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「何で学校に行かないの?」

長年不登校だったわたしが一番よく聞かれた質問でした。

なぜ行かないのか?

先生や同級生、親など色々な人に何度も聞かれましたが、結局この質問に私は答えないまま大人になりました。

「行きたくない」
と答えることはあっても
「こうこうこう言う理由で私は行きたくありません」
と何となくでも「理由」を伝えたことは一度もありませんでした。

身体の不調を伝えることはあっても、大人たちが求めているのはそういうことではなく、おそらく根本的な問題の部分でしょう。

「行かない原因」を探って「対処」しよう、とするのは当然ですから、親、教師、と周りが一生懸命探ろうとします。

それは本人しか分からないのだから、本人から答えを得なければ、と必死です。

きっと言わないだけで、何か原因があるに違いない。
言いにくいことなのかもしれない。
ひょっとしたらいじめられていて、言ってはいけないと思っているから言い出せないのかもしれない。

学習面で何か不満があるのではないか。
まぁでも周りに馴染めないという些細な理由かもしれない。
それなら何かしら少しサポートすればすぐに行くようになるかもしれないからとにかく理由を答えて貰わなければ、、、。

などと色々な想いを巡らせているのでしょう。

周りは不思議で仕方がない

とは言ってもいじめられている様子もない、学校では友達と楽しそうに一緒に話したり、遊んだりしている。
勉強が苦手だ、とか遅れている様子もない。
病欠で休むことはあっても、大きな病や、難病というわけでもなさそうだ。
じゃあなぜ?
なぜこの子は来ないんだろう?
なぜ行かないんだろう?
と周りは分からなくて困っている様子でした。

ほんとうの答え

では、ずっと答えなかった「なぜ学校に行かないのか?」という問いを大人になった今、当時の自分を振り返って答えると



「分かりません」



これが答えです。

当時の先生からしたら信じられないかもしれませんし、呆気に取られるかもしれません。

でもこれが本人の率直な答えです。

私はずっと分からない質問をされて困っていました。

むしろ教えてほしい

行きたくないというよりどうしても行けないというのが、そのときの状態に一番近い感覚です。

色んな感覚や感情が混ざっていたのだと思います。

自分でも原因が分からないけど出来ないというのは中々辛いものです。

「むしろどうして自分が普通の子のように学校に行けないのか教えてほしい」とさえ思っていました。

何事にも理由が必要なのは子どもの頃から変わらない

明確な答えがないから余計に、行くよう再三言われ続けたり、怒られたりしていたのかもしれません。

「いじめられてる」と答えれば、親も「まぁそんなことがあるのならしょうがないか」と少しは思ってくれたのかもしれません。

「家で親から毎晩殴られている」と言えば、教師側もそれで学校にも支障が来ているのか、と納得するのかもしれない。

でも分かりやすくはっきりとした、免罪符になり得る大きな理由らしきものは、中学生だったわたしが一生懸命答えを探しても、見つかりませんでした。

分からない場合もある

前述の通り解決したいのですから、理由を探すのは当然のことですし、実際に理由が出てきて、対処することが出来る場合もあると思います。

例えば「いじめられてる」と本人が言うことによって、学校側に解決を求めたり、転校という手段を取る、無理に行かせずフリースクールに行って、学業は違うことで補う、など色々な手段が取れるようになります。

聞くことも、話してもらうことも必要です。

でも「分からない」ということもあるのです。

理由はあくまで後付けに過ぎない

例えば大人でも、何か身体的な病気になったときに、「お酒の飲み過ぎかな」とか「仕事が忙しくて睡眠不足だったから」といった理由を付けることがあります。

精神的なうつ病になったときなどでも、「ブラック企業だったから」とか「人間関係のストレス」など何かとりあえず理由を付けると思います。

でもそれも所詮は後付けに過ぎないのです。

本人がそう思ったことですら、明確に何か100%の証拠があるわけではありません。

相手は小・中・高生

ましてや不登校となるのは子供です。

何らか不調が出て、拒否反応が起きて、自分でも良くわからないけど行けなくなったなんてことは、そんなにおかしいことだとは思いません。

子どもだから何も分からない、ということではありません。

ただ、色々と騒動が起きている真っ只中で、自分の不調や、自分の身に起こっていることを、周囲の環境も含め、冷静に客観的に判断し、自分の感情を的確に言語化するということは大人でも難しいことなので、それを強く求めるのはハードルが高いように感じます。

私も当時分かりませんでした。

心というのは、たとえ自分のものであっても、そう簡単に言語化出来るものではないのではないでしょうか。

今になってようやく見えてくるものもある

それでも大人になり、色々な経験をして、色々な人と出会い、自分と他者を比較したり、自分の特性や性格なども見えてくるなかで、少しずつ「なぜ行けなかったのか?」の後付けも少し出来るようになってきました。

自分が育った環境なども大人になって冷静に見てみると違って見えてくることもあります。

当時「何で学校に行かないのか?」と聞かれて答えられないことで余計に周囲が焦り、苛立っていたように思います。

私のような例はあまり多くないのかもしれないけれど
「大きなひとつの理由があることもあるし、本人も分からないで困っていることもある」
「本人も困っている最中だからうまく言語化出来ないのかもしれない」
ということを頭や心の片隅に置いた上で、接してあげてほしい。

答えられないことに苛立たないであげてほしい。

そんなひそやかな願いを今は持ってこの記事を書いています。

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