思考論_第一章_のコピー

3-4|社会は溶け去り、マルチコミュニティの時代へ【1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法】

お金が信用という本質に回帰するように、社会もまたその姿を変えつつある。それは社会の最小単位である小さなコミュニティ(共同体)への回帰である。「ソサエティからコミュニティへ」。それが一つの標語となる(図31)。

✁ -----

たくさんの方に手に取っていただいた「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」(プレジデント社)。大反響を記念して、8/14限定で全文を公開します! 令和時代の生き方・働き方をぎゅっと凝縮した一冊です。

マイノリティこそ活躍できるようになる

 これまでの日本社会は単一価値観のモノ・ソサエティ(単一社会)であった。右に向いたら全員が右、左だと言えば全員が左を向かなくてはならなかった。高校から大学へ進学し、卒業したら会社に入ってやがて出世し、家を持ち家族を養う。暗黙の了解でそうした単一的な人生のレールの上を歩く生き方が良しとされていた。

 強烈な同調圧力が支配する一方でグローバル化は進み、様々な生き方を志向する人が増えてきた。結果、一つの価値観やライフスタイルで統一することは困難になってきた。

 これまでの王道を生きてゆく人をマジョリティと言うのであれば、王道から外れた生き方をしている人はマイノリティと言われる。

 今起こっていることはこのマジョリティとマイノリティの比率が逆転し始めているということだ。

 日本のマジョリティ層は、正規雇用労働者や従業員1000人以上の会社での勤務者、専門職、公務員およびその家族であり、マイノリティ層はニート(疾病ニート、コミュニケーション障害ニート、高学歴ニート等)、若年派遣労働者、LGBT、シングルマザー、独居老人、年収200万円以下の人たちである。車椅子を使う人や働いていないニートの比率も、中年を中心に急激に高まっている。LGBTQも実際には50種類くらいあると言われている。つまり性的な嗜好も多様化しているのだ。

 マジョリティとマイノリティの比率は今や、マジョリティが6だとすれば、マイノリティは4くらいにまでなっている。そのことによってマジョリティは日本全国を単一価値観のソサエティで治めることができなくなっている。

 マイノリティはそれぞれ小さなコミュニティを作り、今はそこで静かに時を待っている。ソサエティという大きな社会にくるまれたマジョリティとの戦いに備えて。

 ではこのマジョリティに対するマイノリティの革命はどのような変化を呼び込むのだろうか。

マルチコミュニティタテ社会からヨコ社会へ

 人々は「国家」や「企業」といった大規模単一価値観のソサエティの限界を悟りつつある。新しいコミュニティへの民族大移動が静かに、だが確実に進行している。
 それはタテ社会からヨコ社会へ、中央集権的な社会からネットワーク社会へのシフトと見ることができる。
 国や大企業に代表される中央集権システムは、図で表すと円錐のような形をしている。時間やお金を下から吸い上げて上から再配分するのが特徴で、すでにでき上がったマジョリティのシステムは基本的にこのような形をしている(図32)。

 これがいわゆるタテ社会だ。

 一方で、これから社会の中心となっていくネットワーク社会とはフラットな世界で、資源を吸い上げる機構としての円心がない。必要な資源をその都度、横に配分していく。個人間の直接のやりとりもあれば、そのフラットな世界の中でハブとして機能する個人やコミュニティも乱立することになる。これがヨコ社会だ。

 現時点でヨコ社会の住民は主にタテ社会のスキームに収まらないマイノリティが占めるが、いずれヨコ社会が経済の中心を担うようになる。
 タテ社会とヨコ社会では何もかもが違うのだ(図33)。

 世の中に存在するタテ社会が今後、自己変革を迫られていくのはもはや必然である。その理由はタテ社会の非効率な生産性にある。

 たとえば大企業の多くが新しい世代のIT企業に勝てないのは、無駄なことに時間を割く文化を捨てられないからだ。図34を見れば、代表的な我が国の大企業の生産性が海外企業に比べて低いことがわかる。

 社内の話だけではなく、外部のサプライヤーに対してのコミュニケーションコストも含めれば、企業によっては全体のコストの7割はコミュニケーションコストで、純粋な生産コストは3割ぐらいしかない。

 先日、私たちはある大手企業に事業分析のアルゴリズムを納品した。そのアルゴリズムはコンサルティングファームのパートナーとAIのエンジニア、そして何人かの数学が得意なメンバーを土日に集めてスピーディに開発したものだが、一番苦労したのはそのアルゴリズムを導入してもらうまでのクライアント対応だった。

 膨大な資料を作って、20人くらいを前に、当たり前のように「機械学習とは何ぞや?」というレベルからくり返し説明をしないといけない。これでは対等なパートナーシップは結べないし、効率的な仕事もできない。

 今、私は自分のクライアントに対して、少しでも出資提携をするようにしている。わずかでも株主になれば対等な関係になれるので、それだけでかけるコストが7割とは言わないものの、5割は減らせるからだ。コミュニケーションを取るためだけの無意味な資料を作る必要がなくなれば、空いた時間で本質的な価値創造に専念することができる。

 タテ社会の住民は少しずつだが、ヨコ社会にシフトしていかねばならないだろう。

ヨコ社会のルールと生き方 ~お金は通用しない~

 ヨコ社会で生き抜くためのルールをもう少し詳しく説明しよう。

 タテ社会ではお金が重視されるが、ヨコ社会では常に信用や文脈が重視される。

 お金(数字)という言語は、衣(医)食住を満たす領域で有効だった。なぜならそれらは必需品であり、一つひとつの製品・サービスに独自性を求められないからだ。

 しかし経済が進み、人々がつながりや承認欲求といった社会的欲求を求めるようになると、お金ではその欲求が満たせなくなる。それよりもこれまで述べた通り、文脈が求められるようになるのだ。

 特にヨコ社会のやりとりでは信用がお金を駆逐する。コミュニティの中ではなく、コミュニティとコミュニティの間でやりとりされる(価値観の違う人とのコミュニケーションに使う)のがお金なのである。

 コミュニティの中では原則、お金が必要ないと考えられる。理想的なコミュニティの仲間は、家族間の関係を拡張したものだ。家族間でお金を使用してコミュニケーションを取る必要はない。

 コミュニティの中ではお金の代わりにシェアや貸し借りなど、信用を中心とした経済システムが有効に働く。そしてお金を使わないということは、「文脈の毀損」を防ぐことができ、健康的で心地の良い生活が送れる。それが、コミュニティが貨幣経済に関する問題の解決策となる理由である。ここにきてお金の問題と社会の問題の対立構造は解決し、ウェットな人間関係が構築される。

 ただし、コミュニティの外にはお金を使うことになる。異なるコミュニティ同士のコミュニケーションの手段ということである。お金の役目は残しつつ、お金を使う主体は個人からコミュニティに移行していく。

 またそれらを下支えするのは、もはや国家ではなく、ブロックチェーンベースの仮想通貨やトークンといったテクノロジーに変化する。

多層的なコミュニティの幕開け

 社会がコミュニティへと分化してきた背景についても考えてみよう。

 世界は長らく国境によって分断されてきた。ビジネスの世界も企業体単位で戦うことが常識だった。

 そうした「断絶の時代」に風穴を開けたのがインターネット。ウィンドウズが出てきたあたりからインターネットという世界への扉が開き、グーグルの登場やグローバル資本主義の台頭で世界は「遍在かつオープンな時代」へと入った(図35)。

 そして近年、フェイスブックやインスタグラムなどによる「仲間分け」が起きた。個人の社会的なつながりや信用がコミュニティ内で溜まっていき、レーティングの対象となる社会に入ったのだ。多層的コミュニティ時代の幕開けである。
 今後の社会で予見されることは、そうしたコミュニティが成熟していき、法(ルール)や教育、福祉、市場、貨幣などのインフラを持った超国家的なコミュニティが乱立することである。

 それは地域に根ざした小規模コミュニティや共通の価値観を持った人たちが集うコミュニティ、そしてギルド(組合)のような同じスキルを持った人たちによって作られるコミュニティかもしれない。私たちは日本国民であると同時に、そうした超国家のコミュニティに多層的に所属していくことになる。お金が信用という起源に戻るように、社会は小さな共同体という濃厚な人間関係に戻っていく。

 そんな時代に必要になることは、各自が自分なりのコミュニティ・ポートフォリオを持つことだ。つまり、自分の持っているリソースを、どのコミュニティにどれくらいの割合で割くのかについて真剣に考えないといけない。
 最近では大企業による副業解禁の動きが目立ってきているし、後ほど詳しく述べるが、これからはプロボノ活動(自分の専門知識やスキルを活かして社会貢献活動を行うこと。pro bono public)も大事になる。

 今までは「仕事とプライベートの割合をどうするか?」というシンプルな問いでしかなかったが、多層的なコミュニティの時代では「自分らしい生き方とは何か?」という本質的な問いを持ち続けることが重要になる。

コミュニティに入り創業メンバーになる

 多層的なコミュニティの時代に勧めたいのは、一つは強いコミュニティの中に入ることである。エッジの効いた堅実なコミュニティや拡張するコミュニティでもいい。企業で言うと、外に対して稼ぐ力があるコミュニティということだ。今で言えば、グーグルやメルカリだろう。

 もう一つは、コミュニティの創業メンバーになることである。特に、新しい価値観を持ったコミュニティの創業メンバーになることが重要である。その中で個人はどうあるべきか。私は頑強に個を保つより、〝個は溶け去ってしまうほうがいい〟と思う。コミュニティに重きを置き、個を喪失させるわけだ。そうすれば行き詰まった貨幣経済から解放され、もっと楽に生きていけるはずである。

コミュニティには社会性が欠かせない

 少なくとも次の3つのコミュニティに属することになると指摘する人もいる。

一つは志を共有するコミュニティ(慈善団体、政治団体、趣味仲間など)。
一つは稼ぎどころのコミュニティ(企業や学校、コワーキングスペースなど)。
一つは心安らぐコミュニティ(家族、教会、地域、シェアハウスなど)。

 

これはまさしく正しい指摘だと思うし、コミュニティ・ポートフォリオを考えるときの参考になるはずだ。

 ここでコミュニティの出入りの作法について大事なことを一つ加えておきたい。

 現在、多くの人が所属しているSNS上のコミュニティは、実態としては機能関係に基づく「グループ」レベルのものである。だからボタンのクリック一つで参加もできるし退会もできるわけだが、人間関係に基づく共同体(成熟したコミュニティ)ではそのような軽いノリは許されない、ということだ。

 神社でお参りするときに作法があるように、本来、コミュニティに入るときはしっかり礼をして、挨拶をして、貢献して認めてもらうという一連のイニシエーション(儀式)がある。そうした礼節を欠くと、信用を貯める以前の問題としてコミュニティに受け入れてもらえない。

 「尊敬とは人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」とは、ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロム氏の言葉である。相手を尊敬するから自分も尊敬されるのだ。

 人間とは個性と社会性の掛け算で成り立っている。タテ社会の支配構造を脱したからと言って社会性を忘れていいわけではないことを肝に命じておく必要がある。

戦略的に人格を使い分けよ

 複数のコミュニティに同時に所属することが普通の時代になると、「自分とは何か?」について悩む人がきっと増えるはずだ。

 「ペルソナ」という言葉を聞いたことがあるだろう。本当の自分が中心にいて、場面や相手に応じて仮面を使い分けるという考え方だ。しかし、この発想に囚われていると、「本当の自分とは何だろう?」というエンドレスな自分探しの旅に出ることになってしまう。人によってはアイデンティティ・クライシスに陥るかもしれない。

 それを避けるためには、「自分とは様々な人格のポートフォリオにすぎない」という分人的な発想に切り替えることが重要だ。そもそも自分というアイデンティティは他者との関係性によって成り立つものである。職場における上司や部下としての自分も、家庭における夫や父親としての自分も、趣味仲間における先輩や後輩としての自分も、すべて?偽りのない自分であるというように。

 もし本当の自分だけと向き合いたいのであれば無人島で孤独に暮らすしかなさそうだが、それとて都会で暮らしていた自分の過去を引きずることになる。

 コミュニティが変われば求められる役回りは変わる。だからこそ大事なことは柔軟性だ。必要以上に頑固にならず、環境の変化を素直に受け止め、場合によっては戦略的に人格を使い分ける。本当の自分など存在しないと悟ることができたら、気楽な生き方がしやすくなるだろう。

東京を捨て、地方に出よ

 ここからは新たな時代における生き方について触れてみたい。

 まずは住む場所についてだが、中央集権的な社会構造が弱まると、人は地方へと回帰していくと思っている。

 なぜ地方出身者は都市部に集まるのか?それは人が都市に「機能」を求めるからだ。しかし、機能都市で自分が心安らぐポジションを見つけることは難しい。QOL(Quality of Life)も著しく低いと言わざるを得ない。東京は何も生み出さない。単に人と人、ものとものをつなぐ日本の橋渡し的存在と化している。

 国が成長していた20世紀までは都市に住むことが憧れだった。貨幣経済やタテ社会の中心が都市部に集中していたからである。激務でも経済的な保障があったので、満員電車や空気の悪さなど、都会ならではのストレスも必死に我慢できた。しかし、今後の都市は機械化がさらに加速し、自動的に稼ぐための巨大なシステムと化す運命にある。無機質なシステムを好む人などいないので、都市生活は今よりもさらに浮ついたものになる。

 若い頃に機能都市でしか経験できないことを思いきりやり尽くすことはいいことだと思う。だが、せいぜいそれも40歳くらいまでではないだろうか。それ以降は自分の将来的な死に場所を積極的に探し求めたほうがいい。結局、人は土から離れては生きてはいけないものだ。 多くの人は都市を離れると生活が成り立たないと決めつける傾向にあるが、テクノロジーが発達し、職場から離れた場所でも働きやすくなってきている。さらに「地方でどうやって生きるか」という発想を起点に逆算していけば、方法があることに気づくだろう。仕事を辞める必要はないが、せめて地方に拠点を作るのである。あるいは逆転の発想で、まず好きな場所に住み、次に仕事を探すのだ。

 都市における機能的なコミュニティと違って、地域に根ざしたコミュニティに溶け込むには時間がかかる。だから早め早めのほうがいい。

 実際、私が軽井沢に自宅を構えるときはその準備期間に2年もかかった。富裕層の多い軽井沢では、お金は意味をなさない。信用によってすべての取引が行われている。家や車でさえも、である。

 ウェブ会議ソフトのZoomやSkypeなどを使って地方で働く手段もあるし、地方の経済圏に入れば、ガツガツお金を稼がなくても暮らしていける。

 生活の母体を作る場所は必ずしも自分が生まれ育った土地である必要はない。

 私が少し前まで生活の大半を過ごしていた軽井沢の最大の魅力は気候である。最近、地球環境学が流行りだが、21世紀は人間がより快適な天候を求めて移動し続けるようになるだろう。私はもはや東京で夏を過ごすことは考えられない。それくらい東京の夏の暑さは仕事の生産性を落とす。日本は早晩、1年の3分の1が真夏になるという試算も出ている。

 都市が生み出す資源や金をグローバルに融通しながら、より成長段階にある原生林を目指すことが、21世紀の人が求める豊かさとなる。

 地方創生を掲げる政府はいっそのこと2拠点生活(二重住民票)を義務化したらどうだろう。これを私は「第二町民制度」と呼ぶ。これによって消費は倍になり、地方経済は蘇るし、移動が増える。それによってコミュニケーションが増え、イノベーションも起こるだろう。

空いた時間でボランティアを

 ヨコ社会に使える信用を得たいなら、すぐにボランティアを始めよう

 私は普段、会社勤めの人、特に大企業で働いている知人に会うたびにボランティアを勧めている。平日の大半の時間を会社というタテ社会で過ごさなければならないのであれば、せめて終業後の夜と休日(ナイト&ホリディ)はヨコ社会にコミットしてはどうだろうか。

 ボランティアは信用主義経済や贈与経済を成り立たせる基本要素でもあるので、これからきたるべき経済を体験する良い予行演習にもなるだろう。

 理想を言えば、誰でもできる簡単なボランティアだけではなく、自分の専門分野や得意分野を活かしたもののほうがいい。いわゆるプロボノだ。

 英語ができる人は、仕事が終わったら近所の塾で無償で教えるとか、プログラマーなら無料のプログラミング教室を開くとか、タテ社会の枠組みなら金銭が発生しそうなことをあえて無償で提供してみてはどうだろう。もしくはこうしたプロボノ活動を促進させるNPOを運営するのでもいい。

 仮に自分の活動の5%をプロボノに割り当てることを義務化すれば、税金を徴収しなくても社会のかゆいところに手が届く社会が実現するのではないかと思う。

 ただ、プロボノを普及させるためには解決すべき課題がいくつかある。一つはボランティアを受け入れるプラットフォームの貧弱さである。自分が提供できるスキルセットとそれが可能な時間を入力後、必要とする人とマッチングできるプラットフォームがあればスムーズな新陳代謝が起きるのだが、それがない。

 私が経営しているシェアーズ社では、グーグルカレンダーから自動で空き時間を検出し、売買できるプラットフォームTimeshareを開発している。空き時間の流通は早急に変えたいと思っている(注:2018年12月現在、空き時間を管理する空き時間カレンダーのインターフェイスで特許を取得している)。

コミュニティと経済の関係~経済の中心はピア(関係)へ

 第2章でも伝えた通り、2020年を起点に、産業の中心は「関係」づくりへとシフトする。コミュニティの形成と発展こそが経済の中心となる。

 21世紀、人が一番お金をかけるのは、プラスのピアエフェクト(好影響)を与えてくれる人材を側に置くことだ。おそらくあと10年以内で人々が一番お金を払う対象は「臨在(仏教用語で優れた人のそばにいることを指す)」になる。高級車でも別荘でもファーストクラスでもない。学校・会社・趣味・家族・シェアメイトを問わず、共に過ごす人の選択と継続に人はコストの大半をかけるようになるだろう。関係こそが健康と幸福のすべてだと気づくからだ(図36)。

 孤独は4・7兆円の損失、健康に最も不衛生と実証済である。今はタダの人間関係は将来、最大の投資先となるということだ。これがわかっているならば、今のうちに最高の人とつながりを作っておくことだ。

次はこちら

目次に戻る


最後まで読んでいただきありがとうございます。 スキ、シェア歓迎です!励みになります。