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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第1章

 限りない静けさの中から、ご挨拶申し上げます。
 お姉さん、お元気ですか? ――突然のこの手紙に、さぞ驚かれたことだろうと思います。日本語で文字を書くということが、何しろすごく久しぶりなもので、ところどころ字を間違えていたり、言い回しのおかしなところがあるかもしれませんが、どうかお許し下さい。
 ――封筒の刻印にChartreuseとあり、お姉さんも何のことかといぶかしく思われたことでしょう。これはシャルトリューズと読み、修道院の名称です。
 
 私はベッドの上で座り直した。ぶ厚いマットレスが少しきしむ音を立てた。
 
 そう。僕はいま、修道院にいるのです。
 観光で立ち寄っているわけでも、体験として短期間滞在しているわけでもありません。僕は修道士として、今年の春から正式にこのグランド・シャルトリューズ修道院に迎え入れられたのです。
 僕は五年前に、カトリック信者となるべく洗礼を受けました。そしてすぐ修道士になりたいむねを地区教会の司祭に伝え、さらに二年の修練期間を経て、法的な手続きを終えました。三年間の有期誓願をし、三年を経てそれ以降の生涯をここで過ごす決意が固まったなら、公式誓願を宣立することになります。ここまで読んだ時点で、再び驚かれることでしょうね。お姉さんのびっくりした顔が目に浮かぶようです。……もっとも、三十年以上会っていないので、僕の記憶の中の顔でしかありませんが……。
 修道生活に入ってからも、お姉さんのことだけは毎日のように思い出します。俗世にまったく未練はないのですが、お姉さんは僕にとって、僕という人間を構成するのような存在なのでしょう。礼拝堂でほかの修道士たちと祈る時間にはすべてのことを忘れられますが、個室に戻ってこうして独り黙想を続ける時間が来ると、僕はお姉さんのことを考え始めずにはいられません。
 一度、そのことを修練長に相談しました。修練長はとても寛容な方で、そして心の優しい方です。僕たち新入りの修道士の世話役という立場で、修道生活にうまく馴染なじめているか、辛い思いをしていないかと毎夜様子を見に個室を訪ねて下さるのです。
 修練長は僕に言いました。お姉さんに向けて手紙を書くようにと。
 シャルトリューズには世界各国から来た修道士が暮らしていますが、日本人は僕ひとりです。極東出身の、しかも生来のキリスト教徒でない僕を修練長は特別気にかけて下さっているみたいで、僕の信仰心が揺るがないようにいつも支えになろうとして下さいます。
 修練長は言いました。「自分の国の言葉で、思いのたけ・・を全部書き出してご覧なさい」と。僕は最初からフランス語で聖書を読み、フランス語で祈祷文きとうぶんを読み上げてきました。ラテン語の祈祷もずいぶん読み上げられるようになりましたが、修練長が言われるには、僕の根本的な部分にはまだ何かに対するひとかけらの〝執着〟があり、これからさらに深い信仰生活に入っていくためにはその部分を神にゆだねることができるようにならなければならないということでした。
 僕はそれを手放し、神に委ねる準備ができるようにするために、毎日個室での霊的読書レクティオ・ディヴィナの時間の半分を使って、お姉さんに向けて手紙を書くことを許されました。そしてさらに、修練長はその手紙を、日本にいるお姉さんに送ってあげようとまで言って下さったのです。
 修道院では修道士たちはメールやインターネットは使いません。テレビを観ることもなく、外界とは遮断された生活を送ります。かと言って世界の出来事をまったく知らないというわけではなく、必要だと思われる情報は食事の時間などに修道院長が口頭で伝えて下さいます。僕がここに入ったばかりのころに体調を崩し、いまでは個室で寝たきりの生活を送っている八十八歳の修道士がいるのですが、彼は十代で修道生活に入ったにもかかわらず、ちゃんと第二次世界大戦のことや冷戦が終結してソ連が崩壊したことも知っていました。
 こういった生活に不便は感じていません。むしろこれまでのほうが余計な情報が多すぎたというように思います。毎日毎時間めまぐるしく発信されるニュースや生活の中でのさまざまな選択、人間関係の上での迷いや悩みごと……。ここではそれらすべてにわずらわされることがありません。
 おそらく僕がもっとも求めていたのは、こういうことだったのでしょう。いまここでの暮らしは、きっと僕が僕らしくあることのできる究極の状態なのではないかという気がしています。ただ、この生活を完全なものにするために対処しなければならないことがひとつだけあって、それがお姉さんのことなのです。霊的読書の時間の半分を使って手紙を書くことを許されたと言いました。霊的読書の時間は一日に三回、それぞれ一時間ほどです。ですから僕は初めの三十分この手紙を書き、残りの三十分を霊的読書に当てることにしました。今回送ることのできた最初の手紙が書き上がるまで、一ケ月ほどかかりました。日本語で心の中にあるものを吐き出せるって素晴らしいことですね! この作業をすることによって、日に日に自分らしさを取り戻せているような気がしています。ただひとつ心配なことは、お姉さんがこの手紙を読んでどう感じるかということです。何十年も音信不通だった〝弟〟が、突然手紙をよこして「修道士になりました」なんて報告してくるんですものね。
 幼いころの思い出が甦ります。それをよすがに、この手紙を読んでお姉さんが何を感じるだろうかということも想像できるような気がします。屋敷はあのころのままですか? 皆は変わりなく元気ですか?
 この手紙に返事をくれるかどうかは、お姉さんにゆだねたいと思います。とりあえず生存確認はできたと不問に伏して下さっても結構ですし、ただお叱りの言葉を書き送って下さっても充分です。
 では、今日はここまで。霊的読書に移ります。ここには興味深い書物が尽きることなくあります。蔵書量やタイトルなどを言うことはできないのですが、気に入って繰り返し読むであろう本を含め、ここには僕がこれから生涯に渡って読み進めていっても読み尽くせないほどの本があります。それは僕にとってこの上ない喜びです。
 
 お姉様、と締めくくられた言葉を見つめて、私はぽかんとしていた。
 我が弟の、長いあいだ行方知れずだった弟の消息がわかってほっとしたのは事実だが、しかしどうだろう。

 修道院にいるなんて。

 しかも、もう修練期間を終え、誓願を果たしているなんて。
 
 あまりにも突然のことだった。

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