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#032『ブラック・ドッグは裏口からしか入れない。やつらは下僕で、我々は永久に神なのだから』|ベッシー・ヘッドの言葉|Novel

Why did he call himself Black Dog and then give her such a terrifying picture of what a Black Dog was, she puzzled. How could a young man who had awakened such a quiet affection in her heart be himself so tormented and broken?
But how could Mma-Millipede understand all things? Apart from one or two missionaries and Gilbert, she had never known white people. She had never had to live with a twisted perverted mentality which pinned up little notices over a whole town that said: This town is for white people only. Black Dogs may only enter through the back door because they are our servants and we are God, permanently, perpetually. We are this way because have white skins, like peaches and cream. We don't smell like Black Dogs do and we are also very clever. We invented machinery. We, we, we.

When Rain Clouds Gather 1968

なぜ、マカヤはブラック・ドッグを名乗り、ブラック・ドッグのおぞましさを伝えたのだろう。マ・ミリピードはいぶかしんだ。心の中に静かな愛情を呼び覚ましてくれた青年が、どうしてこんなに苦悩し壊れてしまいそうな存在なのだろう。
しかし、どうしてマ・ミリピードにすべてが理解できよう。一人か二人の宣教師とギルバートを除けば、彼女は白人など知らなかった。町中に「この町は白人専用です」と書かれた紙を貼るような、捻じれて歪んだ邪悪なメンタリティとは、これまでの人生で共存することもなかったのだ。ブラック・ドッグは裏口からしか入れない。なぜなら、やつらは下僕であり、我々は永遠に、永久に神なのだから。我々は桃とクリームのような白い肌を持っているからだ。我々はブラック・ドッグのような臭いがしないし賢い。我々は機械を発明した。我々は、我々は、我々は。

1968年「When Rain Clouds Gather」(『雨雲のあつまるとき』)の一節。南アフリカでアパルトヘイトの地獄を見て、ボツワナの農村に亡命してきた青年マカヤと、敬虔なクリスチャンとしてボツワナの村で生きてきた老女の会話。彼女は、初めて青年の心の負荷すぎる闇と憎しみ、苦しみに触れて動揺する。青年が見てきたものは、彼女の生きてきた人生とあまりにもかけ離れていた。
このシーンでは、青年と作家ベッシー・ヘッドの姿が重なる。キリスト教が「支配者」によって利用されてきた歴史に対する強烈な嫌悪が、青年の姿を借りて吐き出されている最も激しい感情が爆発するシーンなのだと思う。

この前段には、あまりに強烈で苦しいシーンがあり、読者は涙なくして読めないであろう(と思っている)。なのであえて引用しません。
ちなみにわたしは、そのシーンが強烈すぎて涙流して読むし、悲しすぎて夢にまで見た。

作家ベッシー・ヘッドについてはこちらのマガジンをご参照

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