見出し画像

「ファーザー」

レクターよりも怖い話。

どうも安部スナヲです。

これまで幾多の名演•怪演で我々を楽しませ、驚かせてくれたアンソニー•ホプキンスが、御年83歳を迎えらた今、それらのどの作品をも凌ぐ圧巻の演技を見せてくれました。

その感動を噛み締めると同時に、それこそ劇中のアンソニー(本作では役名もアンソニーです)が言ったように、人が老いて、「枝から葉っぱが一枚一枚落ちて行く」ような儚さと向き合う絶望と恐怖に悶えています。

画像1


【恐怖の“認知症”体験】

本作は認知症の実態と、それを支える家族の物語です。
そういったテーマの映画はたくさんありますが、ハッキリ言ってこんな映画観たことありません。

まず冒頭、アンソニーは娘のアン(オリヴィア•コールマン)と介護人への態度について揉めています。

画像2

というのも彼は、とかく頑固ジジイにありがちな「わしゃそこまでモウロクしとらんわい」という主張を、理詰めでネチネチ述べたてる超イヤなタイプのジジイ。雇われた介護人たちはみな、そんな彼の態度に辟易してどんどん辞めて行きます。

しかしアンは近いうちに恋人とパリで暮らすので、これまでのように、しょっちゅう父の家に来て面倒を見てあげることができなくなります。

そのことを告げられた彼は、「あんな英語もロクに通じないとこ…」とかなんとか、またネチネチとケチをつけながら愚図ります。そんな彼にアンは週末になれば会いに来ることを約束し、その場は一旦退去します。

と、この次の場面から、映画を観てる我々もアンソニーの頭の中で起きている不可思議な現象を体感することになります。

台所で紅茶を淹れている時、妙な物音が気になって居間へ行ってみると、オレさまの場所に見知らぬ男が座っています。しかもその男はアンの亭主で、ここは自分とアンの家だといいます。

「え?え?え?んなアホなー?!」

となっているところへアンが帰宅したと思ったら、これまた見たこともない、全然知らん女!!

しかも、さも当然のように自分はアンだと言い張っとる(゚o゚;;

さらには、さっきまでここに居た亭主とやらのことを訊ねると、アンに亭主はいないし、ここには誰もいないということになります。

こわっ!

…と、このような矛盾や不条理な現象が続けざまに起きるワケです。

それが他人事ではなく、映画を観てる我々の前で繰り広げられてるワケです。

私は、本作がこのように終始認知症を患ったアンソニーの目線や感覚で展開されて行くということを予め知っていて、その上で観に行きました。

なので、そんな不可思議な感覚を恰もアトラクションのように楽しみながら、一方では本筋となるプロットを正確に捉えようと構えて観ていました。

しかしながらそんな冷静さは10分と保つことができませんでした。

あっという間にこの混迷極まるパラドックスワールドに引きずり込まれていました。

そして映画が進むに連れ、実体は見えないけど確実に何かが失われて行くような恐怖に背筋がゾワッとしました。


【少人数交代制と空間のトリック】


監督のフロリアン・ゼレールはフランスで有名な劇作家で、本作も元々は彼が2012年に発表した『Le Père 父』という戯曲です。

これまで世界各国で舞台公演されていて、日本では2019年に橋爪功(父)と若村麻由美(娘)主演で上演され話題を呼んだそうです。

元が舞台ということもあってか、登場人物が少なく、場面設定もほとんど部屋の中なので、映画としてはメリハリが乏しく、退屈な作品になりがちですが、スリリングなカメラワークと編集、さらにはセットや小道具にも細かく意味を持たせる演出がされていて、一切退屈することはありませでした。

ゼレール氏はインタビューで、少ない出演者のうちの何人かが複数の役を演じることで、映画を観る人に戸惑いを与えたかったと話しています。

確かに、アンソニーの頭の中では人物も激しく混同していて「あの人」と認識していた人が実際はそうでなかったり、別々な筈の「この人」と「その人」が同じ姿だったりする場面が多数出て来て戸惑います。

そういう感覚も、これまでの他の映画では味わったことのないものでした。

また、同じように戸惑わせる仕掛けが、部屋という空間にもあり、「アンソニーの家」「アンの家」「介護施設」が微妙な変化とタイミングで移り変わるので、一体今どこにいるのかわからなくなります。


【オリヴィア・コールマン】

先のインタビューでゼレール監督が「彼女はストーリーの中心です」と話しているように、本作はアンソニー・ホプキンスとタイマンはれる存在感のアン役、オリヴィア・コールマンが本当のキーマンかも知れません。

画像3

冒頭の口論シーンで薄々匂わされますが、アンソニーとアンの親娘関係は決して良好ではありません。

ストーリーが進むに連れ、そのことが明るみになります。

アンソニーはアンよりも、妹のルーシーを寵愛していて、アンとは確執めいた蟠りさえあります。

それでも親娘は親娘です。

アンはそんなジレンマを抱えながら、慈しみも哀れみも怒りも愛もグッと飲みこんで、難儀な父とも、自分の人生とも向き合います。

そのことを言葉よりも表情で語っていて、本当に力のある女優さんだなと思いました。



本作でアンソニー•ホプキンスは、「羊たちの沈黙」以来30年振りで2度目のアカデミー主演男優賞を受賞したそうです。

私は本作のアンソニーと「羊たちの沈黙」のレクター博士とは、まるでちがうタイプのようで、毒っけの強さ、気位の高さ、傲慢さという点で、結構似ているなと感じました。

どちらも己の知性を誇り、人を見下すタイプで、そういう感じワル〜いジェントルメンがここまでハマるのはホプキンスの他にいないなと、つくづく感じました。

そしてどんなに傲慢な人間も老いから逃れることはできず、記憶障害に陥って、自分の存在すら実体を失ってしまうことは、地位や名誉や財産を失うより、ずっと恐ろしいことなんだと、地位も名誉も財産もない私は感じ入り、やがてジジイになっても強く元気で、そしてキュートでいたいと思うのでした。

出典:

映画「ファーザー」公式サイト


映画.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?