思考論_第一章_のコピー

2-1|日々、どのように考えれば良いのか?【1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法】

 では、思考力を鍛えるためには何が必要かと言うと、「考える」「書く」「話す」の3つのサイクルの確立である(図14)。

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思考力を鍛える「3つのサイクル」

 まず思考力を鍛えるうえで意識したい習慣は、「考えることにコミットすること」だ。物事には常にその本質が存在する。考え抜くことによって誰でもいつでも、その本質に到達することができる。先にも伝えたように、「(自分の分析が)何か気持ち悪い」と感じなくなるまで考え続けるのがベストである。

 次に「話す」うえで重要なのは、口グセだ。たかが口グセでも侮れない。「本質的には~」と口ずさむ習慣をつければ、出てくる言葉は自ずと本質的なものになる。

 最後は、「書く」こと。思考を形にすることだ。考えても、形にしなければ何の意味もない。紙に書いて、はじめて思考が固定される。問題を捉えたいとき、構造化をしたいときには、とにかくまず紙に正方形や縦軸・横軸を書き、図にしてみると良い。

 そして、違和感がなくなるまで何枚も書き、本質がどこにあるのか仮説を立て、それを検証する行動を何か一つ取ってみる。本質的であるかどうかは、その効果によって測ることができるだろう。

 メモを取る習慣は、決定的に重要である。

知識は選択肢を増やし、自由を増やす

 仮にここまで紹介してきた「考える」「書く」「話す」のサイクルをうまく回せたとしても、最低限の知識なくしてはその先に進むことはできない。

 第1章で知識があればコストが下がると伝えたように、知識があれば選択肢を増やし、選択肢は自由を増やすことができる。そして自由は豊かさを増やすことにもつながる。人はなぜ勉強すべきなのかと言えば、この知識を得るためでもある。
 第1章で私は、常に「思考>知識」を意識せよ、と述べた。意識の向かう選択肢が知識である。意識が主体で知識は目的である。したがってまずは主体である意識を自由に動かせなければならない。そうは言っても、意識の向かう先である知識も大事な要素である。私たちはしばしば現状や過去に執着する。悩みの本質はいつも執着にある。執着は意識の焦点を固定させ、選択肢を欠如させる。

 一方、知識は我々に新たな選択肢を与え、執着や悩みを解きほぐす力になる。

 方程式をはじめ、知識の99%は使われることがない。かと思えば毎日使う知識もある。何の知識がいつ役に立つのか、それはわからない。でもだからこそ、知識は選択的に得るものではなく、あらゆる知識にアンテナを立てるべきなのだ。

 そして、この知識を使うことこそ思考の役割である。

 思考とは意識を振り向ける動作であり、知識を選択し、またそれらを結びつけたり切り離したりして新たな選択肢を作ることである。この「知識と意識(をコントロールする思考)」を組み合わせることで人生の自由度は大きく変わってくる。その意味において、知識と意識は思考の両輪と言える。

読書は効率良く知識を取り入れる最強の方法

 もし効率良く知識を得たいのであれば、古典もしくは教科書を読むのが良い。

 私は思考に意識を集中投下するために、今では本をほとんど読まなくなったが、30歳前後をピークにあらゆるジャンルの古典を読み漁った。古典を勧めるのは、現代まで読み継がれているという点で、物事の本質を突いているからだ。

 また、本を読むという行為は著者の思考プロセスをたどる旅である。だから良質な本を読み流しているだけでも、自分の視野の狭さや洞察の浅さに気づかせてくれるし、読むことで自分の情報に吸着した意識を引き?がしてもくれる。知識を得るためだけではなく、そういった視点から本を読むのも面白い。

 また、特定の課題について体系的に学びたいときは、単にアマゾンの星の数で選ぶのではなく、入門書で全体像をつかみ、専門書で深く洞察するというふうに使い分けることが大事である。

 入門書と専門書では、求める目的が全く異なる。入門書はそのテーマの扉を開けるという目的があり、専門書は本質へ早く到達させるという目的がある。
 よって入門書は、文字通り入門しやすいものでなければならない。あなたが問題意識を持ったテーマについて全体像を与え、わかりやすい表現で個々の内容を簡潔に説明しているものを選ぶといい。そして、入門書を読み終わったら、問題意識を深く掘り下げるために専門書を読む(図15)。

 多くの専門書は抽象度が高く、難しい記述表現が使われているが、それ自体は全く問題ではない。その本がそのテーマの本質をつかんでいるかどうかということが重要で、入門書がわかりやすくて、専門書がわかりづらいということは一切ない。

 専門書も、もしそれが的確にものの本質をつかんでいるのであれば、わかりやすい内容になっているはずである(知識が不足していることによって文脈を正確に理解できないことはあるが)。

 重要なポイントは、膨大に存在する書籍の中からいかにして本質的な専門書を嗅ぎ分けるかだろうが、その能力は経験によって習得可能であると思っている。もしくは本質をつかんでいると思われる人に本を勧めてもらったり、良書の中で引用されている本を選んだりするのも有効である。

 また、体系化された知識を学ぶうえで教科書も非常に効率が良い。滅多に本を読まなくなった私も、数学や医学の教科書は今でも読むようにしている。

 もし経営に関する基礎的な知識を習得したいのであれば、グロービス経営大学院が書いている『グロービスMBAシリーズ』(ダイヤモンド社)をすべて読めばいい(版が古いほどクオリティが高い)。そしてその中身もしっかり勉強すれば、年収1000万円など簡単な話である。

 ただし本は大きな助けとなるが、問題意識はあくまでも自ら生み出す必要がある。優れた書籍は問題意識に応える力を持っていたとしても、問題自体を与えてくれるわけではない。もし何も考えずに「皆が読んでいるから自分も読もう」という動機で本と向き合っても、それがどんな名著であろうと何も提供してくれない。

頭を良くしたいなら油を変えよ

 世の中には「脳トレ」の類の本がたくさんあるが、本質に立ち返ると、脳のコンディションを上げることが最も重要なことである。具体的に言うと、脳のCPUにあたる脳幹の炎症をいかに抑えるかがポイントだ。

 私がそれに気づくきっかけとなったことの一つが、母親が若年性アルツハイマーにかかったことだった。これはアミロイドβというタンパク質が脳内に溜まることで炎症が起き、認知力が落ちる病気である。

 私の血の半分は母親からきているわけで、そんな自分の脳のコンディションを維持すべく、日々摂取する料理で使う油は良質なもの(ココナッツオイル、亜麻仁油、オメガ3を含む油、エクストラバージンオイルなど)にこだわっている。サラダ油は摂取しない。

 「頭を良くするには勉強しないといけない」といった常識から距離を置いて、そもそも頭の状態が良いとは何かを考え、医学的な根拠に基づいて問題を検証した結果、「油を変える」という、より効果の高い新たな選択肢が見つかったのだ。

頭をクリアにする環境を整える

 実際、私が普段、最も頭を使っていることは「最も頭を使える環境を作り出すこと」。具体的に日々心がけていることは、下記の通りである。

1 身体のコンディショニング
・良質な油の摂取、栄養バランス、良質な睡眠、ストレッチなど
・情報とノイズの遮断(パソコンから離れる、テレビを見ない、新聞を読まないなど)

2 ストレスの軽減
・会う人を選ぶ
・人の多いところに行かない(満員電車に乗らないなど)

3 静謐な空間の追求
・整理整頓
・雑音の遮断など

 他に、掃除も有効である。
 試験直前に無性に掃除をしたくなる現象を人は現実逃避だと言うが、ある東大の教授は、掃除はリエントロピー、つまり意識の凝縮であると指摘する。机や部屋が散らかっていると意識がそこにベタベタと吸着して拡散してしまうので、肝心の思考作業に割く脳の処理能力が知らず知らずのうちに不足するのである。第1章で紹介した思考と情報のパラドクスは、生活空間にもそのまま当てはまる。

 スティーブ・ジョブズ氏はモノがほとんど置いていない家に住んでいたことで有名だが、思考という観点で言えば、モノがない状態が一番意識を整えやすい環境であるということだ。その意味で言えば、近藤麻理恵氏の本『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版)がニューヨークで大ヒットしたのもうなずける。

仕事で判断の質を上げる簡単な方法とは?

 これまでくり返し伝えてきたように、思考とは、次元を超えて意識を縦横無尽に動かし、情報や知識、概念をピックアップして分離・結合させる作業である。そのため動かす筋肉(意識)も整っていなければならない。

 アスリートが運動する前に身体のストレッチを入念に行うように、もしくは弓道の世界で弓を引くまでの所作が重視されるように、ブレイン・アスリートにとって意識を整えることは基本所作である。それができていないと意識は全体を俯瞰する高度まで上がらない。

 世間ではマインドフルネスが流行っている。正確な表現はマインドフルではなく、マインド(自我)レスであるべきだが、この流行も情報過多の社会において「とっちらかった自分」をどうにかしたいという潜在的な欲求があるからだろう。

 一般的に悟り業界では、マインドとは自我(ノイズ)であり、意識を整えることによってそのマインドを溶かしていく作業が禅や瞑想である。定義はともかくとして、そのような自我を、すべてではないが溶かす作業は大変有効である。

 意識を整える一番簡単な方法は、呼吸の仕方である。

 私は考える仕事に取り掛かる前に、必ず呼吸を整える。YouTubeでハタ呼吸法の5~6分の動画を流しながらそれに合わせて呼吸を整え、自我(マインド)をノイズアウトする。最も生産性の高い仕事とは「本質を突いた判断をすること」であり、落ち着いて整った意識の状態こそが判断の質を上げる。

本質にたどりつくには「洞察力」が欠かせない

 意識が整ったら具体的な思考作業に入る。

 イメージとしては意識という名のドローンを徐々に上空へ上げることだが、実際には時空間の幅を広げつつ、対象の裏の裏のそのまた裏を探っていくという立体的で複雑な作業になる。

 このプロセスは正直、言語化するのが難しい。実際にスタッフや同僚の前で、あるいは企業の研修中に身振り手振りで行って見せても、はたから見ればポカーンとしているだけなので、その意識の動きは伝わりづらい。

 何ヶ月も一緒にいながら所作を見てもらい、試してもらい、考えた成果物を添削するという徒弟制度的な方法でしか伝わらないと思っている。よって大半の人がこのステップで挫折する。

 「抽象化しないといけない」「俯瞰しないといけない」とわかっていても簡単にいかない理由は、抽象化するという作業は、線のように細長く、論理的な作業ではなく、洞察的で形而上的(理念的)な作業であるからだ。やるべきことはあくまでも意識をより高い次元にスライドさせることである。

 たとえば業務レベルの上位概念が部署レベルで、その上が会社レベルであるといった目に見える連鎖はわかりやすい。でもそこで地球環境や貨幣・経済のこと、20年後の自分のことまで考えられるかと言えば、根気よく鍛錬するしかない。

 では論理的な人ほど抽象化が得意なのかと言ったらそうでもなく、「イメージングする力(右脳)」と「ロジカル・シンキング(左脳)」の両方があってはじめて物事の本質へとたどりつくことができる。

  稀代の戦略家・クラウゼヴィッツ氏は『戦争論』(中公文庫)で次のように述べている。
論理的に導かれた結果は、あくまでも〝判断を助ける道具〟として扱わねばならない。知性の活動は、論理学や数学といった厳密な科学の領域を離れ、最も広い意味での芸術の領域に入る。ここでいう芸術とは、数えきれないほどの事象や関係の中から、決定的に重要なものを、判断力を働かせて見つけ出す技能である。言うまでもなく、この判断力には、すべての力や関係を本能的に比較する能力が含まれている。同時にそれは、関連性の低いものや重要性の低いものを即座に脇へ押しやり、演繹法では到底不可能な速さで当面の最重要課題を認識するのである」

 つまり、本質的な思考は左脳から生み出される論理的思考でもなく、右脳的な直感力や創造力だけでもないということである。それは人間の持つ左脳と右脳の不思議で微妙なバランスによって生み出される洞察力にある。

 私が考えるに、「なぜそうなっているのか?」という論理的問いを考え続け、どんなときもその問題意識を頭の片隅に残しておくと、とうとう最後にしびれを切らした右脳が働き、ひらめきを与えてくれるという寸法ではないかと思っている。

 抽象化や俯瞰の話をすると、会社員生活の長い人はよく「まあ、確かに知識や経験を積み上げることで、目の前の仕事だけではなく隣の部署や会社全体や業界全体にも目が向くようになるし、それが会社員としての成長だよね」といった類の話をする。それはたしかにそうだが、あまりにのんびりしすぎている印象を受ける。

 圧倒的な成果を出したい(早く成長したい、もしくはイノベーションを起こしたい)のであれば、超スパルタのブレイン・トレーニング(頭の筋トレ)をする感覚で、「メタな視点を持つ」「物事の裏側を見続ける」ということをストイックに実践し続けなければならない。

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