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真我に親しむ(365夢Screen133)

だが夢の中では意味や目的が流行っている。

意味や目的は、むろん夢の中にしかない、

だが夢の中ではそれが流行るのが当然だ。

夢は「枯れ木も山の賑わい」として演じられている。

そこではは永遠の変化が紡がれている。

その変化の中に想像される物語もまた
時空間の中での対象物として創造されている。

それはすべて対象物からなる構造体、
対象物のプログラム内蔵方式による
自動起動再起過程だ。

仮想的自己幻想が設定されているのは当然だが。

そこでは「真我」に親しむ過程は
めったに現れない。

しかしその夢は崩壊しない。

その夢は許されているからだ。

そこにはさまざまなレベルでの
自己同一化によるエネルギーが流れ込む。

そして時として
真我に親しむ物語が顕現することもある。

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