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「死」が近くにある国

あなたは「死」を感じたことはあるだろうか。
なんて、なんだか怖い宗教勧誘みたいな出だしになってしまったが、
死にそうになった経験はもしかしたら1回くらいあるかもしれない。(ちな私は2回ある)。
だが、「日本で」「それなりに普通に」生活していたら、死ぬことはあまりないし、
だからこそ人が亡くなることはとてもショックで辛いことで一大事である。
治安が最も良い国の一つである日本では凶悪な事件も少なく、それこそ武装集団やテロなどとは無縁に近い。
医療制度も整っているため、高度な医療を保険を使って受けることができる。
人が亡くなるとしたら
よっぽど重い病気、事故、自殺。
真面目で統制された日本社会では、
死ぬというとどちらかといえば「精神的な」死、
例えば鬱とか、そのような死の方が
日本では目に付くかもしれない。

しかしウガンダで生活しているとどうだろうか。
「物理的な」「本物の」死が、
あまりにも近くにあるのである。

事故

ウガンダでは車やバイクが軒並み列を作る。
特にボダボダと呼ばれるバイクタクシーは、比較的安価でどこへでもいけるのでローカルの人に最も使われる交通手段の1つだ。
いわゆる途上国と言われて思いつくイメージ。
道路に信号機はほとんどなく、割り込み、追い越し、過剰スピード、過剰重積があまりにも多い。車同士の接触はもちろん、車とバイクの事故、
さらにはバイクのスリップ・転倒事故、歩行者の巻き込み事故などが絶えない。
バイクに乗るときは特にヘルメットも付けていないので、もろに衝撃が加わる。
私の職場の同僚でも、ボダボダ絡みの事故に数人巻き込まれ、肌が痛々しく抉られていたり
しばらく入院していたり、後遺症が残り足を引きずっていたり。
頭を強く打っていたり他の車に立て続けに轢かれてしまったりすると、最悪亡くなることもある。

病気

以前作成した”ウガンダの医療事情”にも述べたように、ウガンダには日本にはない病気がたくさんある。
私が赴任した頃はエボラ出血熱という恐ろしいウイルスが猛威を奮っていた。
狂犬病、黄熱、炭疽、クリミア・コンゴ出血熱、腸チフス、コレラ…日本でも第一類感染症に指定されているものがゴロゴロあるし、
何より、日本のような緊急搬送・ICUのような高度設備は少なく、そのような医療を受けられる層(そのレベルの医療を受けられるほどの金銭的な余裕がある層)はかなり限られる。
ウガンダは1人あたりの子供の数が多く、「兄弟が何人もいる」という人が多い。その場合、
当たり前と言えば当たり前ではあるが
大体「兄弟の1人は亡くなる」確率が高くなる。

中でもよく聞くのはマラリアである。
ウガンダにはマラリアを媒介する蚊がおり、中でも「熱帯熱マラリア」は重症化すれば高熱や多臓器不全を引き起こす危険な病気だ。
前述したように適切な医療を受けられずに亡くなってしまうケースは、特に地方であれば地方であるほど、往々にしてあるという。
最近見ないなと思っていた同僚が「マラリアだった」というのもよく聞く話なのである。

テロ・強盗など事件

ウガンダで生活していると、大使館からよく注意喚起のメールが届く。
内容は様々だが、やはりテロや強盗といった内容のものは心臓がどきりとする。
日本で生活していたら遠く離れた海の向こうの世界のこと。
しかしウガンダではやはり頻繁に
テロ(未遂)、テロ実行派と治安当局の攻防、凶悪で狡猾な強盗が発生する。
私の同僚の出身地でも昨年40人が無くなるようなテロ襲撃事件が起こった。
私が赴任する前には実際に爆発事件があり何人か亡くなっている。
別の同僚は夜間(と言っても夜19時頃)に路上で殴られ怪我をさせられ、スマホや金目の物を奪われた。
家に泥棒が入りPCとスマホを盗まれた同僚、
路上でひったくりにあいバッグごと盗られた同僚。
日本ほどセキュリティのしっかりしていない建物、
元々の治安の悪さ。
盗みは驚くほど頻繁に発生する。
集団リンチにより殴られなくなるケース、
銃による発砲で殺されてしまう事件もあった。


全人口の半分以上が20歳以下でというデータもある、ウガンダ。
この数値は何を意味するだろう。
単純な出生率の高さだけではない。
ウガンダの平均寿命は55歳。
日本より25年も短い。

老人まで、大人まで生きれることは当たり前ではない。
「死」のリアリティが桁違いなのである。

死が、危険が、あまりにも近い。
隣にひた、と感じるものがある。
他人事ではない。
明日は我が身の世界。

どこかへ移動するたび、何かをするたび
今日こそは何かあるかもしれないと
常に緊張の糸を張っている。

それでも、何か特別にできることがあるかと言われればない。
ボダボダを使わないようにする。
道路の流れに注意し無理して移動しない。
マラリア予防薬を飲む。
日々の食事や栄養に気をつける。
夜間の外出を避け、一人行動は慎み、
同じ道を同じ時間に歩かないようにする、
治安が悪くなりそうな場所やイベントに行かない、
歩きスマホをしない。
道路側にカバンを向けない。
など、できることは限られている。
それをしたとて、運悪く何かに巻き込まれることだってある。


生きることは当たり前ではない。
今日を1日、無事で安全に生きれることは当たり前ではない。
だからウガンダ人は(キリスト教が多いのもあり)今日一日の命に感謝し、祈りを捧げる。
本当にそうだなと思う。
今日一日、生きれてよかったと思う。
同僚や知り合いが健康で無事でありがとうと心から思う。
生きていてほしいと思う。
死なないでほしいと思う。
今日も全員の顔を見ることができるということ。
日本ではなかなか感じなかった感覚だ。

死ぬ人が多いから可哀想
という発想にはならないが、
あまりにも死なない日本は確かに命のありがたみを感じる機会が少ないかもしれないなと思う。
自分の家族が、親戚が、職場の人が、友達が。
生きていることは奇跡だ。
運が良いだけなのである。

私がこの活動期間中に関わった人たちは、
何歳まで生きていられるのだろう。
日本にいる私の知り合いは
何歳まで生きていられるのだろう。

平均寿命に関わらず、
それは突然訪れる。
こっちの「待って」なんて聞いちゃくれない。

だからやっぱりなかなか難しいことではあるけれど、
その日1日を後悔ないように
いつ何があっても良いように
明日死んでもいいように
伝えたい人に伝えたいことは伝え
行きたいところに行きやりたいことをやり
過ごしたい人と過ごし
食べたいものを食べ
未練がないように過ごすこと。
「今日1日」を精一杯、懸命に、楽しく生きること。

そうしていざそういう時が来たら、
何も残すところがなく死んでいきたい。

自分の死生観を語る会みたいになってしまった。笑


正直どうしたって避けれない時は避けれないが、
できるのであればやはりウガンダでの任期中
そのような不幸が起こらないようにしたい。
とりわけ自分の不注意による死はできるだけ回避したいものである。

私だけでない。
願わくば、同期隊員みんなが
心身無事で帰国できますように。



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