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己のTシャツに責任を持て 某国編

「人は己の着ているTシャツに責任を持て」という名言がある。
つくづく名言だなあ、と思うのだが、残念ながらご存じない方もいることだろう。

名言だが、認知度はまだそれ程高くないようだ。
なぜなら、それを言ったのはわたしだからである。

わたしは人がちょっと引くぐらい「好きなものが好き」なため、ローリングストーンズのベロTシャツを道行く若人が着ているのを見ると、気になって仕方がない。一度、うちのお店に来た若い男の子がベロTを着ていたので「あっ!ストーンズ好きなの?わたしストーンズ大っ好き!」と言うと、男の子は完全にぽっかーんとして「あ、これっすか。なんかバンドなんすかね?オレわかんないっす」などと言うではないか。

うそおん、と思った。

わたしは人がちょっと引くぐらい「好きなものが好き」なため、(←本稿2回目)、「なにかのTシャツを着るその思い」たるや、相当なものである。選ぶ柄いずれも、それへの愛を語らせたら、水を向けたことを人が後悔するぐらいの気概を持って着ている。なので、それがなんだか分からないのに着ているという人に会うと少しく困惑してしまう。

なぜ、そんな薄らぼんやりした心持ちでTシャツを着られるのだ!
Tシャツの柄は、主義だ!旗標だ!プロパガンダだ!

わたしが今年の夏に着ていたTシャツは、前述のストーンズ数種(すべてオフィシャルT)、デヴィッド・ボウイ(ALADDIN SANEは200m先から見ても判る)、高見沢俊彦(スカルのスタッズ)、伊丹十三(二日酔いの虫)、映画『タクシードライバー』でロバート・デ・ニーロが着ていた海軍Tシャツ(やたら高かった)、チェ・ゲバラ(キューバで買ってきた)などだ。

高見沢俊彦ソロT
かっこいいじゃないか!たかみー!好き!

ところがである。わたしのそんな気概も責任感も、何の役にも立たない場所があるということを思い知った出来事があった。

時は2009年。とある国に行ったその日、たまたまボウイTシャツを着ていたのだが、道行く人がじろじろとTシャツを見てくる。そして「彼が亡くなって悲しいね」「彼は素晴らしいシンガーだったね」などと話しかけてくる人が後を絶たない。すれ違いざまに、Tシャツを見ながら手を合わせられたり、無言で握手を求められたりもした。

念のため言っておくが、デヴィッド・ボウイが亡くなったのは2016年だ。
では、その時、一体何が起こっていたのか?

なにかと大雑把なその国の人々は、どうやらボウイをマイケル・ジャクソンと間違えているようであったのだ。確かに、その時分は、マイケルが亡くなってまだ日が浅かった。が、その日着ていたボウイは、鋤田正義さんのこの有名な写真を元にしたものだった。マイケルに・・・全然似ていない。

©️ Photo by SUKITA. All rights reserved

「違う!これ、デヴィッド・ボウイ!」と言っても、みんな、キラキラした目で「マイケル好きなんだね。。元気出して!」などと言う。

そんなことが起こる国、それは一体、どこなのか。

・・・インドである。

インドではボウイの認知度はさほどでなく、一方のマイケルには凄い認知度があったということなのだろうが、それにしても、アグラ城でも、タージ・マハールでも、いろんなインド人(観光に来るぐらいなので、結構田舎の人たちなのだと思う)がやたらと声をかけてきて、マイケルの訃報を嘆いてきた。その日、15回以上は呼び止められてそう言われた。レストランでも言われた。ホテルでも言われた。とにかく、たくさんの人に嘆かれた。

ああ、インドのおおらかさよ。
わたしは5回目ぐらいから訂正するのをやめて、うん、ありがとう、悲しいね、と言うことにした。

わたしのTシャツアイデンティティなど、インド人のメンタリティの前では実にハナクソのようなものであったのだ。ギャフン!

はっ。。

今日はインドの話をしようとしたのではなかったのに、こんなところに帰着してしまった。本当は、ゲバラの話をしようと思っていたのにだ!
これもインドの魔力であろうか。

(つづく)




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