思考論_第一章_のコピー

3-2| お金はこの先どう変化するか?【1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法】

 ここからは具体的にお金・社会・仕事・個人の変化について述べていこう。
 まず、お金が今後どのように変わっていくのかを考えていきたい。
 2018年は仮想通貨が大きな盛り上がりを見せた。それによって損した人も得した人もいるだろう。だがそんなことは大した問題ではない。ことの本質は、お金のそもそもの定義が問い直されたことである。

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たくさんの方に手に取っていただいた「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」(プレジデント社)。大反響を記念して、8/14限定で全文を公開します! 令和時代の生き方・働き方をぎゅっと凝縮した一冊です。

お金は信用へと回帰する

  多くの人は考えた。「一体お金とは何なのか?」と。これまで円やドルがお金だと思っていたが、仮想通貨という新たなお金の出現によって、お金そのものの概念を考え直そうという機運が高まったことが最も重要な変化である。

 そもそもお金とは「外部化された信用」のこと。もともと信用のある母体が発行することで流通可能となった産物である。

 人類のお金の歴史を紐解けば、お金のない時代は「記帳」が経済取引の中心だった。記帳とはあげたもの、もらったものをお互いに刻んでおく行為である。

 やがて富の担保を持つ人や組織や国がその信用を外部化し始めた。具体的には、硬貨や紙幣を発行することによって現代のお金の仕組みが成立した。

 国家としてお金を最初に発行した中央銀行はイングランド銀行と言われているが、その歴史はわずか300年ほど前のことである。国家がお金の信用を担保するというモデルは未来永劫続く普遍的な仕組みではない。

 現在起こっている国家の凋落や、飛び抜けた信用を持つ個人や企業の台頭、またアルゴリズムを信用保全の背景に持つブロックチェーンなどの出現によって、早晩国家が発行するお金が中心でなくなる可能性がある。

 それどころか、人が経済活動で求めるものの中心が水や食料などの消費材から、人からの承認や人とのつながり・関係の構築へとシフトすれば、活動においてお金そのものが使いにくい価値交換ツールとなる可能性だってある。

 人やシステムからのレビューによってできることや付き合える人が決まる時代では、お金自体の重要性は減っていくだろう。
 
私たちは今こそ、お金の本質を眺め直さなければならない。

「お金」より「信用」を貯めよ

 お金と信用の関係についてより深く見ていこう。

 これまで述べてきたように、21世紀は個人がお金の代わりになるような信用を創る時代である。これは信用主義経済と言える。

 信用主義経済へ向けた動きはすでに起きている。家を借りるために不動産屋に行き、車を手に入れるためにカーディーラーに行き、家具を買うために家具屋に行くのは今世紀の生き方ではない。家も車も家具も、近くの私的ネットワークで手に入れることができる。

 日本全土の空室率は25%に達し、乗用車は6000万台あり、この数字は10年前と変わっていない。つまりモノは世の中にあり余っているということだ。80万円のベッドも100万円の新古車も、知識を持ち、丁寧で誠実であれば、個人間取引アプリのメルカリで10万円も払えば手に入れることができるのだ。

 ちなみに私は2018年6月まで東京と長野の軽井沢で2拠点生活を送っていたが、軽井沢の家は、知人から破格の値段で借り受けて住まわせてもらっていた。

 このように、わざわざ店舗まで行き、お金を払ってモノやサービスを手に入れる必要が日に日に薄れている。あえて実店舗で買う必要があるのは生活必需品だけ。欠かせないものは交通機関くらいで、中央銀行通貨を介さずに互いに価値を交換する度合いが急激に高まっているのだ。

 これらの変化を知らない人ほどお金に執着するが、それは旧時代のパラダイムである。クラウドファンディングやVALUなど、信用を現金化するツールがこれだけ浸透して手軽に使えるようになると、お金を貯めるのではなく、信用を貯めるほうが有効であることは自明だろう。

 念のため補足すると、クラウドファンディングは、発案者が何らかのプロジェクトを提案し、それに対して賛同者がお金を投じる仕組みである。VALUとは、個人が模擬株式を発行し、オンライン上で売買できるシステムのこと。ユーザーは、「VALU」と呼ばれる模擬株式を仮想通貨(ビットコイン)で発行し、他のユーザーに買ってもらうことで資金を調達できる。

 かつて信用は一つの村や島でしか流通できなかったが、今では世界のどこでも流通しうる。この変化にもっと多くの人は気づくべきだ。

 21世紀に行うべきことは一時的な評価や一攫千金を得ることではなく、ネットワークを広げ、その網の中に信用を編み込んでいくことに尽きる。

ランク社会で人の時価総額が決まる

 私は2013年に『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』(ダイヤモンド社)の中で、SNSは個人の信用を格付けするインフラになると書いたが、まさにその通りになった。フォロワー数とつながりの密度は偏差値として換算され、個人の時価総額や時間単価の計算に使われている。

 厳密に言えば信用とお金の中間には「フォロワー」という存在もある。YouTuberをはじめとするいわゆるフォロワー経済がまさにそうだが、たとえば「フォロワー数が5000人以上いないとこのイベントには参加できません」といった大学入試センター試験の足切りのようなことが、今後は様々な場面で見られるようになるだろう。言ってみれば、「皆が〝上場〟している時代」である。

 フェイスブックやツイッター、インスタグラム、その他のSNS、あるいはライフログのようなものも含め、個人の信用が可視化される社会では、そこに参加する人すべてに「株価」がついている。単なる「評価」ではなく「株価」とあえて言ったのは、「株価(=信用)」は「評価(=価値)」を積み上げたものだからだ。株が資産だと見なされるのと同じで、個人の信用は限りなくマネーに近い存在となる。

 くり返すが、信用主義社会において大事なことは、現実のお金を持っていることではなく、価値と信用を創造する力だ。

 現実のお金は信用の負債を抱えて作ったものかもしれないのだから、単純にお金さえあれば幸せというわけにはいかないのである。

 しかも、価値と信用の創造は現実のお金を稼ぐことより難しい。だからこそ「貨幣化」していない部分を含めた信用残高こそ意識すべきなのである。

 そもそもお金は稼ぐのは才覚と運だが、使うのに必要なのは品格である。

 世界の長者番付に必ず登場するビル・ゲイツ氏はポリオ(急性灰白髄炎)の撲滅にコミットしている(ゲイツ家には、若いうちにたくさん稼いで、晩年に、稼いだお金の全額を社会事業に投じるという家訓があるそうだ)し、マーク・ザッカーバーグ氏は資産の99%を社会貢献に回している。ジェフ・ベゾス氏やイーロン・マスク氏は、宇宙開発にお金を投じている。

 このようにお金の使い方に品格があるからこそ、彼らは信用されるのである。

「縁」は「円」より強し

 今後、私たちの信用残高は意識しようとしまいと様々なところに記録されていく。ブログはもはや個人の履歴書と化すだろうし、ツイッターのフォロワー数、電子出版での評判などは一つの貨幣価値となるだろう。転職活動ではレファレンス(裏付け)を取られるのが当たり前になり、信用のある人ほど様々な場面で恩恵が受けられるようになる。今はその過渡期なので多少の歪さは否めない。

 たとえば単純にフォロワー数が多い人が富を手にする「フォロワー経済」に対して、疑問符を持つ人もいるだろう。「目立った者勝ち」の経済は信用主義経済の目指すところではない。

 ただ近い将来、こうした状況はおそらくグーグルなどが変えるだろう。現時点のサーチエンジンは、フォロワーが多い人ほどページランクの上位に出る単純な仕組みにすぎないが、もしグーグルが特定の個人とのつながりや専門性などをデータとして取り込み、その信用性を算出する仕組みにアルゴリズムを入れ替えると、「量」だけではなく「質」が問われるようになる。その結果、「フォロワー経済の効果は薄まり、その人の本質的な信用が検索結果として現れてくるだろう。

「情報検索エンジン」ならぬ、「人材検索エンジン」の登場だ。

 それはフリーランスや零細企業の経営者にとっては脅威でもある。もし「M&A コンサル」と検索して自分が1ページ目に出てこなかったら仕事がなくなってしまうかもしれない。だから大切なのは個人間の信用である。

 縁は円より強し。これは標語ではなく、事実だ。

お金を生む5つの流れ

 お金についてより深く考えるには、お金が生成されるまでに至った仕組みをまずは理解する必要があるだろう。
 お金はお金、信用、価値、時間、健康(エネルギー)の枠組みで構成されている(図25)。

 一番上が「お金」だ。そのレイヤーを支えるのが「信用」である。
 信用主義経済が面白いのは、お金を稼ぐ手法が限られていた貨幣経済とは異なり、信用を積む方法が無数に存在するということだ。言葉遣いや品格、教養、外見、おもてなし精神など、クリエイティビティの発揮しどころはたくさんある。
 ただ、くり返しになるが、信用は一朝一夕で作られるものではない。信用は価値の総和であり、価値がP/L(フロー)だとすれば、信用はB/S(ストック)だ。よって「現金化できる信用」を増やすには、日頃から価値をコツコツと積み上げていくしかないのである。

 3層目の「価値」の生み出し方については後述するが、人が価値創造するには何より「時間」が必要である。そしてその「時間」の量を増やし、密度を濃くするには、「健康」に留意してエネルギーを貯めていかなければならない。健康だからこそ色々なことを考える余地が生まれるからだ。

 お金がお金を生むという従来型の金儲けのスキームがなくなるわけではないが、これからの時代は個々が価値創造に対してより能動的に関与していくことが求められる。

 「身体が資本だ」とよく言うが、文字通り、健康(エネルギー)がお金になる時代がやってくるのだ。

 時間にせよ、健康にせよ、それらは「お金、信用、価値」という3層構造からなる広義のマネーを下支えする「原資」であり、原資であるからこそ私たちはもっとそこに意識を向けなければならない。

「求めない人」ほど信用される

 先ほどお金とは、外部化された信用と述べた。お金は、信用を数字の形にして流通可能な形態へと変えたものだ。具体的な事例で述べると、クラウドファンディングがわかりやすい。

 お金を投じる目的は人それぞれだが、お金を集められるのは、プロジェクト自体の価値(構想力×実現力)と、プロジェクト発案者の信用による。特にプロジェクト発案者の信用は重要で、より多くの人から好かれ、共感され、功徳を積んでいる人ほどお金を集めやすい。クラウドファンディングは信用をお金に変えることができるわかりやすいシステムである。

 もちろん銀行からの融資を受けるときや投資家からの出資を受けるときなど、いずれもその人の信用が問われる。やがて個人や企業や地域がトークンという形で通貨を発行する時代が来るだろうが、それもまた信用のなせるわざである。

 つまり信用の土台がなければお金を生むことはできないということだ。逆に現代では信用のATMからお金を引き出すことは容易になりつつある。1万円の土台には我が国の信用(経済力×徴税力)がある。1万円は単に1万円として存在しているのではなく、それを下支えする信用が存在するということだ。それは私たち個人でも同様である。金は信なり。まずはお金を得る前に、信用を築かなければならない。

 私は2010年に自分の会社を諸事情で手放した。会社を売却したので現金は残ったが、それ以外は何もかも失い、大きな喪失感の中にいた。

 そのときから私は徹底的に利己心をなくし、色々な案件が飛び込んできても基本的にお金を請求しないという生活を3年くらい続けた。

 事業の相談に乗ってほしいと言われれば手弁当で向かうし、若い起業家に出資してほしいと言われれば破格の条件でお金を出した。出資先は宇宙開発事業、有機食品、海外ビジネスインターンシップ、アニメ制作、劇団、ロボット事業など様々だ。

 結果的に私は無償で奉仕することで現金というマネーをいったん「価値」に交換して、その「価値」を積み重ねて「信用残高」を増やしていった。

 求めないと、人は信用される。結果として軽井沢で家を安く借りることも旅先で有用なネットワークを紹介してもらうことも日常品を譲ってもらうこともできた。

 私はこれを「信用ロンダリング」と言っているが、信用主義経済への過渡期においては重要なことだと思う。信用をお金に変えることは簡単にできても、お金を信用に変えるのは手間がかかるからである。

利己心を小さくすれば価値を生み出せる

 ではその信用はどのように構築されるかと言えば、価値の集積である。

 すなわち人にどれだけ貢献してきたか、その積み重ねが信用という名のタンクに蓄積される。これは目に見えるときも見えないときもある。営業マンであれば日々の営業成績が年次の人事評価となり、それが給与やボーナスという形で反映されるのでよくわかるだろう。

 この法則はフリーランスや学生にも当てはまる。すなわち他者への貢献(価値創造)の蓄積が信用となるのだ。その信用をもってお金を引き出すことが可能となる。

 では価値(貢献)はどういう形で評価できるのか。それにも方程式がある。
 価値=(専門性+正確性+親和性)/利己心である。

「専門性」はわかりやすいだろう。私の場合、企業分析やファイナンスといった職務上の強みがある。
「正確性」というのは生産管理で言うQCD(Quality Cost Delivery)に置き換えられる。つまり品質・約束・期日を守ること。いくら専門性が高くても、遅刻や当日キャンセルの常習犯だったらマイナスの価値になってしまうだろう。信用主義経済においては誠実さで食べていくことができる。
「親和性」というのは、人間的な魅力、愛嬌、相性、謙虚さなどのこと。仕事もできて真面目なのに、人間的に嫌われてしまっては価値が発揮できない。特にコミュニティが多層化し、ネットワーク型社会になっていくこれからの時代は、柔軟さが求められる。
 最後の「利己心」とは、自分の利益を考えれば考えるほど価値が下がり、逆に相手のことを考えれば考えるほど価値が上がるという意味だ。ここも非常に重要なポイントで、分母の利己心を限りなく小さくすれば、分子の専門性や正確性、親和性が小さくても価値は生み出せるということだ。

時間の価値はますます上がっていく

 価値の蓄積が信用となり、それを外部化してお金に変換すると書いた。
では価値を作り出す要素は何かと言えば、やはり時間である。感度の高い人であれば、時間について興味を持っている人は多いと思う。

 どこでもドアを待つまでもなく、インターネットやLCC(格安航空会社)によって地球は十分小さくなった。だが、時間軸についてはまだまだ私たちが考えるべきことがたくさん残っている。純粋な労働時間もあるし、研鑽・学習にも時間がかかる。

 時間から価値への転換効率の高さは一般的に「スキル」と呼ばれている。

 当然、スキルを高めるために人は時間を使う。だがこの本を読む人なら、よりスキルを効率的に高める方法を習得したいと考えるであろう。ここでメタ思考が役に立つ。

 時間はもちろん、価値創造に使われるだけではない。余暇や消費のためにも使われる。人生の醍醐味はむしろ後者のほうにあるだろう。

 先述したように、個人の信用残高を積み上げるための活動(ネットワークの構築や自己鍛錬、健康管理など)には時間がかかる。よって価値を生み出す原資としての時間の価値は上がっていく。

 それに社会的欲求を満たす社会へ移行するということは、今まで以上に時間が必要になるということだ。ブランドの服を買っても満足する時間は一瞬で終わるが、海外旅行で異文化に触れる場合は、まとまった時間を確保しないといけない。

 当然、仕事においても時間の概念は変わる。

 今までは9時~17時で会社にいれば固定給が入ってくるしくみが通用したので、多くの会社員は固定化された時間価値を切り売りしていた。だが、ネットワーク社会になり、プロジェクトベースで仕事をしたり、企業が成果主義に舵を切ったりすると、「どれだけ短時間で価値を生み出すか」が決め手となる。

 仕事で求められることは成果であるという当たり前のことが日本企業ではあまり注目されてこなかったが、今後は否が応でもその事実を直視せざるを得なくなる。

 成果を出すためには時間・コストに見合わない仕事をしないという選択肢が自ずと出てくるだろうし、細切れ時間やまとまった時間をどう有効に使うのかというタイムマネジメント能力がますます必要になってくるだろう。

 世の中では「モノの断捨離」が流行っているが、今後必要になることは「時間の断捨離」である。自動掃除機やクラウドソーシングのように、「買える時間はどんどん買い、非効率な時間をどんどん捨てる」という姿勢が大事になる。

健康(エネルギー)こそ時間を生み出す原資になる

 時間を生み出すのは健康(エネルギー)である。
 健康はときにビジネスの現場で犠牲にされがちだが、長期的に成果を挙げているビジネスパーソンや経営者は、このエネルギーこそがすべての源泉だと知っている。

 健康に注意を払いにくい人(特に若い男性が多いと思う)は、健康(エネルギー)=お金だと考えるべきである。

 私は最近、ROH(Return on Health)という指標を考案して提案している。これは健康(エネルギー)の創造にかけるお金のリターンのことである。いわゆる「コスパ」である。良質な食料やトレーニング、専門家のアドバイスといったものにお金を投じることによってどれだけの健康(エネルギー)が得られるかを指標化していく行為である。そして健康プロジェクトと題して、日々数々の実践をし、そのコストパフォーマンスを計測している。

 健康という資産を増やすことがいかに重要かわかるまでには時間がかかる。

「健康になるには身体を鍛え、脳の炎症を防ぐために良質な油を摂取する。良質な油とは何々である」というように、取るべきアクションが明確になるまで細かく考え、なおかつ積極的に知識を学んで因果関係を明確にし、具体的なアクションを日々の生活に織り込んでいく姿勢が肝要である。

 ほかにも私は普段の食事でグルテンフリー(小麦粉を摂らないこと)・カゼインフリー(乳製品を摂らないこと)を徹底している。頭の良し悪しが脳幹のコンディションで左右される話と同じように、人の性格は腸内フローラによって左右されることは間違いないと思っているのだ。

 しかも脳と腸には相関があると言われているので、「脳腸環境」については特にコンディションを意識すべきである。

 また心身の「心」のほうについても、スピリチュアルにはまる暇があれば基礎医学をきちんと学んだほうがいいと思っている。うつ病も脳の炎症にすぎないように、「精神的」と言われているものの90%は物理的な事象として説明できる。

 それに病気についてはほとんどの人が個体の問題だと思っているが、病気は実は、「社会病」ではないかと思う。症状は肉体に表れるが、病気の本質は社会にある。10年前にはうつ病が流行り、今は発達障害、ストレス系だとIBS(過敏性腸症候群)。繊細で無防備な人ほど社会病に罹りやすいのには理由がある。

 ここまでお金、信用、価値、時間、健康(エネルギー)と、お金を構成する5つの要素について述べた。本質を深掘りすると、お金を構成する要素が見えてくる。お金を得るにはその要素を一つひとつ、効率良く満たしていく必要があるのだ。

 このやり方は王道である。やり方によってはマネーゲームによって価値や信用を蓄積することなくお金を得る方法があるかもしれない。だが私自身はそれらの具体的方法を知らないし、この世界の根本法則から外れていると直観している。そしてそのようなバグはやがて修正されるだろうから読者には王道を勧めたいと思う。

お金が介在すると〝つながり〟が失われる

 ここまでお金を構成する要素について述べてきたが、お金を得る方法を勧めるのが本書の趣旨ではない。あくまでも本質を考えるのが本書の目的であり、お金はそのモチーフである。

 では、本質的な問いは何か?と言えば、それは「そもそも経済にお金が必要だろうか?」ということである。

 経済とはお金があることではない。経済とは価値が回ることである。

 経済のもともとの意味は経世済民である。その経世済民のためにお金というツールは果たして適切なのか、あるいはどの程度までお金でケリをつけ、どのような場合の経済をお金以外で回すべきか、ということこそ真に考えるべき問いである。

 お金は便利な道具である。言葉を交わすことなく、世界のどこでも、誰とでも価値を交換することができる。ちなみに「マネー」や「ファイナンス」はラテン語に由来するが、「人々の最終言語」という意味で、人間がコミュニケーションの最後に使う最も楽なツールである。一番身近な例は離婚の際の解決手段だろうか。

 そのお金には様々な問題がある。まずは格差の問題。現在、世界の富の50%以上は1%の人たちによって所有されているという事実がある。当然、それ以外の世界の人々の間でも格差は激しい。それからたびたび訪れる金融危機。お金を刷りすぎた一部の人々・機関(中央銀行や金融機関)によって引き起こされる大規模な金融危機が、普通に生きている人々の実体経済を直撃するのだ。

 しかし最も大きいのは、お金による「文脈の毀損」である。お金という数字による取引が発生することによって、それまでのつながりや物語といった文脈が漂白されてしまうのだ。文脈が切断されると有機物は無機的なものへと成り下がってしまう。それが有機的な生命体である人間の身体には適さない。

 商品をはじめとする〝モノ〟には、常にストーリーがある。
 たとえば、コーヒー1杯にしても、豆がどのような農園で栽培されたか、その豆はどのような経緯で誕生して、さらに手に入れるのにどのような苦労をしたのか、といった豊かな文脈がある(図26)。

 本来、価値あるそういった文脈が、貨幣取引の商品となった瞬間に失われてしまう。単に「○○円の商品です」といった具合に貨幣の単位で語られた瞬間、様々な思いや物語が漂白されてしまう。それこそがお金の持つ最大の弊害である。
 文脈の毀損は、格差などよりはるかに大きい問題である。貨幣による経済が物語や人間の関係性を分断し、私たちの幸せを阻害している。しかも、知らないうちに蝕まれている。しかし、この文脈の毀損を防ぐための、お金以外の新しい解決策が出てきている。

それがこの後説明する時間主義経済と記帳主義経済である。

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