人が鬼に還る時代。角を持ったヒトの世界観
弱い身体で長生きすることよりも、強く頑丈な身体で太く短く生きたいと思いませんか?
老いて生産活動がおぼつかなくなって下の世代にもたれかかることや、病や故障をながく引きずることは誰しも不本意なはず。
しかしヒトという生物は、初登場から現代にかけて代謝率を半分まで落としました。筋力や治癒能力とひきかえに長寿を手に入れ、今現在もテクノロジーでもって平均寿命を伸ばし続けています。
そして人体は脳の耐久年数を上回ってすらしまった。
これは自然な動物の在り方ではありませんが、文明に依存して進化していくことは不自然な生命活動を追求していくことに他ならないのです。
科学文明は自然界の不幸を克服する一方で新たな苦しみを生みかねませんから、文明の発展をよろこぶ人間ばかりでないことは明白です。
「自然な生命体」に戻りたいと願うことは、地球に生きる動物として当たり前のことではないでしょうか。
そして人間が文明を捨て去る時、ヒトは「高代謝・高性能」な身体を取り戻します。
原始人に戻るということではありません。
人工物を身にまとう文化や体毛減少にともなって進化した衛生観念はそのままに、巨大なツノと巨体、そして時に真っ赤な肌の色を手に入れます。
なぜホモ・サピエンスがおとぎ話に登場する「鬼」のような体質を手に入れるのか?
本記事では角を手に入れた未来人を便宜上「鬼人種(デーモノイド)」と名付け、そこに至る理由を解説します。
「科学が人類を滅ぼす前に、ヒトは原始に回帰すべきではないか」
こんな価値観のラスボスを何人か知ってるのではないでしょうか。
『自主退化』という思想ですが、これもまた未来人の可能性の一つ。
文明社会の果てを絶望視する人間は一定数おり、現代の創作物では頻繁に取沙汰されるテーマです。
しかし、1万年の文明生活で倫理や哲学観念、高度化した感性を身につけた人類が昔とまったく同じ野生生活を取り戻せるかというと無理のある話。
そのうえ近代テクノロジーに頼らず地上で最も強い動物にならなければなりません。
そこで人類は初期ヒト族以上の筋力と巨体を手に入れたうえで、
・機能性の低い髪型や衣服の代わりに個性を演出でき
・運動しても形を崩さず、目につくところに存在し
・強さや美しさの象徴足り得る
身体の部位が必要になるわけです。
そして人類はツノを手に入れた。
それは『中実角(ちゅうじつづの)』と呼ばれる種類の角で、空洞も骨芯もない角質(ケラチン)繊維の塊。
毛と同じ材料であるため、頭部の髪の毛が生える範囲に存在します。
構造上小さな傷程度ならすぐに修復され、子供のうちなら折れても簡単に再生します。
放置していればどんどん肥大してイビツになっていきますが、そこが個性の見せどころ。丹念に手入れして美しさ(形状、質感、大きさ)を競います。
狩りや闘争の邪魔にならず、個人のファッションセンスをアピールするにはピッタリ!さらには頭部を保護する機能すら備えるわけですが、さらにさらに優等個体のアイコンとしても機能します。
なにせその個体がいかに優れているかを象徴するわけですから、異性争奪戦に負けた際に折られてしまうことは明白。
すると長い時間をかけてまた角を育てなくてはいけませんので、折れている間は婚活がままなりません。
また、生物として強い進化を遂げた鬼人種は集団を統率するために序列に強いこだわりを持たなければなりません。すると、巨大な角を維持し続けていることがわかりやすい強さの指標になるわけです。
こうして種内競争を激化させることで、いつでも優秀な個体が子供を増やせる環境を維持していくのです。
鬼の肌がなぜ赤くなるのか
高い代謝率を取り戻した人類は交感神経が発達するため、興奮すると肌が一瞬で紅潮します。
この現象は血液が内臓から筋肉に瞬時に巡るために起き、即座に臨戦態勢をととのえる意味があるわけです。
紅潮は発汗をともない、さらに血液を表面近くに回すため優れた放熱性を発揮。このため露出が多く質素な服装を好むのです(この生態が衣服でお洒落をする文化を失墜させるので、角でお洒落をする意味を大きくします)。
くわえて高い代謝率はすぐれた治癒能力をも人体に与え、つよい生命力を獲得するに至ります。
高度科学が失われ自然本来の豊かな環境を取り戻したうえに温暖化によって熱帯地域が拡大した未来の地球は、他生物との生存競争が激化するため非効率でも高い戦闘能力を獲得しなければいけないわけです。
すると鬼人種は、凄まじい代謝能力によって駆動する長い筋繊維(現生人類比で2倍以上!)を獲得。
その筋肉から生じる筋収縮は極めて強力で、(実力に個体差は大きいものの)あらゆる動作で軽く4倍は超える筋力を発揮でき、まさに現生人類が太刀打ちできない戦闘能力を実現します。
さて、「巨体で賢くて強壮な筋骨を持つ人種」といえばかつて我々の祖先と同じ時代を生きたクロマニョン人がいます。
自然界を生きる上で高代謝というのは環境の変化にいちじるしく弱く、巨大生物が豊富な環境でないと餌に困るので生存できません。べらぼうに強かった彼らは、狩りのために精密な武器をつくりはしましたが畜産や農耕までは発明できず、マンモスの絶滅をうけて餓死しました。
鬼人種もまた同じ道を辿りうるでしょうか?
それは恐らくありません。我々現生人類の時代を通過した彼らには農耕や最低限の社会意識があり、最低限の技術を継承できる好奇心が備わっているからです。
鬼人種が至る世界観
さて、これらの生態から鬼人種の巨体は狩りや農耕だけでなく闘争にも用いられることがわかりました。
そう、鬼人種は中世以前まで退行した生活レベルに野生動物の如き闘争文化を併せ持つ「侍」のような人種なのです。
活動時間の多くが巨体を維持するための食料確保に追われるうえ人生も短い(寿命はおよそ30~40年)、高代謝生物の宿命で活動範囲もそう広くないためある水準から文明の発展は望めませんが、地上において鬼人種に太刀打ちできる生物はいないため問題ではありません。
一定の文化レベルの生活を延々と繰り返していくため、江戸時代の再現のように平和な時代が続くこと請け合いです。
時々戦争や革命が起こっても大丈夫、技術レベルの高くない鬼人種がいくら大規模な戦闘を行っても人類を絶滅させるほどの影響力はありません。
それよりも動物本来の社会性と生存本能を取り戻した彼らは、自分の血を残すことに強く執着します。
自然に再適応したために増えすぎた人口が地球環境に最適な規模まで数を減らすので、自分の血族を繁栄させる意義がとても大きくなるのです。
鬼人種がたどり着く世界観とは「家族と闘争を愛する動物本来の価値観を取り戻した人間」です。
それは社会構造が単純で義理人情に支配されていた頃の古き良き感性に近いものがあります。
当然です、なぜなら鬼人種は自爆的な文明や果てなきテクノロジーに見切りをつけ、これまでの人類史の中でもとりわけ豊かだった価値観を再興し継続する決意を生物進化に取りこんだ人種だからです。
鬼人種の祖先足り得るのは身体を動かすのが好きで、競争意識が高く、自然を愛する人間なのでしょう。
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