仕事をする前は躁鬱の自分が好きだった

社会に殺された

まあ好きだったと言っても、鬱から動けるからだになりかけた瞬間ほんとうに無意識に衝動的にふらふらと道路に飛び出して自殺未遂をして他人に引っ張ってもらって失敗に終わってくれたり、子どもの頃は血まみれで自室に倒れてたところを運良く親族に発見されて失敗に終わってくれたりしたのだけど

これでも死ぬことは基本的にとても嫌いで、過剰に恐れるがあまり強迫性障害に影響してる面もあって、人間のからだってむずかしいなって日々思う。死ぬのが怖すぎて明日と寝るのが怖いからね。

でもありのままの感情の振れ幅をコロナ禍までは好きでいることができた。
夜の仕事を自分のペースで、チームプレイじゃないから誰にも迷惑かけずにできていたときはやりがいもあって天職だと思ってた。
感情のうごきがどこに振れても、それを観察して第三者目線で楽しむことができた。
大好きなバンドの現場で居場所もあって、感情の動きと共に音も楽しんだ。

社会の歯車になるには錆びつきすぎてしまってたみたいだ。
投薬は油をさすことに近いなと感じる。でも、錆びがとれるわけじゃなくて、根本的な解決はしないまま、サイズのあわない歯車っぽい何かしらとしてまがい物はむりやり嵌った気でいて、結局「もしかしておまえって歯車じゃないんじゃないか」って疑われだすのだ。

嫌いなりに好きだった自分すらもいなくなった。単純に煩わしいだけになった。歯車になれないことの疎ましさに耐えるエサは病院かバンドの現場だけれど、
まがい物の歯車でいなきゃそれすら叶わないもんね。

人生と生活は違うことばなんだ。
人生を大きく語ることはたくさんあちこちでしてきたけれど、生活をするのってものすごく難しい。
どこに向かって死んでいくのか、私は生活を送りたい。死んでいくために。怖がらないために。私の生活のために、明日世界がしあわせでありますように。

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