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映画『かそけきサンカヨウ』感想 変化する過渡期の美しさ


 眩しいくらいの清廉潔白さ。映画『かそけきサンカヨウ』感想です。

 高校生になる国木田陽(志田彩良)は、幼い頃に母親が出て行き、父親の直(井浦新)と2人暮らしで、家事全般を陽がこなしていた。ある夜、陽は直から、結婚したい人がいると告げられる。2人での暮らしは終わり、再婚相手の美子(菊池亜希子)と連れ子のひなたとの4人生活が始まるが、陽は新しい暮らしと家族に戸惑いを隠せない。陽は、同じ美術部で幼馴染の清原陸(鈴鹿央士)にその戸惑いを打ち明けながら、少しずつ今の家族を受け入れていく…という物語。

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 窪美澄の短編小説集『水やりはいつも深夜だけど』に収録された同タイトルを原作とした映画。監督を務めたのは、今年公開された『街の上で』(大傑作!!!)も記憶に新しい、今泉力哉監督。今泉監督は、追いかけるのも大変なくらい多作ですが、ちょうど公開終了間際、ギリギリのところで都合がついたので、観ておこうと赴きました。

 恋愛映画が多いのに、恋愛の綺麗ではない部分を描くのが今泉監督の特徴ですが、今作ではかなり素直に綺麗な青春映画となっています。原作小説がそうだからかもしれませんが、『愛がなんだ』『街の上で』と比べると、物凄く全うに美しい青春を描いているので、少し意外でした。

 物語のメインは主人公の陽ではあるんですけど、陽が大人になる過程と共に、陸が大人になる過程、既に大人になってしまっている同級生の鈴木沙樹(中井友望)と、それぞれの違いを対比させているのが、この作品の本質なんだと思います。

 陽が大人になる過程(家族を受け入れる過程)は、序盤ですぐに過ぎて、その後は陸が大人になる過程がメインとなっているんですね。この過程が時間差により少しズレているのを、恋愛のすれ違いのように描いているように感じられました。
 陸は、陽と沙樹の間でふらついてしまう男子なので、下手をすれば物凄く感じ悪い男になってしまう可能性もあるんですけど、鈴鹿央士くんの可愛らしく清潔なルックスではそういうキャラにはならないんですよね。この辺りも作品の素直な雰囲気に凄く効果があると思います。

 陽と陸が素直に大人となっていく一方で、沙樹は2人を外側から俯瞰して理解しているキャラなんですけど、これが裏の主人公のような位置付けというか、今泉監督らしいキャラクターに感じられました。
 沙樹は2人と違って、既に大人になっているキャラだと思うんですけど、やや貧しい家庭状況によって、自立しなければならなかった子どもなんですよね。もちろん、陽は父親の再婚、陸は心臓の手術と、それぞれで大きな変化や悩みがあるので、3人ともそれぞれ別個に抱えているものがあるという描き方なんですけど、心の成長だけではどうにもならない格差みたいなものが、ここで描かれているように感じられました。

 その象徴が、陸と沙樹が雨の中、公園のバスケコートでする会話のシーンだと思います。陸が差した傘で相合傘になるかと思いきや、すぐに沙樹が自分の折り畳み傘を差すシーンは、遠慮程度ではあるんですけど、はっきりとした拒絶とも取れます。その後の陸の愚痴っぽい悩みの吐露に対しても、受け入れるのではなくハッキリと否定的な意見を述べるのも、自分の意思としての大人な態度ですね。
 ただ、その後で沙樹がバスケゴールに投げたシュートは届かずに、「下手かよ」という自嘲の台詞で終わるというシーン。ここに沙樹という人間の淋しさみたいなものが凝縮されているシーンになっているんですよね。ここ、すごく今泉力哉監督の映画という感じがして、とても良い場面になっています。

 主演の志田彩良さんの、少女の可愛らしさが、大人の美しさへと変化していく過渡期という感じが、この物語にすごくマッチしていたと思います。鈴鹿央士くんにしても、少年性がまだ残っている雰囲気も、今しか撮影できないタイミングでの出演作品になっていますね。

 こういう清潔感のある青春って何となく10代の頃に憧れた理想的な空気ですね(そもそも井浦新と菊池亜希子が夫婦という組み合わせがユートピア感を醸しています)。実際の10代って、色んな部分で不潔で汚いものだと思うんですよ(僻みかもしれませんが、多くの人はそうであるはず)。そういう意味では、リアリティは無いと思います
 ただ、そういう理想を描いたものでも、綺麗だと受け入れられるくらいに、自分は既にオッサンになっているんだと思いました。こういう空気に憧れる10代の当事者、10代は彼方に過ぎた年配者は楽しめて、まだ10代の記憶が生々しい少し大人になった世代は受け入れにくい作品かもしれません。美しく脚色して描いた、絵画のような作品でした。


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