みけねこ

美と音楽と日常と

みけねこ

美と音楽と日常と

マガジン

  • 三善晃の創作意識変遷について

    論文を分割投稿したため、まとめています

最近の記事

三善晃の創作意識変遷について 参考文献

一次資料 自著 ・三善晃(1958)「創作に於ける国際性と国内性」,『音楽芸術』16(9), pp.10-18, 音楽之友社. ・三善晃(1970)「年表」,『三善晃の音楽』, 井坂紘監修, pp.42-53, カメラータ・トウキョウ. ・三善晃(1979)『遠方より無へ』 , 白水社. ・三善晃(1989)『対話十二章 現代の芸術視座を求めて』音楽之友社. ・三善晃(1992)『ヤマガラ日記』, 河合楽器製作所出版事業部. ・三善晃(1993a)『ぴあのふぉるて』, 毎日

    • 三善晃の創作意識変遷について 終章・補章

      終章 三善晃を通史的に再確認して本論文では著作を中心に三善を読み解いた。 三善は、最初期から「孤独」の概念に基づく創作を続けてきた。「レゾンデートル」によって創作したと言って良い。そのために三善は「内奥の人間性」を確かめ、さらには「伝統」の概念を取り込んだ。いつだって三善は自らの「地図」で世界を生きていた。しかし「地図」は1980年で完成してしまった。 ロマン主義的な芸術家は、いや、いかなる芸術家でもそのような「地図」を持っているのだろう。例えば三善(1965)が指摘する

      • 三善晃の創作意識変遷について 第5章

        第五章 創作意識変遷の終結 ー1980年以降さて、第四章第六節で見たように、三部作で三善は子どもに「絶望」からの「愛」を託してしまった。そこで三善の創作意識変遷は完結したのかもしれない。また、そのような面のみならず、西洋への意識変化からも創作意識変遷の終結は読み取れる。長くはなるが、河野との2001年の対談を引く。 もう何度も指摘しているが、三善はパリ留学以来やはり西洋音楽との距離感をはかりながら自らの語法を磨こうとしていた。とはいえ第四章第三節第一項で見たように、三善はそ

        • 三善晃の創作意識変遷について 第4章

          第四章 「もの」との関係の変化と「死」 ー1968年から1984年まで1969年までの作品と著作から筆者は「古典」と「ロマン」の概念がこの期間中にゆっくりと変化したことを明らかにした。そして「(旧)古典」と「(新)ロマン」が連続していること、そこに見られる素材への眼差しは習作期から続く眼差しであることを指摘した。また「(旧)古典」と「(旧)ロマン」の対立する二つの概念は、三善がいつも「情意の層」ではなく、人間の中核的な部分との関係の中でそのような音素材を見出したいということを

        三善晃の創作意識変遷について 参考文献

        マガジン

        • 三善晃の創作意識変遷について
          8本

        記事

          三善晃の創作意識変遷について 第3章

          第3章 「古典」と「ロマン」の狭間で ー1969年まで第二章では三善の創作意識のいわば前提を見てきた。次の1969年までの期間では、その三善が示した「古典」という概念が作品へと応用されていく時代になる。 第一節 1960年代における三善晃の作風の変化 ー遠山と船山の先行研究をもとに   さて、三善の作風は1960年代において一つの転換点を迎えたと考えられている。船山(1983a)と遠山(1968)は同時代的に見聴きしたものからこの転換点を感じ取ったのであるが、さらに後の世

          三善晃の創作意識変遷について 第3章

          三善晃の創作意識変遷について 第1・2章

          第1章 習作期 ー1958年まで三善の最初の作品と見なされているのは、第22回音楽コンクール作曲部門で第一位を獲得する1953年の《クラリネット・ファゴット・ピアノのためのソナタ》である。三善はまだ東京大学仏文科に進んでまもない20歳で、音楽大学の学生でなかったため非常にセンセーショナルに受け取られることになる。この作品から《交響的変容》と《ピアノ・ソナタ》が書かれた1958年までを、ここでは習作期と見なすこととする。この時期まで三善に著作物はほとんど存在しないため、本論文の

          三善晃の創作意識変遷について 第1・2章

          三善晃の創作意識変遷について 序論

          序論 三善晃は1933年に生まれ、東京大学に入学後の1952年に第22回音楽コンクール作曲部門で優勝。1955年から1957年までパリ音楽院に給費留学生として留学する。6度(最多)の尾高賞受賞をはじめ、国内外数々のコンクールで優秀な成績を収めている。1963年から東京藝術大学講師、1966年には桐朋学›園大学教授に就任、1974年に学長となる。1996年から2004年まで東京文化会館館長を務めた。国内外のコンクールでの審査も多い。また文筆活動も盛んであり、『遠方より無へ』ほ

          三善晃の創作意識変遷について 序論

          三善晃の創作意識変遷について 目次

          はじめに この文章は2020年1月に執筆したものを、概ね改訂することなく投稿しているものです。特に結論づけの方向性においてはお叱りを受けることもありましたが、リライト等は基本的に行なっていません。その点は念頭に置いてお読みください。 この頃の私の興味を支配していたのは「ロマンティシズム」ということでした。それは芸術主張であり、そして現代ではすでに主流ではないものです。この作曲家の意識の変遷を丹念に追うことで、「ロマンティシズム」が消え去っていく姿を透視したかったのだと思い

          三善晃の創作意識変遷について 目次