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【働くあのひと case.11】人生総動員

11人目は、瀧口デザイン事務所で働く 瀧口希望さん(通称:瀧口さん)です。ご自身で立ち上げたデザイナー事務所で、グラフィックやイラストにまつわるお仕事をされています。
胸がギュッとなるような、熱い思いを語ってくださいました。仕事に迷っている方、「これでいいのかな」と不安に思っている方、みなさんにぜひ読んでほしいです。

―まずは、お仕事について教えてください!

グラフィックデザイナーと、イラストレーターのお仕事をしています。2年前に自分で立ち上げた「瀧口希望デザイン事務所」を軸に、フリーランスのデザイナーとして活動しています。

イラストレーターは、おそらくみんなが想像する通りのお仕事で、イラストを描くお仕事。お客さんからオーダーをいただいて、パンフレットや雑誌などにのせる挿絵をつくったりします。具体的には、「犬と散歩している女の子の絵をかいてください」といったシンプルなオーダーもあれば、時にはインテリアデザインの会社さんからのオーダーで、「こういう内装の空間で老若男女がこんな行動をしているイメージ図を描いてください」というようなものなど、多岐に渡ります。

グラフィックデザイナーは、イラストレーターとは少しやることが違っていて、ロゴをつくったり、チラシやパンフレット、名刺などの紙モノ、ときにはWEBサイトの見た目をデザインしたりなど、グラフィックの全体像を作り上げていく仕事です。イラストレーターが作ったイラストは、その全体像のひとつの要素としてレイアウトされることになります。
あとは、時々ネーミングやブランディングのお手伝いをすることもあるよ。

イラストレーターかグラフィックデザインのどちらかしかやらない人もいるけれど、わたしは両方やります。二次元にまつわるものは、なんでも作る!

―どうしてデザイナーになろうと思ったんですか?

小さいころから絵を描くのが好きだった。
絵に関する一番最初の記憶は、4歳のとき。幼稚園で友達にセーラームーンの絵を描いてあげたら、すごく喜んでくれた。デザイナーになりたいって思う前から、もうずっと毎日なにかしらの絵は描き続けていたなぁ。描いたりつくったりするのが好きなのはもちろん、わたしが手がけたもので誰かが喜んでくれるのがすごく嬉しかった。

とにかく絵が好きだったから、大学受験のときにも、最初は美大を受けようとした。だけど、その時の自分には、絵で生きていく自信がなかったんだよね。高い学費を払って美大に行けたとしても、その後ちゃんとした仕事につける保証もないし、両親にも「美大に行って、なにがしたいの?」って聞かれて、答えられなかった。
流されるままに普通の大学へ進学することにしたけれど、絵を描くことはやっぱり好きなままで、自分がそれ以外になにをやりたいのかわからなかった。
ちょうどそのとき、高校で一番仲が良かった友達が建築系の学部を受けることを知ったんだよね。建築学科の勉強は、絵を描く勉強に近い気もしたし、なんとなくわたしもそこを受けてみることに。その選択は結構適当だった(笑)試験には無事に合格できて、早稲田の建築学科に行けることになりました。今思うとたぶん勉強がうまくいったのではなく、絵の試験があったから、それで点数が稼げたんじゃないかと思う(笑)

志望の大学には無事に合格できたけれど、入学してからは三次元の建築の世界になかなか興味が持てなかった。それまでずっと絵を描いてきて、二次元の世界が好きだったから……。建築を学んでいるときにも、わたしは建物そのものを設計することに興味はなくて、むしろその中で人々がどういう暮らしをしているかに興味があった。空間の中にいるとどんなことを心地よいと感じるのか、無意識的にどんな行動をしてるのか、とか。大学に入ってからずっとその違和感はあったんだけど、なんだかわたしは結局大学院までずるずる建築の勉強をしていたんだよね……。結構早い段階で、自分は建築業界で働くことはないなって、わかっていたはずなのに。
でも結果的には、おもしろい友達もたくさんできたし、在籍した研究室の先生とはすごく仲良くなって、いまでもすごーくお世話になってる。良さもいっぱいあったからこそ、だらだら居続けちゃったんだろうな。

大学院生になって就職活動を始めたとき、たまたま広告代理店のインターンを受けたら通って、そのままそこに内定をいただいた。広告会社って、グラフィックの制作もしているし、イラストやデザイン、大学の研究室で学んだ人々の暮らしについてにも関わる機会があるんじゃないかと思ったから、なんとなく興味があったんだけど……。
いざ広告の会社に入社したら、想像していた世界と少し違った。自分はマーケティングの仕事を任されていたんだけど、例えばエクセルを使ってグラフを分析して、ひとつの商品のTVCMについて、「この傾向はどうだから~」とか、「これだとお客さんの購買意向が~」とか、それはそれで重要なお仕事だとはわかっているんだけれど、私が思い描いていた仕事のやり方じゃなかった。イラストやグラフィックが好きだったはずの自分が、数字を扱って毎日深夜まで働いていることに、また違和感を感じるようになってしまった。

本格的に会社を辞めたいと思ったのは、社会人2年目の夏。最初はいろいろ悩んで辞めるかはすごく迷った。いろんな人に相談をさせてもらったよ。
それで、もしデザインの道に進むなら、今が最後のタイミングかもしれないってそのとき思った。美大に行かない選択をしたのは自分だけど、イラストやデザインが好きなのに変わりはなくて、本当はずっとそっちの道に進みたかったんだよね……。でも自分は美大出身じゃないからっていうコンプレックスも抱えていて……。
なんかもう、どうせ会社やめるならとにかくそんなの関係なしにまずはやってみよう! って思い切ることにして、フリーのデザイナーになることを決めた。

あとは、リアルな話をすると、お金の問題も大きな悩みのひとつで(笑)広告会社は、けっこうお給料がもらえるんだよね。でも、要領の悪いわたしは休日は寝てばっかりだったから、使うことなくどんどん貯まる一方だった。そうやって自分に向かない仕事をしながら、ただお金持ちになるよりも、好きな仕事をして、自分にちょうど良い分のお金を稼ぐ方が、自分の人生には良いはずだ! って考えてみて、踏ん切りをつけた。

「いきなりフリーになって仕事がもらえるんだろうか」って最初は不安だったけれど、それは全部お友達や知り合いの方々が救ってくれたんだよね。たとえば、建築の同期とか、辞めた会社関係の方々から仕事をいただくことがすごく多い。
あと、私は理系の学部に進学したけれど、まずは友達を増やしたかったから、文系の人もたくさんいるサークルに入ろうって思って、いろんな人がいる音楽サークルに入ってみたんだよね。
実は、そこでの出会いも今の仕事に繋がっていたりする。仕事じゃないけれど、そのサークルに入ったことでこうしてsakuさんとも出会えて、こんな話を聞いてもらえて、ご縁には本当に日々感謝してるよ。
今の仕事の軸は、基本的には「瀧口希望デザイン事務所」だけど、そのほかにもう2つ、知り合いのデザイナーさんのもとでアシスタントをしているんです。そのうちのひとつは、早稲田の建築学科で出会った先輩のデザイン事務所なの!

会社を辞めてデザイナーになろうか悩んだとき、デザイン事務所の代表として活躍しているその先輩を思い出してお話を聞きにいったんだけど、ちょうどその事務所で「アシスタントスタッフがいたらいいな〜と思ってたところなんだよね」と話してくださって。お話をいただいてから数ヶ月は踏ん切りがつかずに転職活動をしたりもしたんだけど、結局はやっぱり、信頼できる人のもとで働きたい、と思ってお願いさせていただき、2017年の春に会社を辞めて、アシスタントとしてお手伝いさせてもらえることになったのです。実務経験なしでいきなりデザイナーになるのってなかなか大変だし、美大出身じゃないところを補填しないといけない。だから、いつも本当に丁寧に、たくさんのことを教えてくれる先輩がいて本当によかったし、今も毎日感謝している。そんな人生を変えるようなご縁に恵まれたのも、早稲田に入れたからこそなんだよね。

それに、そうやっていろんな人に助けてもらいながら、独立して3年経って、美大コンプレックスみたいなものは無くなってきたかも。美大出身のデザイナーには美大出身ならではの良さがあって、そうでない人には違った意味で良さや個性がある。叩き上げだからこそできることもきっとあるなって思えるようにもなってきた。まだまだ完全にではないけれど(笑)

―実際に、デザイナーさんになってどうでしたか?

めちゃくちゃ楽しい!
忙しいときには疲れてしまってイライラしてしまうこともあるけれど、仕事自体に関して負の感情を持つ瞬間ってあまりないの。1人でやっているからこそ、自分のデザインの方向性とは違う仕事はやらなくていいっていう選択が自分でできるし、合わなそうな人からの仕事はうけないようにできたりする。そうやって自分の意志で働く方向性や環境を考えることができるのは、本当に良い!
たとえ割がよくない仕事でも、その人が熱意をもって取り組んでいることがわかったら、全力で手伝おうって思えたりもするね。

広告の会社は大手だったから、働いている時には自分がやった仕事に対して誰が喜んでいるか、わたしには見えなかった。フリーランスになってからは、仕事相手との距離がすごく近くなって、それも嬉しい。それこそ、起業したての人とか、長年職人として働いている人とか、いろんな人と近い距離で仕事ができる。お客さんが喜んでくれるのが間近で見れるから、とても嬉しい!

ごくたまに、会社に所属したデザイナーになったほうが生活的に安心なのかな、とか思うときもやっぱりある。どの仕事もそうかもしれないけれど、やっぱりフリーランスだと、収入や忙しさの波もあるんだよね。女として結婚して、ゆくゆくは妊娠したりするのかもって考えると、フリーランスってやっぱり不利なのかな…とか悩む。

でも、やっていること自体はとても楽しくて、本当に仕事が好き。会社を辞めたことを後悔してない。今が一番いい状態って胸張って言える!

―瀧口さんは、仕事を通してどんな自分でありたいですか?

自分の感受性を大切にできる人でありたい。

会社をやめたときに、流行りにのってFacebookに退職投稿をしたの。その記事で、わたしが新入社員のときに偉い方が紹介してくれた、茨木のり子さんの詩を紹介したんです。その詩の中に「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」というフレーズがあるんだけど、それがずっと頭から離れない。今でも大事な詩です。

嫌なことは嫌って言える自分でありたいし、嬉しいことは嬉しいって表現したい。全部を口に出さなくていいけれど、心の中でも「今自分はこう思ったな」って、素直に認められることが大事だと思います。
会社を辞めるか悩んでいたとき、同期の女の子に相談したら、「のんちゃんが辛いと思ったら、それは絶対に辛いんだよ。他の人と比べることじゃないんだよ」と言ってくれて。感受性を大事にするってそういうことだなと思った。

今の自分って、人生の波の中でもすごくいい状態だと思えるの。仕事もうまくいってるし、プライベートも落ち着いていて、多分…ちょっと調子に乗ってる部分もあるのかも……(笑)
今まではずっと、どこかに負の感情がつきまとっていたけれど、なんだか今はとってもいい感じ。この状態がずっと続いていくとは思っていないけど、どんな状態でもぶれない自分でいたい。素直であること忘れず、感受性に正直にいたいな。

あとは、たとえ今死んでしまったとしても、後悔しないように毎日を生きたい。
そもそもわたし、「こうなりたい!」っていう目標があんまりないんだよね。とりあえずその日をちゃんと生きて積み重ねていけば、だんだんと自分のなりたい姿になっていくだろうという考えで……。計画立てて暮らしていくよりも、まずは感情に素直に、今をちゃんと生きたい。死ぬときがきても、「毎日自分らしくやってきたし、幸せだったな〜」って思いたい。
フリーランスになって、仕事も時間も自分で選べるようになって、家族や友人達との時間を大切にできるようになったの。変わらない日常がいつまで続くのかわからない時代だし、大切な人にはいつでもきちんと会えて、すきだよとか、ありがとうとか、言える状態でありたい。後悔したくない。

―瀧口さんは、自分のことが好きですか?

やっと好きになれました。

きっかけは、3年前に自分で企画した「ひとつ・ヒトツの文化祭」。(今年も開催するので、ぜひチェックしてください!)毎年1回秋の時期に、自分の好きなものを、好きなように表現できるイベントを主催しているんです。詩や小説でもいいし、音楽でもいいし、なんでも正解。自慢大会じゃないから、ただ好きっていうだけでいい。「ひとつ・ヒトツ」には、「ひとりひとり」「一歩ずつ」という意味を込めました。ひとりひとりが一歩ずつ、他人の目を気にせずにやれればいいなって。

社会人になりたての頃、学生から社会人になることになんか大きな壁を感じた。社会人になった瞬間に謎に人格が変わってしまう人もいて、急に「社会はこうだ」「仕事はこうだ」と語りだす人もいたの。就活うまくいっただけでマウントとる人もいて、なにそれ?って、疑問でしかなかった。
たしかに仕事は大事だけれど、みんな本当にそういうひとつの評価軸だけを頼りに生きて幸せなの?って。みんな、もっと好きなこととかやりたいことがあるはずなのに、本当にいいの?って。
でも、みんなが「好き」を表現することができないのは、結局そういう場所や機会がないからなんじゃないかって、ある日思った。自分の気持ちを素直に言える場所がないから、言いたいことが言えないから、どんどん「好き」っていう気持ちが埋もれていくじゃないかなって気づいてしまった。第1回目を開催しようとした時期も、親友がいつもが辛そうで、周りを見ると同じように苦しんでいる人がたくさんいた。そんなの、悲しすぎる。

会社をやめてフリーランスになることを決めたとき、最初はまあそんなにお仕事もこなかったし時間もあったから、みんなのためにイベントをやってみようと思って、この文化祭を企画したの。最初は不安だったけれど、出たいって言ってくれる人が結構いたし、みんな企画の主旨をわかってくれた。当日は本当にすてきな1日になって、本当に感動的だったんだけど、こんな素敵な人たちとイベントをできた自分は、きっともう大丈夫って思えたんだよね。

それまでのわたしは、いつもどこか自信がなかった。自分のやることなすことが合っているのかも、それが誰かのためになっているのかもわからないし、この先も自分の人生をちゃんとやっていけるかわからない。そんな風に、ずっとウジウジしてた。
でも、この文化祭をやってみて、みんなが好きなことを好きだと表現している場をつくれて、感謝されるようになって……。自分はこれでいいんだって思えるようになったの。やっと、自分のことが好きになれた気がする。

―なりたくない姿ってありますか?

人の目を気にしている自分は嫌だな。気にしたって、なんの意味もないから。誰かの目を気にして選んだことって、結果的に面白くないし、本当の意味で自分のためにならない気がする。

あと、実はわたし、人と上手に喋れない自分を、ずっとやだな〜って気にしてたんです。

これは、最近ようやく人に話せるようになってきたんだけど、小学4年生のときに、ある現象が起きていて……。その頃の自分はその原因も名前もわからなくて、最近になってようやくその症状について知る機会があって、やっと自分に納得できたからお話しできることです。

小学生2年生から、中学受験をするために塾に通ってた。親の教育方針だったから、気づいたら塾に通ってたし、辞める辞めないを考えたことは、なかったかな。
小学4年生の時に引っ越すことになって、それまでとは違う塾に入ることになったんだけど、わたしはそこで誰とも喋らずに3年間過ごしたんです。一切誰とも話さなかったし、むしろ話せなかった。
家や学校では普通に話せるんだけど、塾にいると急に喋れなくなるの。いじめられているとかではないんだけど、ただ誰もわたしに話しかけようとはしないし、わたしも話さないしで、不思議な状態だった。
私が通ってた塾は、土日含めてほぼ毎日、何時間と授業があるようなところだったから、過ごす時間の長い場所で喋れなくて、友達がいなかったのはけっこうつらかったなぁ。

最近やっと知ったんだけど、その時のわたしは「場面緘黙症」というものになっていたらしい。幼少期にそういう症状が現れる場合が多いみたいなんだけど、ある一定の場所にいくと、不安や緊張から急に喋れなくなってしまうものらしくて。

話さないから友達もできないし、話せないから先生も「なんだこいつ」って思うし、スタッフも困ってた。そんな状態なのに、塾では毎週順位付けをされる。毎週毎週、テストの度に席替えがあって、成績順に座らされる。わたしはクラスの中でもだいたい一番後ろの方にいたの。たまに順位があがってもまたさがっての繰り返しで、後ろの方で行き来するだけ。いつクラスがワンランクダウンするんだろう、って怯えてた。ただ、数字で評価されて、コマのように動かされる。私自身は喋れもしないし、愚痴を共有できる友達もいない。自己表現なんてまったくない世界で、数字だけで人間が評価されてたのが、嫌でたまらなかった。

その3年間、わたしはいてもいなくてもいい存在だった。ここに自分がいなくても、誰も困らない、誰も悲しまない。そういう状況は簡単に起こりうるんだって思ったら、歳を重ねても心の中でこのことがずっと引っかかっていて、自分に自信がない原因のひとつになってた気がする。
最近よく自分の人生を振り返るんだけど、この空白の3年間は、わたしにすごく影響を与えていると思うんだよね。良い意味でも、悪い意味でも。あれからもう何年も経った今、ようやくその状態に名前がついていることを知って、これはれっきとした症状なんだってわかって、腑に落ちて安心できた。

結果的に中学受験はうまくいって、とてもいい校風の学校に行けることになった。校則もなくて私服で登校もできて、生徒に順位をつけないポリシーの学校で、成績も絶対評価でつけられた。部活も活発で、色々な場でディスカッションをするにしても意見を言い合うのを尊重してくれて、生徒の個性を認めてくれる場所だった。中高一貫のその学校で6年間すごしたことで、ある程度の自信と元気は出たんだよね。あの学校に入っていなかったら、今頃わたしはどうなっていたんだろう。
中学受験自体はすごくいやで、塾も行きたくなんてなかったけど、結果的には頑張ってよかったな。最終的には、廊下で大声で歌い歩いたり、授業中に笑いすぎて先生に怒られたり、髪の毛をピンクに染めるような女子高生に成長できた(笑)自己表現ゼロの時間があったからこそ、そういう風に生きることがいっそう楽しくて幸せな事に感じられたよ。

だから、人の個性を無視して査定をしたり、数字でしか人を評価しない社会は、すごく嫌なんです。そういう組織に、どうしても違和感を感じる。
その経験もあったから、人の目を気にして、目に見える数字や誰かからの評価を求めて動くんじゃなくて、自分の好きなことに正直でいれる生き方をしようと思った。会社を辞めて自分の好きなデザインの道に進んだこととか、それこそ好きを表現できる文化祭の企画もそう。自分の気持ちに嘘をつかなきゃいけない状況の人ってかわいそうだなと思うし、自分に嘘をつくのももういやだな。

―瀧口さんにとっての一番の「好き」を教えてください!お仕事以外のことでも大丈夫です!

「誰かの好きを知ること」。好きなことを語っているときが、人が一番キラキラしている瞬間な気がする。子供みたいに、自分の好きなことを話せる人っていいよね。

わたしくらいの年齢になると、好きなことをめいっぱい表現している人って少なくなってくるの。それこそ、本当は好きなものがあるはずなのに、社会にでたことでその気持ちが埋もれてしまっている人もたくさんいる。
でも、人の好きなものを知れたときって「この人ってこんな人なんだ」っていう発見もたくさんあると思うのよ。普段はなんとなく働いている人でも、実はこんなにキラキラした面があるんだ、とか。もっとみんな素直にその感情が出せて、自分はこういう人間なんだ!て表現しやすくなれば、いろんな場面で意見を言えなくて悲しむことも減るんじゃないのかなぁ。

歳をとったからって、誰もが大人っぽくある必要はないと思ってるんだよね。そもそも、大人って定義もわからない。大人って、なに?
大人って、子供を説き伏せるために「大人」が勝手に作った言葉でしかないような気がしてる。大人と子供の定義を分ける必要ってあるのかな。子供のときには好きって言えたことが、どうして大人になると言えなくなるんだろう。そういう風に素直になにかを言える人のほうが、かっこいいし素敵だと思う。

11月にまた文化祭を開催するんだけど、今回のこだわりは「好きだけど、本業じゃないこと」。本業にしていないことだからこそ、そこに本当の自分が隠れてるんじゃないかって思う。自分よりも上手なひとがいるから好きって言うのやめようとか、好きって言って誰かにこう思われたらどうしようだとか、そんなの関係ない。
好きなものは好きって言っていい。幼いころ無邪気に言えていたように、好きに正直になっていい。正直な人ってキラキラしてるし、誰かの好きを聞くことがわたしは好き!

―最後に!瀧口さんにとって、働くってなんですか?

自分の人生を総動員すること!

働くっていうのは、自分の経験を全部使って何かをして、お客さんからお金をいただくことだとわたしは思ってる。
それこそフリーになってから、お金の大切さを実感したの。決して贅沢をするためではなくて、最低限食べていけて、屋根の下で寝れて、ささやかな思い出を積み重ねるような経験ができるくらいのお金は、人として豊かに生きていくのに必要なものだよね。自分が不安にならないためにも、ある程度は持っておきたい。結局お金がないと、自分に余裕もなくなるから、人に優しくできなくなってしまう気がしてる。

今のわたしは、これまで生きてきた自分の経験すべてを使って仕事をしてる。お客さんからいただくお金というのは、そのお客さんが汗をかいて働いて得たもの。命を削って得た大切なお金を、わたしにくれるの。だから、仕事にはいつでも真剣でいたいし、何があってもお客さんと向き合っていかなければならないって思ってる。

仕事は、お客さんがいないと成り立たない。熱い想いをもったお客さん自身が、その思いを誰かに伝えたいと思っているけれど伝える術がなかったとして、それを形にするのが自分の役目です。相手がいるからわたしの仕事がなりたってるし、お金もいただける、それで生きていける。その人が思い描く「好き」があるからこそ、働けている。その人の好きをできるだけ素のまま、ときには増幅して、世の中に広く伝えるために、わたしの仕事があるんだよね。

「経験」というのは、もちろんデザイナーとしての技術的なものもそうだけど、それと同等に、いままでやってきたデザインとは一見関係ないようなすべてのことが仕事に繋がってると最近感じる。職人さんや農家さん、時にはアメリカにバックグラウンドを持つキッチンカーの店長さんなど、いろんな人と一緒に仕事をしていて、そういう方とお話をするとき、自分もある程度その方と共感できるような経験があると、話が弾むことがあるんだよね。トンボ玉作ったことあります〜!とか、稲刈ったことあります〜!とか(笑)話が弾むとお客さんもわたしに悩みを話しやすくなるし、私がアウトプットするときも、お客さんの伝えたいことがイメージしやすくなるし、結果的に良いデザインに繋がるの。

そう考えたとき、お金って仕事を循環させる役割にもなってる気がした。お客さんからお金をいただいて、そのお金を使ってわたしは何か新しい経験をして、その経験を別のお客さんに還元して…って。稼ぐのは、贅沢のためではなくて、人らしく生きるためな気がしているんだよね。人らしく生きて、人らしく仕事をしたいな。

今のわたしがいるのは、これまでの自分がいたから。その積み重ねのすべてを総動員して、自分と素直に向き合いながら、仕事がしていきたいって思ってます。

インタビューの最中も、とにかくグッと来る瞬間が多くて、夢中で聞き入ってしまいました。わたしも、瀧口さんと巡り遭えたご縁に感謝せずにはいられないです。いつか一緒にお仕事ができるよう、わたしも自分と素直に向き合って、今の自分を積み重ねていこうと思います。

瀧口さん!素敵なお話ありがとうございました!

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いつも応援ありがとうございます。