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資本主義の刃〜無限列車編〜〇〇を燃やせ!


なぜ私たちは承認欲求でこんなにも惑わされるのでしょうか?確かに"誰かの特別になりたい"というのは誰しも持っている根源的な欲求です。

欲しいものというのは手に入りにくいものである。これは過去を見ればわかりますが、食料というものは過去手に入りにくいものでした。

祖父母の家に行き「いっぱい食べなさい!」と言われた記憶があるのは私だけでは無いと思います。祖父母にとってはいっぱい食べるというのがなぜ大事なのかというと、お腹いっぱいになるほど食料が無かったからなのでしょう。

それが私やあなた、もしくは子供たちにとって疎ましいもの(ありがた迷惑なもの)に変わりつつあるというのは、食料が手に入りにくいもので無くなったという示唆でもあるのです。

では、今何が足りていない(不足している)ものなのでしょうか?

承認欲求の申し子

それはもちろん承認欲求でしょう。平たく言えば「誰かの特別になりたい」であり、「求む!特別視!」ということなのでしょう。

出世だってそうです。年収が上がることよりもこの(特別視)を求める人も現代では多いことでしょう。下記のポスト通りに。

これは現代の闇でもあり光でもあります。だからこそ小説の題材、漫画の題材に選択されているのでしょう。

それは私もあなたも同じです。しかしながらこの承認欲求は負の側面でしか語られることはありません。ですが承認欲求にも正の側面もあります。それは《燃料になる》という点です。

僕たちはナマケモノ

私たち、人というものは基本的に怠惰なものです。凄い人というのはこの怠惰な点が人よりも少ないという特殊な能力、もしくは自分の中での高確率で怠惰を回避する方法を持っています。

しかし、普通の人、凡夫というのは怠惰です。私も興味のないことに対してはものすごく怠惰です。

明日やろうはバカヤロウという言葉はクソ喰らえだと思っています。常に隙間があればベッドに戻ります。TikTokで3時間溶かすこともしばしばあります。やったことのないゲームの考察を見ることもよくあります。

しかし誰でもなのですが、SNSに写真をあげる時や食事をインスタ等SNSにあげる時というのは労力を使います。つまり承認欲求を満たせそうな時には労力を使えるのです。

これは感度、承認欲求のセンサーの感度によるので、「えっ?別にどんなでもええやん。」という人から見ればバカバカしく見えるのですが。

しかしながらーーこのnoteもそうですがーー興味があるものには節度なく時間を使います。私のDJ時代もそうでした。

質量保存の法則

DJの時には曲を作ったり、ミックステープを作ったりで時間を無限に使っていました。家に帰ってまず機材を立ち上げてそれから晩御飯を食べ、また戻り、お風呂に入ってまた戻り、11時までやって朝の4時に起きて出勤までの時間作曲する。

このような時間を過ごしていました。興味があり楽しいものには私やあなたは無限に時間を使います。そこへのモチベーションはまさに無限です。燃料は興味と楽しさです。

私やあなたの行動には常に燃料が必要です。筋トレの時にはグルコース(糖質)が必要であり、糖質を摂っていなければ筋肉を分解して糖質を作ります。脳を働かすのもそうです。ちょっと多めの中盛り白米くらいの糖質を必要としています。

しかしながら承認欲求というものを満たす場合には、燃料が未来の自分の感情になります。ですが未来の自分の感情は燃料足り得るのでしょうか?

燃料はナニカ?

凡人が凡人である理由は未来への投資の観点のある無しです。わけのわからない情報商材を買うのとは違うので注意が必要ですが。

未来の自分のため。それだけで動けるのならば勝間和代さんは必要無いですし、自己啓発書なんて売れるわけがありません。

つまり不足(感情の満たされなさ)が燃料というのはおかしく無いか?ということです。何かを燃やさなければ燃料にはならないはずです。では私やあなたの住む世界でこのような(燃料不足)の時に何を燃やしているのでしょうか?

主に起業家の本を読んだり、インタビューを聴いているとそこには事業に対する熱い気持ちを感じます。中小企業の社長でもそうです。売り上げが伸びるような会社の社長には熱い魂を感じます。

つまり心を燃やすという状態です。鬼滅の刃の煉獄さんと同じなのです。つまりは心を燃料に動いているのです。熱い魂を燃やして事業を動かしているのです。

しかしこの熱い魂というのはブラック企業にはありません。ではブラック企業は何を燃やして事業を動かしているのでしょうか?

資本主義無限列車編

それは従業員の幸せです。従業員の幸福度を燃料に事業は動いています。今までは安い給料で働く人がたくさんいたので、しょうもない中小企業でも持ち堪えることができていました。

しかしながらそのような企業はこれからどんどん淘汰されていきます。ですが巧妙に生き残る企業も当然あります。それは従業員が「私がいないと会社が回らない」と思わせることに起因します。

私やあなたは「誰かの特別になりたい」という欲求を持ちます。そこにブラック企業は居場所《特別なあなた》というスペースを提供しているのです。

こう聞けば良いことのように感じますが、これは他人の幸せを燃料としているのと同義です。つまりは他人の未来や他人の価値を燃やして走る列車なのです。

そして、そのブラック企業に勤める従業員は何を燃やして走るのでしょうか?

田舎のリア充の燃料

田舎にいると「あいつたぶんものすごく低収入のはずなのになんでアルファードとか無駄にでかい一軒家とか維持できるんだろう?」という場面によく遭遇します。

それはなぜなのかとよく考えたのですが、答えは至極簡単でした。子供の未来を燃やして走っていたのです。

それは子供の教育、体験を毀損しているということです。子供の未来に投資ではなく、今の幸福の燃料にしているのです。だからこそアルファードもでかい一軒家も謎のバーベキュー大会の開催も手に入れてしまうのです。

普通であれば自分の幸福度よりも子供の未来を考えるのですが、多様性の時代では「子供のためだけに生きなきゃならないの?」という考えもOKに、市民権を持ったがゆえにこのようなことが起きます。

「お前は個人の自由を毀損するつもりか!?」

という問いには、お前みたいなクソ親に育てられるという厄災は、個人の自由を毀損していないのか?という問いで返したいと思います。

燃やすものがない、燃料がないのに走るというのはこの世の理に反しています。だからこそ「何を燃やすのか?」という答えは必ず有るのです。

つまりは大きく捉えればブラック企業というのは、個人の未来と子孫の未来を燃やしながら走る列車なのです。もっと大きく見れば日本の未来を燃やしながら走っていたのです。

つまり他人の幸せを燃やし走り続ける無限列車なのです。

つまりはそこで得たお金というのは、日本の未来を原料としています。そこに何か価値はあるのでしょうか?

全部無くなる

正当な対価、報酬はわかりにくいものです。給与は業界の平均で決まります。それでも未来の原資として渡していかないと終わってしまいます。

この世の中終わらないものはありません。続いているように見えるものも生々流転、ちょっとずつ変わりながら長くあるように見えるだけです。

なのに我がだけ永続するつもりでいては、苦しくなるばかりか人の、世の中の未来を毀損してしまいます。

それで良いのでしょうか?きっと悪いと私は思います。

基本何かを燃やさなければ走れない私やあなたです。だから得るものの対価には何かを燃やさなければなりません。

それが他人の幸せであるのならばそれはやめるべきなのです。そこを自由にしてしまえば社会が、世界が終わってしまいます。私やあなたは縁のために循環のために存在しているのですから。

だからこそ炎上系YouTuber、主に人に迷惑をかけるタイプのものは私は嫌いです。なぜなら人の幸せを燃料にして走っているからです。

幸せとはリサイズするもの

このように現在は人の幸せを燃料にする人が多くいます。だからこそ私やあなたは他人の燃料にならない方法を考えなければなりません。

それには自分の幸福度を知らなければなりません。未来を見なくてはならないのです。

なぜならば時間というのは命の最小単位であり、あなたの燃料でもあります。ならば投資の原資ともいえるでしょう。


時間をどこに投下するか?これを深く考えなくてはいけません。なぜならそれがあなたの未来を創るからです。

幸福というのはすぐに毀損してしまいます。この世の中にはそれを、あなたの幸福を絡め取るものがたくさんあるからです。

ブラック企業に《あなたの居場所》をつくられたとしてもそこに投資し続けるのは、当然のことながら溶けるだけです。そこは居場所に見えるだけなのですから。

あなたの居場所というのは本来自分で作るものです。誰かが用意してくれているものではありません。もし用意してくれているところがあるのなら、それは恐らく相手のメリットが大きいからです。

SNSだってそうですよね?あなたの承認欲求を満たしてくれたり、コミュニティというものが形成されているように見えますが、それは企業にとって都合の良い居場所でしかありません。

そこに自分で作ったと思える居場所があるのなら別ですが。

カオナシとともに歩け

今現在誰しも居場所みたいなものを求めています。しかし探しても探しても見つかることはありません。なぜなら最初に言った通り居場所は自分で作るものだからです。

だけど誰かに植え付けられた価値観により、居場所はあるものであると思ってしまっています。それが一番の幸せを見つけられない理由なのに。

私やあなたの燃料は限りがあります。その限りある間に居場所を作らなければなりません。しかもその居場所というのは永久に続くことはありません。必ず終わりの日がやってきます。

だから仏教では無我というものを境地としているのですね。しかし私もあなたも悟りは開けません。なぜなら欲望の無限列車に乗っているからです。資本主義というのはそういうものです。

だからといって幸せになれないわけではありません。幸せというのはリサイズしたりしながら、その時その時の自分にあったサイズを探すものなのです。

だから変化が大切なのです。変化しないと生きていけないのです。

そのためには自分の意思で、自分の足で変化をしていくべきです。

承認欲求は怨念です。それは冒頭のポストのようにカオナシを呼び寄せます。認めてほしいと思うのは当たり前ですが、「誰に?なにを?」認めて欲しいのか?それをはっきりさせましょう。

そしてそのために自分の意思で自分の足で動きましょう。そうしないとすぐに怨念に絡め取られて都合の良い人になってしまいます。

他人の無限列車を降車して、自分の足で線路を歩きましょう。千尋のように。

それがあなたの人生を良いものにきっとしてくれることでしょう。

それでは、また、日曜日。

あどりでした。

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