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【小説】醜いあひるの子 3話

※智風が受けた虐め(残酷的表現)の話が出てきます。


それから3日間『同情』と考えが纏まると余計に落ち込み、『好意』と考えが纏まると嬉しすぎて悶えていた。
しかし『本気にしたの?冗談だったのに』なんて言われたら立ち直れないであろう。

休み時間も答えの無い問題に浮き沈みし、ブツブツと聞き取れない声で独り言を言っていたせいで周りに

『勉強し過ぎで頭イっちゃったんじゃないのか?』

と、余計に距離を置かれる羽目になっていた。
まぁ、そんな事はどうでも良いと思える様になるのも凄いもので…。

しかし、智風自身、何故にこんなにも彼の事で悩んでいるのか分かっておらず、悶々とするしかなかった。


***
土曜日。
“考えるのはやめよう”と心を無にし、バイトに専念した。
考えても答えが出て来る訳でも無く、疲れ果ててしまっただけなのだが。
ただ、彼が冷やかしで自分を食事に誘った訳ではない事を祈るしか無かった。

そして、バイトが終わり、自転車を走らせる事10分。

20時15分。何時もの時間に鮎川家に到着。

門の前に自転車を止め、カバンを抱きしめるといつも以上に深呼吸を繰り返した。

「よ、よし!」

門を開け、玄関に向かう。
チャイムに指を置くが、押すことが出来ない。

“ど、どうか、『冗談』でありませんように!”

そう必死で祈っていると、フッと後ろが暗くなった。

“ーーーーーえ?…だ、誰か居る!”

すると、背後にいた人が手を伸ばして来るのが影で分かり、智風は慌てて振り返った。

「ひっ!あ……あ、あゆ、川くん…」

そこにはコンビニ袋を持った鮎川がいる。
上手く呼吸が出来ず真っ青な顔で鮎川を見上げると、彼は困惑した顔で首を傾げた。

「どうしたの?」

「な、何でも、無いです……。あ、あの、今晩は……」

安堵し、ふぅ、とため息を吐き、そして、誤魔化す術なんて持っていない智風は、ただ、何時もの様に深々と頭を下げる事しか出来なかった。

「あ、も、もしかして、こ、コンビニに行ってたの?」

「え?あぁ。お茶切れてしまって。もしかして、かなり待ったんじゃないの?」

「い、今来たところ!」

力いっぱい首を振ってみせる。
それを見た鮎川は何時もの様に笑い、ジーンズのポケットから鍵を取り出す。
鍵を取り出す仕草も画になり、見惚れてしまい先程の恐怖も和らぐ。

「そっか。なら良かった。それにしても、もう10月になるのに暑いね」

「え?あ、う、うん……。あ、あの、来週の水曜日、小テストなので登校、お願いします…」

「はいはい。了解です」

鮎川がカギを差し込み横に回すと、コトン、と音を立てる。
玄関を開けると、甘酸っぱい香りが漂ってきた。
他界した母がよく作ってくれたチキン南蛮と同じ匂い。
それは安心感を与えてくれるのもだった。

先日の様に鮎川は智風の前にスリッパを出してくれ、それを履き、彼の後ろをついて行く。
たったそれだけの事なのに、幸せで、嬉しくて、緊張も恐怖感も無くなっていた。

「あ、今日もうちの親居なくってさ」

そう言って鮎川は先日智風が座った椅子を引き、座る様に促される。
残念、だとか何か言った方がいいのか迷ったが結局は口に出す事は出来ず、智風は黙って椅子に腰掛け、鮎川に目をやった。
鮎川の服装、今日は何時ものパーカーではなく、7分袖のロンTだ。
男子高校生らしい格好だが、整った顔立ちに、細く切れ長の目。
サラサラの髪の毛に、大きく開いた襟の間から見える綺麗な鎖骨を見ていると、本当に高校生なのだろうか、と疑いたくなる。

“鮎川くんのような人を『男前』って言うんだろうな…。身長が高くて、人気もあって、本当に凄いな…”

今迄こんなに人を観察した事も無い。
ましてや、男の人なんて例外で。
しかし、男の人は意外と筋肉がついているもので、ふにふにとした自分の腕とは違うものなんだな、と感心してしまう。

鮎川はタッパーの蓋を取ると、タレに浸けてあった揚げた鶏肉を取り出し、5等分程に切り分けていく。
白いお皿にそれを乗せ、もう一つのタッパーの蓋を取ると、タルタルソースの香り。
智風は思わず立ち上がり、目を輝かせた。

「そんなにボクがカッコいい?」

下を向いたまま作業を続ける鮎川に声を掛けられ、智風は驚きの余り慌てて腰を下ろした。
その行動に鮎川はクスクスと笑う。

「もう出来るから」

盛り付けが終わると、ウエイターみたいに鮎川が料理を運び始める。
その一つ一つの動作が素敵で、つい見惚れてしまう。

「お待たせいたしました、屋嘉比様。ご注文のチキン南蛮でございます」

ご飯とスープを出し、セッティングを終えた。
チキン南蛮に感動さえ覚え、智風は嬉しさの余りそわそわとしていた。
鮎川が席に着くのを見て、手を合わせると

「「いただきます」」

声がハモり、思わず顔を見合わせ笑ってしまった。
何も考えず笑ったのも久し振りで、心の中で鮎川に感謝した。

「口に合えば良いんだけど」

食べやすく一口大に切られたそれをゆっくりと口に含む。
鶏肉は柔らかくしっかりと味が染み込んでおり、その上、タルタルソースが絶妙に主張して来る。
本当に美味しい。
母が作ってくれたモノよりも美味しいかもしれない。

「……っ!美味しい!」

「本当?あ〜良かったぁ〜。自信作だったから“美味しくない”とか言われたらどうしようって少し心配でさ」

「そ、そんな事絶対言わない………え?あ、も、もしかして、このチキン南蛮、鮎川君が作ったの?」

智風は驚きの余り、鮎川を直視した。
すると、鮎川はどや顔で智風を見返す。

“ぐ…、カッコいいです”

「うん。あ、これ簡単なんだけど、ちょこっとコツがいってさ。その一手間をするだけで断然、美味しくなるんだよ」

と、作り方やら色々と教えてくれる。
話し上手な鮎川。
作る事も出来ないのに思わず聞き入ってしまっていた。

2人で食べる御飯は本当に美味しく、食が進む。
智風は悩んでいた事をすっかり忘れ、楽しい食事を摂る事が出来た。

「ここ片付けたらデザート出すよ。コーヒーゼリー食べれる?」

「う、うん……」

「チキン南蛮が味が甘めだったから、コーヒーゼリーは気持ち甘さ控えめにしてるんだ」

「そ、そっか…」

食事を終え食器を片づける鮎川に、勇気を振り絞り声を掛けた。

「あ、鮎川君、あ、あの!か…か、片付け、手伝って、いい…です、か?」

「え…?」

少し驚いた顔をした鮎川だったが、すぐに何時もの様に笑い

「うん、手伝って」

エプロンを智風に手渡した。

………カチャカチャと皿の当たる音と水の流れる音はとても心地良く、二人の会話を弾ませていた。

“こんな風に並んで立っていると、こ、恋人みたい!”

と智風は妄想に浸り、鮎川に見られない様に口元を緩めた。

「でね、ボクのじいさんが190センチあって。父親は170センチだから完璧、隔世遺伝」

「鮎川君は、今、何センチあるの?」

「186センチ」

「す、凄いね!186センチかぁ…。何かそこから見る景色って違うんだろうね…」

「でもさぁ、大きいからって良い事だらけじゃ無いから。本当、困る事も多いんだって。例えば、ほら、部屋に入るときの戸の高さって日本は178センチが主流だから毎回頭下げないといけなくって。もう気を抜いたらデコとか後頭部ぶつけるしー。ほら、見てよー!」

そう言って鮎川は前髪をかき上げた。
其処にはくっきりと線が入り少し赤くなっている。

「コンビニ行く前にそこの入り口でぶつけた」

「…鮎川君でもそんなドジ踏むんだ」

見上げていると鮎川が急に笑顔で見返すので、智風は慌てて顔を下げた。

“ふを!!!笑顔がまぶし過ぎて見れません!”

くっ付きそうなくらい側に居て、鮎川に心臓の音が聞かれないだろうか。
智風は平常心を装いながら、話題を必死で考え

「あ、あの、鮎川君て、何時もご飯作ったりするの?ほら、上手だし…」

と、すり替えてみた。

「うん。両親共働きだから、小学生の時から作ったりしてる。それが今や、専業主夫みたいに扱き使われててさ」

「って、事は……家の掃除も鮎川君がしてるの?」

「そ。うちの母親、家の事するより、仕事する方が100倍良いんだってー」

「な、何か鮎川君て凄い……」

「ボクもこれに慣れてしまってるから、こんな事してる方が楽だったりするんだよね。あ、他の奴には内緒でお願いしま~す。ボクのイメージ崩れたら困るから」

鮎川は肩をすくめ、その言葉と行動に智風はクスクスと笑う。

“あぁ、楽しい”

本当に楽しいと思った。
人と会話をする事がこんなに楽しいものだとは。

ふわふわとした時間が流れて行く。

ーーーが、突然。
鮎川の発した次の言葉に、智風は現実へと引き戻された。

「…あのさ、屋嘉比さん、何で髪の毛で顔隠してるの?さっきも背後から声掛けようとしたら、顔色悪くなるし……」

その言葉に智風の動いていた手は止まり、…そして、沈黙の時間が続いた。

「…………………」

「………えっと、何かボク悪い事聞いた、かな…?」

耳に入って来るのは止め損ねた水の音だけ。
智風の頭の中は酸欠状態で、ぐらぐらと揺れる。
鮎川はその事について聞いて来ないだろう、と心の何処かで思っていた。
『他の人とは違うと』
いや、聞かれたくない事だった。鮎川には、絶対に触れて欲しくない事だったのだ。
別に彼は裏切った訳でも無い。
なのに、勝手に裏切られた気分になり、もう、頭の中がぐちゃぐちゃで暗闇に落とされた感じだ。

“やっぱり、鮎川君も……”

そう思うと急に悲しくなり、今迄ずっと抑えていた気持ちが溢れ出た。

「カッコいいって、騒がれて…」

「屋嘉比さん?」

「皆に良く思われてる人からしたら……あたしなんて、滑稽に映るわよね」

「ちが、そんなつもりで聞いた訳じゃ無くて、」

「苛められてた人間がそんなに面白い?友達もいなくて、何時も独りで、“貞子”って呼ばれて!どうせ、どうせ、あたしなんか、生きてる価値なんか無い惨めな人間よ!莫迦にしたいんなら、すればいいじゃない!笑いたかったら笑えば!?どうせ気持ち悪いって、皆で笑ってるんでしょ!?」

「屋嘉比さん!ボクはそんな事思っても無い!」

「鮎川君に私の惨めな気持ちなんて理解出来る訳無いでしょ!?お願いだから、面白半分に人の古傷に触れる事しないでっ!」

下を向いたまま、握りしめいたスポンジを置くと

「あっ……、ご、ごめんなさい」

エプロンを脱ぎ、逃げる様にカバンを置いていたテーブルに向かう。

「もう、プリント、来週から他の人に持っ、」

何が起こったか理解出来ずに智風の思考も時も止まった。

「ごめん!本当にごめん!」

謝る声と、目の前に映るは鮎川の綺麗な鎖骨。

彼に抱きしめられている、と理解出来たのはかなり経ってからだった。
親以外、誰が自分を抱きしめてくれただろうか。
鮎川が自分にどんな感情を抱いてようと、そんな事どうでもよかった。

そして、気づいた時には止めどない涙で、鮎川の服を濡らしていた。


幼いというのは残酷で、容赦というものが無い。
虐めが酷かったのは小学に入学してから3年生の転校する迄。
日常的だったのはクラスの中心人物だった女の子に『ブス』と罵られ、髪を掴み上げられ背中をよく蹴られた。
トイレは格好の場所で閉じ込められたり、物で叩かれたり、水をかけられる事もあった。
頭にビニール袋を被せられ、階段から蹴落とされたりもした。
2〜3段位だったのでたいした怪我も無かったが、その都度、誰も助ける素振りも無く皆、笑って横を通り過ぎて行った。
それ以上に物を捨てられたり切られたりする方が多く、毎回、両親にどう言い訳するか頭を悩ませた。

そして3年のある日、虐めの主犯格に髪を切られ『そうやって顔隠しとけ!』とトイレに閉じ込められた。
担任は智風が髪を切られている事に気づいていたようだったけど、そのまま授業を続けて智風を見ないようにしていたように感じた。
虐めに気づいてはいたみたいだが、現場を見た訳ではないので何も言ってくれなかった。
髪を切られた日から躰に受ける虐めは無くなったが、反対に智風の存在が無いかの様に無視が始まった。

両親が虐めの相談したある偉い先生は『虐めに遭うのは本人に原因があるからだ』と言い、一方的に両親を罵り、追い返した。
家に戻って来た両親がなかなか中に入って来ない事を心配して見に行くと、泣き暮れる母と無言で母を抱きしめた父がいた。
2人の会話からして自分の事だとすぐに分かり、自分が迷惑な存在だと幼心で悟った。

『親に迷惑をかける悪い子なのだ。駄目な子なのだ。それに人に嫌われて生きている価値のない人間。必要ともされない人間なのだ』と。

だからと言って、自殺するという勇気も持ち合わせていない情けない人間。
だから虐めに遭わない為にも顔を隠して、誰にも気づかれない様に息を殺していればいいと。
それは親にも話せず、ずっと胸の中に閉じ込めていた。

しかし。
どうしてなのか、…自分でも分からないが、鮎川に吐き出してしまった。


ーーー気付けばアパートに帰っており、パジャマに袖を通していた。

「頭…、痛い…」

顔を洗いに洗面台に向かい、水を出す。
その水をぼんやりと眺めていると、徐々あの後の事を思い出し、顔を真っ赤になっていった。

泣きながら虐めの過去を赤裸々に語って…。
だが、鮎川は黙ってそれを聞き、ずっと頭を撫でてくれ、そして、智風の髪をかき上げて額にキスをしたのだった。
アパートまで無事に帰りついたのも、フリーズしてしまった智風の手を引き送ってくれたのだ…。

「どどどどうじよう……」

発狂したいのを我慢し、ベッドに潜り込んだ。
が、眠れるわけも無く、思い出しては悶えた。

「す、水曜日…どんな顔して会えばいいの…?もう、消え去りたいよぅ……」


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