deep

するすると滑り落ちるように沈んでいく。ゆるやかに、そしてゆっくりと。全体的な色彩は薄く透きとおった水色で、その中に溶け込むように光が差し込んでいる。光はゆらめているようにも見え、鮮やかな光の反射がまるで万華鏡のような模様を作り出す。音はほとんどしない。かろうじて聞こえる音も膜を張ったように聞こえ、不快な感じはしない。心地よくゆるやかにすべり落ちていく。

男はその時道を歩いていた。その道は幹線道路に沿って設けられた歩道で、物々しいガードレールに囲まれて幅も広く、多くの歩行者で賑わっていた。男はどうやら駅に向かっているようだ。その日はうだるように暑い日で、男は額から大量の汗を落としながら、足早に駅へと急いでいた。この日は昼を過ぎても一向に暑さがおさまることもなく、道路も太陽に熱せられもやもやと陽炎がゆらめていた。こんな暑さでは外へ出ている人はまばらで、みな暑さで正気を奪われているように見えた。

男は急に角を曲がると、急いでいるのかことさら歩みを速めた。すると突然、男の姿が半身ほど道路にのめり込んだ。そして、すぐにもう半身もするすると道路に飲み込まれていった。すべてはあっという間だった。文字通り、男の体は瞬く間に道路に吸い込まれて、姿形が見えなくなってしまった。あまりにも急な出来事だったので、周りで見ていたものはおらず、男は誰にも気付かれることなく静かに道路に消えていった。

道路の中は液体のように滑らかで、まるで海の中のように男には思えた。自分がかつて歩いていた歩道を見上げると、歩行者の足の裏が規則正く動いている様がみえ、まるで無数の虫が蠢いているようにみえた。男はようやく自分の身に起きたことを理解しはじめていた。俺の体に一体何が起きているんだ。どうにかこの事態から脱出できないものか思案もしたが、すぐに考えるのをやめた。だって、こんなこと起きうるはずがない。道路の中を沈むなんて、これは夢だ。俺は夢を見ているんだ。男はそうやって不安をかき消そうとした。

男の体は変わらず、ゆるやかに、止まることなく道路の中を滑り落ちていた。深度は次第に増し、光は遠く薄くなり、辺りは深海のような仄暗さを帯びてきた。男はもはや観念したかように大人しく事態に身を任せていた。俺はこのままどうなるのだろうか。このまま深く深く沈み続けるしかないのか。しかし、男はその思いとは裏腹に、心地よさも感じていた。道路の中は暑さはなく、程よい温度で快適だった。周囲は液体のようにゆるやかで包み込まれるような柔らかさが肌を通じて感じられた。男はこのまま眠ってしまいたいと思いはじめていた。不安に葛藤しつつも、男はゆっくりと目をつむり、完全に身をまかせる決心をしたように見えた。男は次第に光の届かない、暗い暗い奥底へ吸い込まれていった。深く深く沈んでいった。そしてついには、男の姿は暗闇と同化してまったく見えなくなった。

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