見出し画像

紀元節

一昨日の2/11は戦前では紀元節。戦後からは建国記念の日として知られる日本が誕生したとされる大切な日です。時を遡ると紀元前の660年ごろとされています。

古事記の中でもニニギノミコトの天孫降臨以来、今の九州にあったとされる高天が原からニニギノミコトの孫にあたるイワレビコノミコト(のちの神武天皇)が高千穂?からの東征が始まったとされています(この辺は少し知識不足ですので悪しからず)。東征の最後に、奈良の橿原にて天皇へと即位され日本国が始まったとされています。国の名前としては、『ニッポン』ではなく『ヤマト』と呼ばれていたとも言われています。

またイワレビコノミコトが即位されてから出された詔が『建国の詔』です。

建国の詔

「上は乾霊(あまつかみ・くにつかみ)の国を授けたまひし徳に応え、下は皇孫の正を養ひたまひし心を弘めむ。然してのちに、六合(くに)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩ひて宇(いえ)とせむこと、亦可からずや。」

※参照:新田均監修「子どもたちに伝えたい日本の建国」

特に
八紘(あめのした)を掩ひて宇(いえ)とせむこと、亦可からずや。」
これは戦後に戦争のためのスローガンとして扱われた『八紘一宇』の精神を表しています。意味合いとしては、すべての人が一つの屋根の下にある家族のように人々が暮らしていく國を創ることを表した一説です。

この時代から現代で言われている『人権』思想を謳っていたわけです。今の先進国って何なんでしょうね???


諸説はありますが、その後の『魏志倭人伝』では日本人のことを倭人と表記しています。

個人的にはこの呼称は蔑称と考えています。同時期の『卑弥呼』や『邪馬台国』も何かと卑しいや邪という字をあてがって表現していることが挙げられます。Chinaと朝鮮大陸の人というと蔑称だといわれますけど・・・。

ただ、『倭人(わじん)』と言われていたのは、正しいように認識しています。この根拠としては日本に残っている方言です。方言での一人称の多くには『ワ』から始まるものが多いためです。ホツマツタヱの発祥とされる東北部での方言では、『ワ』。対して沖縄の方言(現存するヤマト言葉といわれている)でも『ワン』と呼称するようです。某TVショーにて、A県とO県との方言が分からないとされていますが、奇妙な共通点があるなぁと考えております。

こういった日本の建国についての知識は大事にしていきたい日本の歴史ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?