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頑張りすぎる人間と燃え尽き症候群

今回は久しぶりに暗くて重めの内容です。
共感性の高い方、一度精神疾患にかかったことのある方などには辛い内容かもしれません。
読む際はどうかご無理なさらないでください。

頑張りすぎる私

私は自分で言うのもどうかと思うが、
頑張り屋だと思う。
仕事ができると言うと角が立つが、責任感が強く、どちらかというと頼るより頼られることが多いし
例えば提出物の期限、仕事、約束、時間は必ず
---それはたとえ自分の精神や肉体がボロボロだとしても。どれだけ他の仕事や予定が溜まっていたとしても。
必ず、守る。
人が面倒くさいと思うことや嫌がることはできるだけやろうと思う。

そうして積み重ねてきた「私という人間の信頼性」を、私は誇りに思う。
「しっかりしている」「頼りになる」「さすが」
「やさしい」。
今まで何度言われてきたことだろう。
昔からいわゆる「良い子」で育ってきて
委員長などやるタイプで
先生や先輩に頼られるタイプで
彼らの理想を汲み取って応えてきたし
後輩には尊敬されるタイプだった。
ありがたいことに恋愛的な意味で告白してもらったことも何回かある。

しかし私はたびたび、私の中の
---人には想像できないような
「内なる凶暴な手に負えない私」が怖くてたまらなくなる。

私は「頑張る」の基準が人より高いと思う。
そして人より基準の高い「頑張る」を、人より長い間真面目に実直にこなす力があると思う。
人が諦めたり投げ出すようなことを、それは小さいことでも大きなことでも、やめずに継続し続けることがおそらく人より得意だ。

それは素晴らしいことで、
本当に私は私をすごいと思う。
だからこそ。
今まで運が良いのか悪いのか
全力で頑張ることでそこそこの成果を出してこれてしまった。
成績、バイト、部活、人間関係。
たくさん勉強すれば成績はそれに比例した。
バイトを頑張るほど仲の良いお客さんも増え、任される仕事もシフトも増え、お金は溜まった。
部活に全力で取り組むことで大会での成績や部としての実績を残してこれた。
子供の頃からの夢だって叶えられた。

でもそのために頼られ相談に乗ること、
他の人の面倒も見ること、
同時に「一人」で何かをすることが増えていく。

しっかりしているからこその弊害。
信頼されているからこその弊害。

損かもしれない。

いつの間にか頼られることに慣れて、
自分が頼ることができなくなっていく。

いや、これだって思い込みだ。
本当の意味で私がいないと回らないことなんて世の中にはない。私がいなければいないで世界は回るのである。私だってもっと適当に楽に生きていいはずなのである。

それなのに自分でも意識できない間に、知らず知らず物理的な意味での仕事量と精神的なプレッシャーが積み重なっていく。
調子が良い時は特にそうだ。
気づけばあれもこれもやることが増えていて、いろんな人に頼られていて、それでも受け入れるのと同じくらい逃すのも得意であれば良いのだが、私は抱えるだけ抱えてそれを逃すことが苦手で結果キャパオーバーになってしまう。
しかしでもやはり、気力で、頑張ることでなんとかそれをこなせてしまうのである。

悪循環。

知らず知らずそうして「頑張る私」が当たり前になって
自分をすり減らしてすら頑張ることが習慣になってしまって
そうして出す成果に感謝されるたびに、賞賛されるたびに、
あぁやはり私は他人にこれを求められているのかという感覚になり、もっと頑張らなければ、期待を裏切らないようにしなければ、もっと、もっと、ちゃんと、しっかり私をやらなければ。
それが他人にとっても自分にとっても理想のような気がして---

ふと、力を抜くことができなくなる。
「頑張ることが当たり前」になりすぎて
その私に価値があると思い、
それ以外の私に価値がない気がしてきて、
休むことが怖くなる。
「頼りにならない、格好悪い、失敗してしまう、ダメな自分」が許せなくなる。
他人には分かりえないほど、そのようなダメな自分が恐ろしいという錯覚に陥る。

頑張らなきゃ、もっとやらなきゃ、完璧に。
求められるように。他人に迷惑や心配をかけないように。
もういい歳なんだから。大人なんだから。
疲れていても。
しんどくても。
ちょっと無理しても。
大丈夫、まだやれる。まだ頑張れる。
そうしてどんどん、ギリギリまで自分の首を絞めて
自分で自分を追い込んで追い込んで
100%どころか120%自分の燃料を使い果たして
納得できる成果を出し切って
満足して、満足されて
そこでやっと。

プツン。

糸が切れる。
燃え尽きる。

灰になり、廃人になる。


燃え尽きる

燃え尽きてしまうと、燃えることができなくなる。
燃料がないから当然である。
燃料を補給しなければ燃えるはずがないのである。

しかし上述したように
「頑張るしっかりした、ちゃんと成果を出せる自分」に価値があると思い込んでしまっている私は、
この燃えられない状態の私に焦る。
その私がダメだと思ってしまう。
どうした、どうしたんだ。
こんな私じゃダメじゃないか。
こんな時でもやること、やらなければいけないことはたくさんある。やらなければ。
休むな、動かなきゃ、頑張らなきゃ、働かなきゃ。
できることをやれ。
また前みたいに。元みたいに。
しっかりしなきゃ。
早く。早く。早く!

嫌な汗が滲む。
呼吸が速くなる。
心臓がバクバクする。

こうなると何が起こるかというと、
一時的なパニック障害や統合失調、鬱症状のようなものが出る。
何回も言うけれど、燃えれるはずなどない。
無理矢理心の炎を燃やそうとしても、燃料がないのだから。
ほんのちょっと燃料が溜まってきたとしても、それで走り出そうとしたってすぐになくなってしまう。
分かっている。
こんな状況になったのは、今まで1回や2回なんかじゃないから。何十回と繰り返してきたことだから。
だから人より程度は軽く短いかもしれないし
対処の仕方もある程度わかってはいるのだが、
こういう精神的なものは脱臼のようにクセになり何度も何度も繰り返してしまうのである。

仕事ができる云々とか、しっかりしている云々よりも、辛い時に人に頼るとか、自分が0になってしまう前にうまく気分転換やエネルギー補充をするとか
そういうことの方が大事なことは頭ではわかるし、
そうなりたいと思っている。

自分を細く長く肉体的にも精神的にも健康でいさせた方が、結局長期的な目で見た時に、
より多くのことができてより人に迷惑をかけず、
自分のためにも人のためにもなるのである。
わかっている。しかし
わかっていることとできることは別問題だ。

自分の燃料がまだ残っているのに
それを使わず、見て見ぬ振りして、例えば困っている人や私に頼りたい人を無視すること、できる仕事をしないことが私にはどうも難しい。
自分本位に人生を生きること、自分の楽しみや幸せだけを考えて今日を過ごすことが難しい。
「休め」「遊べ」「逃げろ」
分かっていても簡単にはできない。
なかなか共感されないかもしれないが、
自分にとっては無理して頑張ることの方が
それらより圧倒的に楽で、できてしまうのである。

器用なようで器用でない。
しっかりしているようでしっかりしていない。
27年生きていまだに自己管理もうまくできやしない。
いや、いっそ何かが麻痺し欠陥しているのか。

落ちている時ですらやはり人に頼るということが苦手な私はなかなか人に自分の弱みを見せられず、
折角「大丈夫?」と心配してもらっても
なかなか状況を説明したりHelpを出すことができず、「大丈夫です」などと笑顔で答えてしまい、
後々逆に人に迷惑をかけ、さらに自己嫌悪に陥る。

結局今こうやって文章を書くことで、やっと少しだけ自分を解放している。
意外とコミュ障だし陰の性質が大きいのである。
(まぁ、良いことだ。本当に鬱になりきるまでどこにも解放できないよりよほど)。

これでも大学生の時よりはよくなっているのだが、
そんなに簡単に人間変われない。


・・・



というのが、実はここ最近の私でした。
1年という節目。区切り。それにあたっての忙しさ、仕事や行事の多さ、賞賛、労い、期待。
代替わり---先輩や頼れる人は減り、後輩や頼られることが増えていく。
だからこその残り1年という期間のプレッシャー。
1年が途方もなく感じる。
数ヶ月間もずっと任地にこもっていたこともよくなかった。

客観的に見ても冷静な頭で考えても
何がそんなにストレスなのか嫌なのか
大きな失敗や不満などがあるわけではないのに
配属先も同僚も仕事もウガンダも
好きで楽しいはずなのに
活動も比較的うまく行っている方のはずなのに
なぜか心がきつくて。しんどくて。


ただでも、おそらく、一番の下降の波は落ち着き、
今少しずつ少しずつまた燃料が溜まって
細々とゆっくりと歩き出そうとしている。

こうやって少し余裕が出てきた時は、
何がいけなかったのか、どうしたらよかったのか
分かるし冷静に分析できる。
次そうならないようにまた気をつけようなんて思える。

しかし精神疾患を体験したことのある方なら、分かるのではないだろうか
パニック症状、鬱症状のようになった時の精神の異常さに。
正常な判断ができないのである。
普段なら意識せず当たり前にできることができないのである。
呼吸ができない、体が鉛のように重い、
ご飯が食べられない/食べすぎてしまう、
お風呂に入りたくない、出かけたくない。
何もしたくない。
今までどうやって自分が生きていたか分からなくなる。
それなのに変なところで思考はクリアで
全く悲観しなくて良いことを悲観し、
底無し沼のように心は沈んでいき、
出口なんて解決策なんてないような気がして滅入っていく。
自分という人間が生きている価値なんてないと、
これから生きていけるはずなどないと本気で思ってしまう。
恐ろしい。


残りの1年はこんな風にならないように、
ゆるく、うまく、自分を労って追い込みすぎずに
楽しく穏やかに健康に過ごしたいものである。
なーーんて、
結局また自分の性質上すぐ頑張りすぎてしまうのかもしれないけれど。
でも本当に、しんどいことは自分が1番分かっている。


今この文章を読んでいる人で同じような状況に陥っている人がいるのであれば、
私はやはり自分を大切にして休んでほしいと思う。
その難しさは痛いほど分かるけれど。

協力隊に限らずこのストレスの多い世の中で
今日も頑張る人たちが
生きている人たちが
ちゃんと休んで、誰かに頼って
無理なく楽に生きれますように。

長く暗い内容をここまで読んでいただき、ありがとうございました。




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