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『それでも僕は帰る』を支えてくださった皆様へ バセットの訃報を受けて...

2015年8月1日に日本公開した、ユナイテッドピープル配給『それでも僕は帰る 〜シリア 若者たちが求め続けたふるさと〜』主人公のバセットが、亡くなったと、昨日、同作監督のSNS投稿と、いくつかの海外メディアの報道で知りました。

正直、何をここで述べるべきなのか、分からないまま、それでも伝えなければならない何かが心に渦巻いて、パソコンに向かっています。

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("はじめまして"な方は、映画の概要や、なぜ私がこの作品に強い想いを寄せていたのか...など、以下2記事をご覧いただければと思いますが...)

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まずは何より、この作品を日本に届ける応援をしてくださった、270人強のクラウドファンディングコレクターの皆様、イベント登壇や物品提供のご協力をいただいた皆様、情報拡散のお力添えをいただいたメディア関係者の皆様、感想等をSNSでご紹介いただいた皆様、上映会を開催してくださった皆様....挙げきれないくらい、この作品に関わってくださった多くの皆様に、心から改めて感謝申し上げます。

バセットは、シリアの民主化運動の"アイコン"的な人物ではありましたが、広い世界で見たら、"名もなき市民"のひとり。皆さんのお力添えがなければ、彼の声は日本にここまで届かなかったと、大袈裟でなく思っています。

「シリア」という日本からすれば、物理的にも心理的にも遠い場所のことに、こんなにも一緒に想いを馳せてくださる方々がいることに、私自身、この作品を配給しながら、何度も励まされ、何度も胸が熱くなりました。

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バセットの訃報を受けて、今いろんな感情が渦巻いています。

何もできない自分の不甲斐なさ。世界の大きさと無力感。「正解」の見えない世界への虚無感...。

うまく言葉にしきれない、その"渦"のなかから、なんとか絞り出すとすれば、

一度手に取ってしまった武器は、簡単には下ろせない。
「正義」と「正義」がぶつかりあってしまったら、戦いの「終わり」は決して存在しない。

という気持ちかもしれません。

19歳から27歳まで、8年という、とてつもなく長い年月を戦い続けてきたバセット。私は彼に会ったことも、直接コミュニケーションをとったこともありません。彼が何を考えてこの歳月を過ごし、どんな想いで最期を迎えたか、想像もつきません。

ただ、戦いに戦いを重ね、家族や友人たちの死が積み重なっていくほどに、「正義」をたぎらせる燃料は増え、武器をおろす道は閉ざされていったのではないかと思います。

死以外に、彼が戦いをやめる時が、この世界に訪れえたのか...私には想像ができません。死しか、もはや彼を止めることはできなかった...。とてつもなく悲しいですが、そんな風に思います。

「自由」や「正義」という目に見えないものがゴールになると、具体的にどういう状態になることが「終焉」か見えないまま、ただ目の前の「敵」と戦い、怒りを注ぎ続けることしかできなくなる。それが戦争や紛争なのではないかと、あらためて思います。

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長期化するほどに、問題は複雑化し、原因は不明瞭になり、ただ亀裂ばかりが深まっていく。関わる人によって、触れる情報によって、見える世界は異なり、100%の「正解」はどこにも存在しない。それでも、その渦中に入ってしまったら、自分の解を突き進めるしかなく、ぶつかり続けるしかない。

この映画を届けて以降のシリアを、少し離れたところで見つめながら、そんな印象を抱いています。そして、シリアに限らず、世界のいろんな問題が、同じような構造で起きているような気がします。

バセットの死をどう捉えるのか。彼の"遺志"にどう耳を傾けるのか。

それを考える時、私たちはバセットをある種突き放して、俯瞰して、見つめることが必要なのではないかと思っています。彼が望んでいた自由で平和な社会を取り戻すには、「復讐」ではない、きっと何か違う道を、模索する必要があるはずだから...。

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ただ....

ただただ...

会ったことはないものの、心に強く思い続けてきた、同年代の「友人」として、冷静な分析なんて、一旦差し置いて書きたいのは...

彼がとてもキラキラしたキレイな瞳をもつ人だったこと。

笑顔がとても柔らかくてチャーミングだったこと。

情熱とユーモアさをもった人だったこと。

家族や友人への愛を深くもった人だったこと。

責任感が強く、決して諦めない人だったこと。

多くの人を惹きつけるオーラをもった人だったこと。

彼が望んでいた、ふるさとで家族とともに寛いでいる姿を、その時のやわらかな笑顔を、見たかった。

子どもたちと青空のもと、元気にサッカーをする姿を、もう一度見たかった。

いつか、直接会って、日本でこの映画を届けた時のことを話したかった。

復興したホムスの街を一緒に歩いてみたかった。

生きている限り、「いつかきっと」と願うことができたいろんな夢が、もう決して叶わなくなってしまったことが、ただただ悲しいです。

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そして、ありがとう、バセット。

あなたのおかげで、シリアと日本を繋ぐ、小さな一歩を作ることができた。

あなたのおかげで、学べたこと、繋がったご縁、体験できた貴重な時間が、たくさんあった。一生の宝物のような記憶を、私はたくさんもらった。

いつか直接伝えたかった「ありがとう」を、シリアと繋がっている、この空に託して...。

Rest in Peace.


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