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画家・石田徹也の村上隆及び草間彌生観

私は1990年代以降のサブカル臭の強い日本の現代アートが大嫌いなのですが、その時代で唯一好きな現代アート作家が石田徹也です。先日、『石田徹也 聖者のような芸術家になりたい(別冊太陽 日本のこころ308)』(平凡社、2023年7月)という本が発売されたので早速読みました。石田徹也の学生時代の親友である平林勇氏(映画監督)による証言が載っているのですが、村上隆と草間彌生に関して非常に興味深いことが書かれているので引用致します(pp.150-153)。

 私たちは美術大学に通っていた事もあり、アートについてよく話しました。私が一番印象深く残っているのは、アウトサイダーアートについての話でした。その当時、世田谷美術館でアウトサイダーアート展があり、それを見に行った石田君がカタログを見せてくれました。石田君は、アウトサイダーアートこそ本当のアートだ、みたいな話をしていました。ピカソだってアウトサイダーアートに影響を受けている、パクリと言ってもいい、という言い方もしていました。
 石田君はとにかくオリジナリティについていつも考えていたようで、アウトサイダーアートこそが本当のオリジナルだと言ってました。石田君はアウトサイダーアートと出会ったことで、自分はアウトサイダーではない、という事を意識し出したようにも見えました。それから日が経ち、石田君はこう言いました。「オリジナリティのあるものはもう作れない。」と。「結局は何かと何かを掛け合わせる折衷でしか、オリジナリティを感じさせるものは出来ない」と、少し達観したように言っていました。石田君は天才に憧れていた様にも見えました。

(中略)

 石田君は欧米のアートシーンに憧れを抱いていました。日本では不遇であると言う自覚も強かった気がします。日本の美術界は閉鎖的で、若くて可愛いくて社交的な女の子はギャラリーの人に可愛がられるので活躍出来て、自分のような、男でコミュニケーションがヘタな作家は、ぞんざいに扱われる、様なことをよく話していました。だから日本のアート界には自分の活躍する場所はなく、実力だけで評価される欧米に行きたい様なことを言っていました。

(中略)

 石田君は村上隆が嫌いでした。その当時から村上隆はアートシーンの有名人でしたが、石田君は村上隆をマーケティングでアートを作っているような捉え方をしていました。村上隆の作品のどこがアートだよ、みたいな言い方をしていて本当に村上隆が嫌いでした。私は広告やデザインの方に興味を持ち、そちらの道に進もうとしていた事もあり、村上隆は大好きでした。でも、村上隆のことを好きだと言うと、石田君に軽蔑される気がしたので、村上隆の話は極力しないようにしました。石田君は草間彌生も嫌いでした。「精神に障害があって少し変わった行動をしている様に見えるけど、あれは演技だと思う。」と言っていました。アウトサイダーアートのパクリだと。
 石田君はアートシーンでうまく立ち回ってるアーティストが嫌いで、精神を病んで結果的にアーティストになった様な人が好きだったように思えます。ゴッホも好きでした。芸術家にしても小説家にしても、石田君の好きなアーティストには自殺した人が多かったです。石田君には自殺の美学があるかもしれない、と学生時代から思っていました。

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