自分探しの旅(365夢Screen139)
実在するのは「真我」だけ。
「真我」は自己の存在を知っている。
自己の存在を知っている「真我」こそが
至高の状態。
それ以上のものは在りえない。
ラマナ・マハルシは
「真我」の最も純粋な状態として
「私-私」という状態について言及した。
「私-私」とは
己が存在していることを知る以前の状態。
自己の存在を知っている「真我」が
己が何者であるかに興味をもったとき、
「真我」からの墜落が始まる。
「何者か」は、
文字どおり「もの」でしかありえない。
「何者か」は何らかの定義を担わざるをえず、
定義を担うには「もの」になるしかない。
「真我」から「もの」への墜落の過程に、
「興味をもつ」ということがある。
「興味をもつ」とは、
「意識」が「対象物」と化すること。
非顕現である「真我」が
顕現に興味をもつことだ。
顕現に興味をもつことで、
「真我」は夢を観る。
「真我」が観る夢の中では、
「真我」のミニチュアである虚構の「自我」が
自分探しの旅に出る。
想像の中で偽りの分離が起き、
分離の前提の中で多様な境界線が生まれる。
「真我」が観る夢の中で
自分探しの旅をする虚構の「自我」が、
自分を夢見ている「真我」にたどり着ける
可能性はない。
虚構の「自我」は
自分の存在を信じているにも関わらず、
自分の存在が疑われるような状況には
けっして近づこうとはしないからだ。
虚構の「自我」は
自分の不在には耐えられないため、
自分の不在に直面する勇気を持つことはできない。
虚構の「自我」は
自分の不在の可能性からは
逃げる以外の選択肢を持っていない。
虚構の「自我」が
「真我」に目覚める可能性はゼロだ。
「真我」に目覚めるのは、
自分探しの旅をする虚構の「自我」を
夢見ている「真我」以外にはありえない。
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