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妹が抱える呪い


姉(第一子)の振る舞いを見て、妹(第二子)は要領の良さを身に着ける。

不器用な姉と、器用な妹。
母親と正面衝突しがちな姉と、上手く取り入る妹。

こういった相互関係は、比較的「あるある」として
世の中でも認識されているのではないでしょうか。

姉(第一子)として生まれた方々には
「親の期待と、自我表現の葛藤」というような
手ごわいテーマを持つことも、散見されますよね・・・。

では、翻って妹。(←本題)
妹って、本当に要領よく、器用に生きているのでしょうかねぇ。


 ※ここからは、妹=私個人を深掘りした考察です。
  他の方々の事例は知らないので、
  乱暴に一括りにする意図はありません。
  「少なくとも私は」ということでご容赦ください。

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問:「妹は本当に要領よく、器用に生きているのか」。


私自身の結論は、
「器用に生きるが、
 捻くれた呪いを抱える」です。

一見、要領よく、器用で、問題なく生活しているように見せられる。
笑い、泣き、怒り、欲しいものを欲しいとも言います。
それでも・・・ストレートに出さない感情が、あるんですよね。

それは
「ひとを出し抜いて生きている」という罪悪感。
「ひとの苦労をとっかかりに、存在意義を見出している」という後ろめたさです。

例えば、 
姉と母親の喧嘩を見て、自分の立ち居振る舞いを覚える。
母親が悩んでいる隙をついて、優しくする。

そうやって怒られないように、「この子はイイ子ね」と思われるように
隙をついて生き残ってきた。

私はここに考えが行きついたとき、
 浅ましい。
 卑しい。
 卑劣で、軽蔑すべき態度だ
・・・と、強烈に思いました。

この行動原理は、愛ではないのです。
他人(姉ー母、父ー母)の関係構築の邪魔をしているし、
他人を蹴落としても生き残りたい、必要とされたいという私のエゴです。相手のためじゃない。

なんて卑劣な生き方だろう。ぐうの音も出ない。

これはキツいです。
流石に直視したくないから、
日頃は無意識下に押し込めているんでしょうね。
でも、心には罪悪感が残る。
「ひとに嫌われている、いつか怒られる」と信じているし
「許されたい」と願う。

それが「捻くれた呪い」だと、私は捉えています。

私は時々、洞察力や分析力、深掘り、気づきのチカラがあると褒めていただきますが
そりゃそーなんです、「隙をついて生きていく」世界で暮らしていたのですから。
この「気づくチカラ」は、自分の卑劣さの軌跡です。

はーああ。

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愚痴と自己否定で文面を割きすぎてしまいましたが
実のところ、ひとつだけ、光も持ち合わせています。(のでご心配なく)

それは、「罪悪感を持つような冷静な目が、よく育ったなあ」という思いです。
「ひとを出し抜くことはイケナイことだ」と思うのは、健全な反応だと私は思います。
私はそういう健全さを持っているんだな、それは嬉しいなと思います。

「出し抜くことで生きてきた私」と「それを責め立てる私」に加えて
「その2者を俯瞰して眺める私」がいることにも、気づいています。
それも良かったなと、思います。


まぁ率直に申し上げると、今も自分の卑劣さ、捻くれた呪いがツライです。
でも、消し去ろうとするのではなく、共にいることを選んでいます。
気づいたところから、現実は変わる・・・たぶん。

そう信じて、今日のところは筆を置きたいと思います。
そのうち、別の解釈が生まれたりするのかもしれないしね。
このような長文をお読みいただいた方(がいるなら)
ありがとうございました。

私は今日も元気ですー。

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