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ガンジスで沐浴するような女 その壱

自由への道

ひとり旅が好きだ。
無論、誰かと行く旅も楽しいものだが、いつからかひとりで出かける方がよくなった。

ひとりの利点は色々あるが、日程や予算のすり合わせをしなくてよいこと、興味のない場所に行かなくて済むこと、そして、無理なスケジュールを組んでも誰にも文句を言われないことが何より大きい。
初めてひとりで海外に行ったのは確かパリだった。何度目かの渡仏の際にひとり旅を敢行し、そのあまりの快適さに、ひとり旅を止められなくなったのだ。20代の頃は、3泊5日みたいな弾丸スケジュールでパリに足繁く行ったものだった。

30代はずいぶんと遠くへも行った。何故か、あまり人が行かないような国に行くことも多かった。
ケニアは当時携わっていた国際NGOからの派遣だったのでひとり旅ではなかったが、それ以外はほぼひとりだったと思う。

ケニア
会議のガラパーティー

モロッコでは、駱駝の背に2時間揺られて、サハラ砂漠の真ん中のオアシスのテントに泊まったし、キューバではクラシックカーをチャーターしてチェ・ゲバラの邸宅に行ったりした。メキシコでは友達が紹介してくれたメキシコ人と待ち合わせをしてずいぶん遠くまでタコスを食べに行った。

「バフマ」という名前の駱駝だった
バフマは気が荒く、顔つきもあまり可愛げがなかった
彼は駱駝使いのおじさんと終始ケンカをしながらわたしを運んだ


近場では、香港の地元民でごった返す店で海老ワンタン麺に舌鼓を打ったり、ホーチミンの市場でドリアンを立ち食いしたり、コタキナバルのジャングルにテングザルを見に行ったりなど、誰かと一緒では相手に気を遣うような過酷なことも、全くもって平気にできる。最高だ。

コタキナバルの市場
愉快な店員さんたちと撮った「横山ホットブラザーズ」みたいな写真
大のお気に入りだ

気楽である。自由である。わたしはまさに「自由」を手にしたと思った。

その真骨頂が、表題の「ガンジス川で沐浴」だ。
以前インドに行った際にバラナシに行けず、非常に残念な思いがあったので、次に行くときには絶対に沐浴するぞというのがわたしの目標だった。また、寝台車でインド国内を移動してみたいという野望もあったが、それをなかなか実現できずに数年が過ぎた。

母の死を見つめに、ガンジス川へ行く


2016年の12月に母が逝去した。その日から、わたしの中にはずっと奇妙な感覚があった。「生と死の境目、生きていることと死んでしまうことの境界」がよくわからなくなってしまったのだ。人一倍元気だった母は病の発覚からたった50日で亡くなり、きょうだいのいないわたしは本当にたったひとりになった。ひとりになったが「母がいなくてさみしい」とかそういう簡単な感情ではなかった。

さみしい、は、どうもしっくりこない。今思い返しても、あの時のわたしは多分「さみしい」のではなかった。かなしい、は当てはまるが、さみしい、は違う。

むしろ「つまんない」と言ったほうが適当にも思えた。そう、母さんがいない日々は、なにかとつまんないのだ。わたしにとっての母の死は、そういう喪失だった。だけど、季節は巡るし、おなかもすくし、夜になれば眠る。落語を聴いて笑うこともある。でも、もうずっと、大好きな母さんはいない。

生きてるって何だろう?死んでしまうってどういうことだろう?
本当に分からなくなった。

そこで「そうだ、ガンジス川に行こう」となった。

生きているものも死んだものも一緒に流れているという彼(か)の川、あそこでいっちょ沐浴でもすれば、この生と死の境目の曖昧さもなんとか理解できそうな気がした。そして、この「つまんなさ」が何とかなる気がした。強烈なキックが欲しかったのだ。

善は急げ。
わたしはすぐにエア・インディアのチケットを買った。誰にも相談しなくていいので便利だ。そう、もう、母さんにも相談しなくてよくなってしまったのだ。

(つづく)

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