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映画『カラオケ行こ!』感想 原作実写化の教科書的傑作

 どの配役も完璧ですが、回想シーンに登場するヒコロヒーさん、綾野剛の母親にヒコロヒーという配役が絶妙で、思い付いた人を絶賛したい気持ち。映画『カラオケ行こ!』感想です。

 中学生で合唱部の部長を務める岡聡実(齋藤潤)は、突然現れたヤクザの成田狂児(綾野剛)にカラオケに誘われる。ビビり倒す聡実に、狂児は歌のレッスンをして欲しいと頼み込む。組長が主催するカラオケ大会で、最下位になった者への罰ゲームを免れるため、歌が上手くなる必要があるという。狂児が選ぶ勝負曲はX JAPANの『紅』。嫌々ながら指導をする羽目になった聡実だが、変声期を迎えている自分の歌声にも悩んでいる…という物語。

 和山やまさんによる大ヒット漫画『カラオケ行こ!』を原作に、『逃げ恥』『アンナチュラル』で知られる野木亜紀子さんが脚本に、『リンダ リンダ リンダ』『リアリズムの宿』などを手掛けた山下敦弘監督というタッグで映画化となった作品。
 原作はブロマンスの雰囲気があり、BL要素で熱狂的人気がありましたが、その層からも同様に熱狂的に絶賛されていて、原作映像化のマリアージュ的作品として評価されています。
 
 原作は話題になった際に読んではいたんですけど、面白く思うと同時に、どこかノリ切れない部分もあったんですよね。ヤクザと中学生のブロマンスというのは、マンガフィクションであるというのを前提にしても、「道義的にどうなの?」とモヤモヤしてしまうんですよね。聡実くんよりも狂児の方からのアプローチが強めなので、実質的にはヤクザの強迫と変わらないと思ってしまいました。
 基本的にヤクザもの映画は好きなんですけど、良いヤクザというものはあり得ないと思っています。「ヤクザは本質的にクズである」という大前提があった上で、ドラマ作りをしているヤクザものが好きなんですよね。
 
 そういったのもあり、実写映画ではその部分がよりリアルなものになってしまい、観てられないんじゃないかと思っていたんですけど、山下敦弘監督に野木亜紀子さん脚本という布陣に、ただならぬ本気度を感じてチェックしたところ、もはや職人芸とでも言うべき完璧な映画化作品になっておりました。山下監督の名作音楽青春映画『リンダ リンダ リンダ』に連なる傑作だし、野木さん脚本としては深夜ドラマの『コタキ兄弟と四苦八苦』に連なる、オフビートコメディの傑作だと思います。
 
 原作では、狂児の独特な人懐っこさ、そこからのヤクザ的側面のギャップなどをボケとして、聡実くんのモノローグによる心の声がツッコミという役割になっているんですけど、今作ではそこをすっぱりと切っており、シチュエーションのボケに対して、聡実くんの表情だけでツッコませています。
 この改変が映画としては大正解なんですよね。くどくどした説明にならずに、観客側が自分の心の声でツッコミを入れるという映画の快感が生まれています。原作ファンはもちろんのこと、原作未読の観客にもそれが伝わるように出来ているし、むしろその快感は原作未読の方が強いかもしれません。
 
 狂児という難しい役を演じた、綾野剛さんのバランス演技も見事なものでした。ともすればただのショタコンヤクザになり兼ねないキャラなんですけど、絶妙な匙加減で「近所の気の良い兄ちゃん(けど、ヤクザ)」という範疇に留めています。
 この辺りは、聡実くんと後輩の和田くん(後聖人)と中川さん(八木美樹)が揉めている姿を、狂児がからかうという、原作にないシーンがあるのも大きく活きています。2人の関係を、そこまで過度に恋愛的にならずに、それでいて2人だけの関係性というものを漂わせる絶妙な巧さがあると感じました。そこはかとなく匂わせるという余白さえあれば、原作ファンは萌え上がることが出来るようで、まんまと目論見は成功していると言えるでしょう。『紅』の英詞部分の訳を、2人の関係性に見立てているのも、本当に絶妙。
 
 原作ではフォーカスされなかった、聡実くんの家族や合唱部の面々などもちゃんと役割を与えています。中でも原作にはない「映画を見る部」の栗山くん(井澤徹)との巻き戻しが出来ないビデオを観るというやり取りが、まさしく今作を映画たらしめているシーンになっています。戻れない青春時代の真っ最中を聡実くんたちが過ごしているという表現になっているんですよね。
 まあ、強豪合唱部の割には、部長である聡実くんが練習をサボリ続けているのに、理解があり過ぎるのは気になる部分ではありましたが、何となく顧問の森本先生(芳根京子)のキャラが、そこに説得力を持たせているようにも感じられます。芳根京子さんは『コタキ兄弟の四苦八苦』以来の野木亜紀子作品参加ですが、こういう空気感を作るのに大きな役割を果たしていると思います。
 
 クライマックスの歌唱シーンも原作そのままですが、満を持してのシーンとなりわかっていてもグッとくるものがありました。特にラストで声が掠れていく姿には、昨年逝去したチバユウスケがミッシェルの解散ライブのラスト曲『世界の終わり』の終盤で声が掠れていく姿を重ねてしまいました。ある時期が終わるという演出になっています。
 
 個人的には、エピローグは無くても余韻が残る好い作品になったとは思います。その方がヤクザ映画としての完成度は高かったかもしれません。でも、あそこがないと流石に原作ファンが「なにワシらのシマ荒らしとんじゃ」と黙っていなかったでしょうね。原作よりもマイルドに距離感がある感じだったので、この辺の改変加減も絶妙でした。
 
 原作が持つ魅力をそのままに、きちんと必要な意味のある改変をした、幸福な実写作品だと思います。こんなにも魅力的な原作映像化も可能であるということは胸に留めておくべきものです。
 奇しくも公開直後に、昨年ドラマ放送された漫画作品の原作者が自死するという悲劇が起こり、この作品を成功例として挙げられる哀しい際立ち方をしているように思えます。今作とは別な話になってしまいますが、『セクシー田中さん』の原作漫画家・芦原妃名子さんのご冥福をお祈りいたします。


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