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真似したいな って、皆に思ってもらえる人に成る!

病院での待合室、
ひと組の親子が、座っている。
5ー6歳の男の子と、
その隣には、男の子の母親。
男の子は、行儀よく、読書中。

一人のお年寄りが近づいてきて、
母親の方に、声をかけた。
「本を読んで時間を過ごしている子供さんに、久しぶりに出会いました。最近は、ゲーム機器で遊んでいるお子さんが多いですからね。」

別の若い母親が、声をかけてきた。
「どう言い聞かせたら、子供が、本を読む様になるのですか。うちの子は、ゲームと動画にばかり夢中になっています。」

男の子の母親は、こう言った。
「言葉で何を言っても聞いてくれないですよ。
私の息子は、私を真似ているだけなのですよ。」

そして、にっこり笑って、
自分が読んでいた単行本に、再び目を落とした。

見本となる存在でいよう

子供たちは、身近な人の行動を見て、それを真似して取り入れる。
そして、それらは、彼らの モノの見方、見解、ルールや信条となっていく。

だからこそ、私たちは、
「子供たちにこうなって欲しい」、という人物で在り、そんな生き方をして、次の世代を魅せていける、そんな大人でありたいものだ。


私たちは、常に誰かの真似をしている

小さい頃は、無意識に、身近な人を、ただただ真似る。

「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、親戚、、、」

物心ついてからは、好きだと感じたもの、カッコいいと思ったもの を 真似る。

「好きなTV番組のヒーロー、おとぎ話のお姫さま、大好きな父、大好きな母、大好きな兄や姉、、、」

学校へ行く様になり、生活の行動範囲が広がると、選択肢も広がり、もっと意識的に、いろいろ真似していく。

「好きな先生、カッコいい先輩、仲良しのお友達、、、」

そして、それから、もっといっぱい、もっと色々、取り入れて、真似して、、、

意識してるしてないに関わらず、取り入れ、真似していく。

TVのCMからのフレーズ、
街の広告で見かけた言葉、
アイドルの言動、ファッション、

あの人が着ていて可愛かったから、
この人が持っていて素敵だったから、
憧れの人がやってたから、etc. etc.

私たちは、真似っこが大好きなのだ。
真似っこしながら、成長し、生きることを楽しんでいるのだ。

企業が、
広告に誰を起用するか、
CMで、誰にこのカレーを食べてもらうか、
誰にこの化粧品を使ってもらうか、
雑誌で、誰にこの服を着てもらうか、
誰にコメントしてもらうか、

重要視する理由はここにある。

だって、
それによって、私たちが、真似して手に入れたいと思うかどうか、が、大きく左右され、
それは、
企業の売上に大きく影響するのだから、ね。


真似る、というのは、伝える、ということ

習い事も、伝統芸も、
武道や華道などの、「〜道」と呼ばれるものも、
スポーツも、遊びも、
全ては、真似ることから始まる

そうか、
私たちは、「人間道」 をやっているのかもしれないな。
生まれた時の、師匠は、両親で、
後に巣立って、別の師匠やメンターを見つける。
好きだと思った人、もの、憧れの人、カッコいいと感じたもの、それら全てが、師匠であり、メンターだ。

それらを真似して、取り入れ、自分のものにしながら、私たちは、人間道を極めていくのだ。

そして、私たちは、学徒であり生徒であると同時に、知らん知らずのうちに、誰かの師匠にもなっているのである。

真似したいな って、皆に思ってもらえる様な人に成る!

〇〇ちゃん、素敵だなあ、
〇〇くん、幸せそうだなあ、
〇〇さんみたいになりたいな、って
そんな風に感じてもらえる人になろう。

多くを魅せる、素敵な存在になろう。

私は、今ここで、改めて、そう決めた。


最後まで読んでいただいて、
ありがとうございます。
私の世界に、
最後までお付き合いしていただいたこと、
とても嬉しいです。
力をいっぱい頂いています。感謝です。


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