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映画『梟-フクロウ-』感想 暗闇が照らす真実

 エンタメとしても、政治的メッセージとしても隙がない良作。映画『梟-フクロウ-』感想です。

 17世紀の朝鮮王朝、盲目だが腕の立つ鍼医のギョンス(リュ・ジュンヨル)は、その腕を買われ、宮廷で働くことになる。盲目の新人医を、周囲の人間は軽んじるが、病身の弟を抱えるギョンスは懸命に働き、その腕前を認められるようになっていく。
 そんな中、清国に囚われていた王の子、世子(キム・ソンチョル)が宮廷に帰還する報せが入る。宮廷に祝福の空気が溢れるが、父親であるはずの王(ユ・ヘジン)の表情は明るくない。やがてギョンスは宮廷内の大きな陰謀に巻き込まれる事となる…という物語。

 長年、助監督を務めて、51歳にして今作で長編デビューを果たしたアン・テジン監督による映画作品。脚本も監督が書いたそうですが、デビュー作にして、韓国国内では数々の映画賞を獲得し、軒並み高評価だそうです。日本でも、上映規模は小さいながらも、公開直後から絶賛の嵐となっています。

 宮廷内に渦巻く陰謀という舞台は、いかにもスタンダードな時代劇ですが、そこに主人公のギョンスが盲目であるという設定を加えることで、斬新な物語にしています。こういうスタンダードな設定で、アレンジを一工夫するというのが、韓国映画は非常に巧みですね。

 加えて、明言するのは避けますが、ギョンスの盲目にも、ただ「見えない」というだけではない症状があることで、特殊能力のようなものに仕立てあげています(この症状も実際にあるものらしいです)。
 その特徴を使ってギョンスが大活躍、というわけにはいかず、むしろそれがある故に逃げ回らなければならなくなるという立ち回りで、スリリングな展開にしているのですが、そのエンタメ作劇もとても巧みなもので、久々にハラハラしながらの映画を観るという体験となりました。

 そして、そのエンタメ要素を満喫させつつも、きっちりと映画的な社会メッセージもある作品になっているんですよね。権力者の不正行為を目撃してしまったことにより、ギョンスがどう選択するかを迫られるドラマになっていくんですけど、声を挙げるか、見て見ぬ振りをするかという選択は、非常に現代的なテーマで、韓国のみならず、どこの国の人間にも当てはまる問いかけになっています。

 その「悪事の目撃」「見て見ぬ振り」という責務を、視覚障害者の主人公に負わせるというのも、とてつもなくシビアな脚本メッセージになっているように思えます。韓国映画が持つ、ある種の「容赦の無さ」みたいなものが活かされているように感じられます。

 人物配置もよく出来ているんですよね。序盤でのギョンスを指南してくれる先輩(パク・ミョンフン)のコメディ面での活躍や、世子様の子ども(イ・ジュウォン)を、病身の弟に重ねて行動動機にするのも、巧みな脚本です。
 清国の使者の態度を描くことで、王側の人々が権力に固執している理由も、きちんと描かれています。こういう隙の無さが、韓国映画の質の高さを証明しているように思えます。

 オープニングシーンで、後半のクライマックスシーンが差し込まれていますが、ここでの日の光も、オープニングで見るのと、本編で見るのとでは、意味合いが全く違って感じられます。主人公が何を感じているかが際立って観客に伝わる効果があると思います。

 ただ、広告のメインビジュアルにある眼前に鍼を向けられているポスターは、この映画の本質とはちょっと違うものですよね。確かに劇中で出てくる1シーンではありますが、ハラハラさせるためのエンタメ効果を狙ったもので、核となる場面ではないものです。何より、ダリオ・アルジェント監督作品みたいなジャッロ映画かと思っていました。暴力の方に「容赦の無さ」を振り切った韓国映画かと(ちょっとその方面も期待していましたが)。

 結末も非常に韓国映画的というか、日本映画の感覚ではまず描かれないような終わり方です。もう少しヒューマンドラマ寄りの方が好みではあるのですが、この辺りは民族性の違いもあるかもしれません。

 市井の人間が、何かを変えるには今作の事件は荷が重すぎるし、現代社会においても、それは変わりないと思います。ただ、変える力が無いわけじゃないということで、あの結末になっているようにも思えます。そして、1人の小さな一般人に、社会の悪に対する責任が無いわけでもないということを教えてくれているようでもありました。


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