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映画『笑いのカイブツ』感想 視野狭窄な青春

 板橋駿谷さんのオードリー春日的演技が絶品、物語本編には関係ないけど(そこも含めて春日さんぽい)。映画『笑いのカイブツ』感想です。

 社会性がなく、人間関係が不得手な青年・ツチヤタカユキ(岡本天音)は、大喜利番組のネタ投稿を唯一の生きがいとしていた。毎日ネタを生み出す日々を送り、5秒に1つ大喜利の答えを考えるという狂気のトレーニングを繰り返したツチヤは、お笑い劇場に持ち込みをして、ついに作家見習いとしてお笑い業界に足を踏み入れる。だが、ストイックに笑いを追究するツチヤを周囲の人間は煙たがり、ツチヤもまた、笑いに入れ込まない周囲の人間を拒否し続け孤立していく。絶望を繰り返すツチヤを救ったのは、東京で活躍するベーコンズというコンビのラジオ番組。ツチヤはその番組のハガキ職人として注目され、ベーコンズの西寺(仲野太賀)の呼びかけに応じて上京を決意する…という物語。

 オードリーのオールナイトニッポンで、「伝説のハガキ職人」として知られるツチヤタカユキさんが綴った同名の私小説を原作として、滝本憲吾監督が映画化した作品。滝本監督はこの作品が長編映画デビューとなるそうです。

 ツチヤタカユキさんは、オードリーの若林さんのエッセイの中でも触れられていたので、その存在は認識していました。作中のエピソードにもなっている「人間関係不得意」という言葉は特に印象的で、それを個人的に注目している役者である岡山天音さんが演じるということで観てまいりました。

 若林さんのエッセイで読んだ時は、ツチヤタカユキさんを内向的でいわゆる人見知りな男性という印象で想像していたのですが、少なくとも今作の主人公としての「ツチヤ」は、もっと攻撃的な人間という風に描かれています。内向的ではあるけれど、その外側を棘で覆い隠しているかのようでした。「いい人」演技の多かった岡山天音さんのこれまでのイメージを覆して、演技の幅の広さを見せつけるものになっています。

 物語は、お笑い業界の裏側を描くとか、放送作家の仕事を描くということよりも、ただただツチヤという人間をフォーカスした作りになっています。だから、若者がこの業界を知って参考にするというようなものではないんですよね。5秒に1個ボケを考えるなんて荒行は、いくら笑いにストイックだとしてもやるべきものでもないと思います。

 この作品で描かれるツチヤという男性は、破滅型のアーティスト、夭逝するロックスターの伝記映画として描かれているように思えます。実際にニルヴァーナのカート・コバーンを崇拝しているようだし、血尿が出るまでストレスを溜め酒に溺れる姿は、バンド映画でよく観られるパターンのようになっています。日本のドラッグ規制がもっと緩かったら、恐らくクスリにも手を出していたかもしれません。

 ただ、その姿を「孤高のカリスマ・ツチヤタカユキ」として持ち上げているわけではなく、ただひたすら、のたうち回る姿として描いているところが今作のポイントですね。10~20代の頃は、何かしらの面で必ずのた打ち回る時期でもあるし、ツチヤほど極端ではなくとも、誰しもが必ず身に覚えのある姿に共感できるものだと思います。ツチヤの人生や価値観を極端で非常識なものとして描きつつ、感情移入させることに成功しています。
 それでいて、その姿を肯定するのではなく、やや否定的なスタンスでいるように感じられます。この辺りは、原作者のツチヤさん本人が、そのようなスタンスで書いているからなのかもしれません。

 社会に居場所を見出せなかったツチヤが居場所を求めて、徐々に自分の居場所を狭めてしまうという物語なわけですけど、あまりにもツチヤ1人の視点のみで話が進むので、ツチヤと同じく作品自体が視野狭窄を起こしているようにも思えます。もう少し周囲の人間を描くことで、ツチヤの人生を観客に俯瞰させる要素があっても良いように思えました。

 ツチヤが、ベーコンズの笑いに入れ込む理由とか、そもそもお笑いにハマった原点などは描かれず、常にツチヤの視界の狭い人生でどんどん進むので、VR映像に酔ってしまうような感覚がありました。周囲にいたピンク(菅田将暉)やミカコ(松本穂香)といったキャラも類型的な役割しか果たしていないものになっています。ただ、クライマックスでピンクがツチヤに投げかける言葉の本気度は素晴らしいものがあります。類型的キャラの中できっちりと役割を果たす菅田将暉さんの演技は流石のものでした。

 ラストの描き方も、ちょっと「言葉足らず」ならぬ、「演出足らず」に思えます。またネタを書き始める姿は、もちろん再起に向かうのを意味していますが、以前・以後で何が変わったのかがきちんと描けていないようにも思えます。おかん(片岡礼子)が自分の言葉で笑ったことで、「他者を笑かす」という大原則を思い出したよう見えるし、ネタ書きながら頭を打ち付けていた壁に出来た穴は、ただの隣の部屋に通じる穴だったという描写があるので、今までとは違うものとしているのかもしれませんが、また、ただひたすらに打ち込む人生へ埋没していくようにも見えます。

 現在のツチヤタカユキさんは、新喜劇の作家を務め、新作落語を創作するなど、きちんと精力的に活動しているそうなので、そこに繋がる部分を思わせるようなラストにして欲しかったようにも思えます。

 だけど、自分がオッサンになってしまったから、「このやり方は良くない」と思うのであって、若い創作意欲を持つ人々は、剥き出しの魂をぶつけるような行為が共感を呼ぶのかもしれません。そういう意味では正しく青春映画になっているのでしょうけど、この主人公のように苦悩して自分を追い詰めなければ創作をする資格はないとか考えるのだけはやめた方が良いと思います。


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