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母への愚痴と自分の心の整理

母親に社会人になって落ち着いた頃にいったことがある。「お母さんももしかしてこれ(HSP)なんじゃない?」と。

ムッとされて終わった。

一時期わたしが高校の頃に母は心療内科に通っていた時期がある。だが、診断名はなく、あなたは病気じゃない。大丈夫と言われていたようだ。

だったらなんだったのだろう。カサンドラ症候群なのか、なんなのか。まあ、診断名がついたとしても精神科系の薬を飲まない・飲ませたくない方向性の彼女が素直に認めて内服する可能性は少なかったのではなかろうか。
ただ単に性格のせいなのか。それはそれで厄介だ。
わたしの母は社会性はない。それは母の兄弟も認めている。社会の現実が理解できない人である。

資格を取る勉強はできて、試験も受かる。仕事をしている時期もあったが、仕事の愚痴や相談を父にするのですぐに父は極端で過度な思考になり暴れ、母にも止められなくなり家庭崩壊する。
母は父にも相談したいから話し続け、父が狂った頃にどうしたものかと悩み出す。
挙げ句、父が家にいなさい言うから仕事はできないと。
そりゃ父に言えばそうなるだろう。聞いてる側は愚痴だと割りきれないといけないのに、尚更統合失調症を抱えながら愚痴の聞き手にまわるのには精神衛生上悪いし、聞いて狂って父は止まらない。自分を止められない。
だから最終的に父の口から仕事はするなという言葉で母に返ってきた。
まあ、仕事ね、父もしてないんだけどね。誤解を解くなら私が中学生くらいまでは働いてたよ。そこから腰痛持病悪くなり働けなくなり、母が取った資格(介護福祉士では結婚前働いてたからその年数クリアして合格したケアマネージャー(今は以前と受験資格かわった))で働きに出ていたよ。
まあ、あとね、父の急な受診とかあるから就職できないとよくいっているね。
今はこどもが親元を離れ自立し、去年なかなか認知症とは認められなくて苦戦した頑固じじいの母方お爺ちゃんも亡くなり、介護が必要なのは父のみ。
私が仕事をしていた頃、統合失調症で3ヶ月ほど体調を悪くして入院していた父が退院するとなり珍しく心もとない母をみて、(あとわたしも仕事休みたかった!)1ヶ月介護休業をとった。状況を把握できたこともあり、時間経過もあり、なんとか父がデイサービスを利用するところまでは持っていけた。
訪問介護や看護も提案されていたが、母が他人が家に来ることへの拒否が強く導入は無理だった。また、デイサービスも他人が食事をつくる、自分が見れなくなる。父方のおばあちゃんに父を看ることをお願いされていたのに看れない、あと謎の父への恋心(?)・他人への嫉妬、担当ケアマネージャーがもっとサービス増やしたほう良いっていうから不信感が強く、最初は拒否が強かったね。
ちょうどその介護休暇をとった頃は母はショートステイにいる実父の度重なる受診と入退院・自分の夫の二人の介護が必要だった。それでサービス使わないは無理だよ。だけどなんでそんなに拒否するのかがわたしは理解できなかった。だから伝え続けた。でも1ヶ月の説得では足りなくて、自分が仕事をやめて帰るのも本気で考えた時期もある。会社の上司に止められた。なんだかんだデイサービスはいってみたら父が気に入ったらしく、ご機嫌で帰ってくるのをみて母も徐々に回数を増やしていった。
まあ、そんな感じだから自分の時間はできてきたはずだ。働いてもよいのでは?とか思ったりするけど。
急な呼び出し・電話があるのは仕方ないし、その時々で折り合いをつけて仕事していく必要があるのかなとは思う。
子供の保育園からの呼び出しもそんな感じなのかな。仕事しながらだと大変だし回りにも迷惑かかるし、萎縮するし、ならいっそのことやめて自分で1日みる……。
うーん。この思考になるのはわからなくはない。保育園使用料も必要だし、でも預けて仕事でて呼び出されてなら稼げもしないし、支払いはあるし。難しい。
休みやすい、代わりの人がいる職場選びが良いのだろうか。ただ、そういう希望に添ったかつ、ほんとに周りの職員が寛容な職場は見つかるのか。
難しい。
介護も育児も同じように働き方が難しい。介護や育児をしながら自分の時間を確保するのは大変だ。

やはり周りの支えなしでは人をみれないというわけだ。

また、関わる・頼る人・環境を適切に選ぶ・選べる能力も必要なのではないかと思う。

わたしの母は信頼する人もいないし、身近な人たちに頼れなかった。それがおおいに苦労する要素となっていたのかもしれない。


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