪問するようになった。外貨獲得のための国策キャンペーンは大成功したのだ。
しかしどのようなものにも光だけでなく影の側面もある。この記事では「幸福の国」の実像について紹介していきたい。

1.国民総幸福量プロジェクト

国民総幸福量(Gross National Happiness)とは、国民が感じている幸福を数値化して、経済的な指標では計れない精神的な豊かさを示す尺度である。4代目ブータン国王が提唱し、2005年にブータン国内で初の本格的な国勢調査が行われた。「あなたは今幸せですか」という質問に対して幸せである、まあまあ幸せであると回答した人が95%に到達し、経済的に貧しい国でありながら北欧諸国と並ぶ幸福度を達成したという。

4代目ブータン国王
ジグミ・シンゲ・ワンチュク 

2.幸福の実態

しかしその国民総幸福量の調査方法はブータンに有利なように作られていた。また、アンケートの選択肢も不備が指摘されている。例えば先ほどの「あなたは今幸せですか」という質問について、選択肢が「非常に幸福 (very happy)」「幸福 (happy)」「非常に幸福とはいえない (not very happy)」の3つのみであった。アジア諸国の世論調査では選択肢が3つあった場合中央に偏る傾向が強く、恐らくそれを意識して恣意的に設定された選択肢であった。
(出典:大和総研レポートコラム「幸福度は役に立つか?」より)

後に国連がより詳細で正確な調査方法を作り、それをもとに調査した結果、2010年の調査ではブータンの幸福度は大幅に下がり、日本よりも低いことが判明してしまったのである。
一般的には「海外の情報が入って来るようになり隣の芝が青く見えるようになった」と説明されるが、ブータンでインターネットや衛星放送が解禁となり海外情報が入ってくるようになったのは1999年である。初の幸福量国勢調査が行われたのは2005年であり、この頃には海外情報が入るようになってすでに6年が経過していたのだ。テレビやPCが急速に普及したわけではないが、6年もあればそれでも新聞や人の噂を通して十分に情報は拡散する。「世界有数の幸福量」を記録した2005年から2010年の間に国民生活に異変が起こり、急速に国民が不幸になったとは考えにくい。つまり最初の調査がおかしかっただけで、国民の幸福量はそこまで高くもなく、なんなら最初から(この手の調査について控え目に答える傾向のある)日本よりも低かったのである。

3.ブータンの情報化史と国民総幸福量

蛇足ではあるが、ブータンにおける情報解禁と海外情報普及の歴史についても述べておきたい。
もともとは国王の独自文化を守る政策のもと、マスメディアは国営の新聞とラジオのみが認められ、海外情報の流入は制限されていた。しかし1999年、テレビとインターネットが国民に解禁される。
当初インターネットの普及は官公庁に留まり、また山岳地帯であるため衛星放送の受信が困難であった。しかし一方で地上波受信が困難な地域でもケーブルテレビは急速に普及して多くの国民がインドなど外国のコンテンツを楽しむことができるようになる。
インターネットの普及は遅れたが、2010年には携帯電話でネットに接続できるようになり、その頃には携帯電話の普及率も7割近くに達した。なおインターネットの普及率自体は2011年の時点では19.8%に留まる。

ブータンの情報化の歴史からも分かるように、2005年幸福量調査の時点でテレビを通して海外情報が多く流入しており、国民はすでに海外コンテンツを多く享受していた。また一方で、ブータンの幸福量低下の原因として挙げられるインターネットについては普及速度が遅く、日本よりも幸福量が低いと判明した調査の時点でブータン国民の2割にも普及していない。
「隣の芝生が青く見えた」というのは説明としては分かりやすいし、ブータン国民の主観も実際にそうなのかもしれないが、2005年の幸福量調査に不備があったことは明らかであり、ブータンにおける情報化進展の状況を見ても、流入する海外情報がブータン国民の幸福量を急速に押し下げたとは言い難いのではないだろうか。
(出典:社学研論集「ブータンの情報化にかかわる諸様相― そのダイナミズムと構造的特性 ―」より)

4.自立困難な経済

ブータン政府の提唱する精神的豊かさについて論じる前に、この国の経済的状況について説明する。まず統計的事実としてブータン国民の2020年代の一人当たりGDPは3000ドルを超える程度に留まり、国連では後発開発途上国とされている。
堅実に経済成長をしており、後発開発途上国の中では政治も経済も安定している方である。しかし国内市場が小さく製造業があまり発達していないため、消費財の多くを海外からの輸入に頼っており、また輸出できるものも少ないため、慢性的な貿易赤字を抱えている。そのため国家予算の3〜4割は常に海外からの援助で賄われているのが現状である。
基幹産業は農業であり、国民の多くも農業従事者であるが、山岳地帯であるが故に大規模化が困難であり、輸出できる商品作物は少なく、ほとんどは自給自足的な規模である。輸出品目として特筆すべきものにヒマラヤの斜面と豊富な水を利用した水力発電があり、インドに売電することで外貨収入を得ている。外貨収入多角化のため観光業にも力を入れており、先進国を中心に「幸福の国ブータン」としてのブランドイメージ刷り込みに成功しており、今後の成長が期待されている。
乳幼児死亡率は低下して人口も着実に増加しているが、一方で国内産業は未発達であり、就労人口も農業分野が増えるばかりで、外貨獲得産業である水力発電や観光業だけではとても吸収しきれない。後発開発途上国には国家として破綻した国も多く、それらと比べたら状況はずっと良いが、経済的な豊かさどころか経済的な自立も困難な状況から脱却できていない。

ブータンの農業

5.荒廃する社会

それでは経済的に豊かとは言えないブータン社会は精神的豊かさを達成できているのか検討していきたい。この記事でも述べたとおり、ブータン国民全体の「幸福量」はブータンに有利な2005年の調査を除いて世界的に見てもそれほど高いわけでもない。また、ブータン政府自体も国民の幸福量を増やしていくことはあくまで目標であり現時点で達成しているとは言っていない、たとえランキングが下がっても目指すものは変わらないと述べている。

「幸福の国ブータン」は実際に多くの社会問題を抱えている。特に深刻なのがドラッグ汚染だ。ドラッグはもちろんブータンでも違法だが、国境管理の緩い隣国インドから大量に流入しており、都市部だけでなく田舎にも売人がやって来る。特に人口過密の首都ティンプーでは若年層の失業率が高く、暇を持て余して、または刺激を求めてドラッグに手を染める若者が後を絶たない。また、若者にとってはブータンの暮らしは単調であり、娯楽が少ないこともドラッグやアルコールなどの依存者を増やす原因になっている。「海外の情報が入ってきて不幸になった」というのもある側面では事実なのだ。
(出典:「幸福の国」ブータンで異変 広がる薬物汚染の実態)

首都ティンプー

6.ブータンにおける民族浄化

ブータンの社会問題は薬物汚染だけではない。歴史的事情によりこの国の南部にはネパール系住民が住んでいる。

インドとの国境地帯に多くの非チベット系民族が住む

ブータン政府はチベット文化を守るために移民抑制政策を行っている。そして南部に居住する多くのネパール系住民を不法移民と見做し、市民権法の改正や軍隊など公的機関による圧力を利用して排除していった。不当に拘留され、拷問を受けたネパール系住民もいたという。多くが周辺諸国に難民として流出し「ブータン難民問題」となり、いまだに解決の目処が立っていない。
また、ブータンの市民権獲得に成功したネパール系住民もチベット系住民の文化や言語を押し付けられている。ネパール系難民はゾンカ語でローツァンパと呼ばれるが、これは「南部の民」という意味であり、彼らのネパール人としての独自性も否定されているのだ。この状況はブータンが幸福の国を名乗るようになってからも変わっていない。ブータン政府による民族浄化を隠すために政府が国民総幸福量という政策を推し進めているのではないかという批判すらある。

『ブータン難民』
見ての通りネパール系の顔立ちをしている

7.それでも、幸福であることは義務です

「幸福の国ブータン」について、実態を見ていくほど幸福とは程遠い問題が山積みなのが分かる。貧困、若者の失業、ドラッグ汚染、民族浄化問題など、これらを無視して「貧しいけれども精神的な豊かさを実現している」と主張するのはあまりにも現実を無視しているだろう。
しかし、それでもブータンは「幸福の国」をやらざるを得ないのだ。なぜならこの国は資源も人口も少なく、産業の発展も見込めない貧しい国であり、観光で外貨を稼ぐにしても、隣にインドと中国がいる状態ではマトモに戦っても勝てないからである。独自性を発揮するためには先進国の人々に「我々は貧しいけれど、精神的には豊かな幸福の国です」とアピールを続けなければないのだ。国内にどれだけ解決困難な問題が山積みであっても、「私たちは幸せです」と言い続けなければただの貧しい山岳地帯の国になってしまい、観光業は衰退するだろう。事実上ブータン国民に「貧しくても、幸せになること」以外の選択肢はないのである。

では「幸福の国」プロジェクトは無意味だったのだろうか。私はそうは考えていない。幸いなことに、そして多くの後発開発途上国では珍しいことだが、ブータン政府は謙虚であり、自国には問題が山積みで幸福量を上げるため努力していかなければならないことを自覚している。依然として途上国のままであり、産業構造も経済的自立に向かっているとは言い難いが、国家が大きく破綻しているわけでもない。
また、「幸福の国」プロジェクト自体がブータン国民にアイデンティティとある種の誇りを与えている側面もあるだろう。国のポテンシャルから見てブータンが物質的な豊かさを達成するのは率直に言って困難である。であれば、精神的な豊かさを拠り所にして観光業を盛り上げつつ、貧しい中でも堅実にできることをやって、国民全体の幸福量増加を目指していくこと自体は現実的だし必ずしも間違いではないはずだ。
そのためにローツァンパ(ネパール系住民)問題など向き合わなければならない課題は多い。しかし国民全体の幸福を目指すというグランドデザインを政府が忘れず、国民に理念の理解を訴え続けていけばいつか真の意味で「精神的に豊かな国であるブータン」を実現できるかもしれない。
また、ブータンによる幸福の国の試みは経済的自立が困難な小規模な後発開発途上国にとっても参考になるはずである。産業の発展が見込めない小規模な国はオセアニアやアフリカなどにも存在する。また、今後正常不安定な多民族の後発開発途上国が崩壊してより細分化された小規模国家が新しく生まれる可能性だってある。そのような国々に生きることになった人々が「幸福」を実現するためのヒントがブータンにはあるかもしれない。

参考文献

・『ブータン――「幸福な国」の不都合な真実
・『現代ブータンを知るための60章


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