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ちょっと体重が増えただけ

  子供のころからやせている人に憧れていた。私自身は決して肥満児というほど太ってはいなかったが、ぽちゃぽちゃした自分のおなかが好きではなく、プールの授業ではひょろっとした手脚の子やまっ平らなおへそ回りの同級生を密かに羨ましく思っていた。
 自分がぽちゃっとしているから、というわけでもないのだが、理想とする男のタイプも「ちゃんと食べてる?」って心配したくなるような、やせっちょで臀部にも肉がついてなさそうなにいちゃんおっちゃんばかりだった。
 
 私自身は身体を動かすことは好きだが、筋肉をつけるためだけのトレーニングに情熱を注ぐことができないタイプで、特段太ってもいないが締まってもいない、ゲイの世界で言うところのゆるぽ体型として需要があったりなかったりしながら暮らしていた。
 いつかは一念発起して腹筋割れてみたいな、などとぼんやり考えていたのも束の間、二十代半ばを越えて本格的に精神疾患をこじらせてしまい、多くの患者がそうであるように私も摂食コントロールができなくなって、二十キログラム近く体重が増えてしまった。
 健康な人がウエイトオーバーになると身体全体がむちむちしてくるものだ。だが私のようにメンタルに問題を抱えた人の場合は、四肢や顔などはさほどでもないが腹囲だけが以上にせり出してしまう、摂食障害を持つ人に特徴的なハンプティダンプティのような体型になってしまった。
 そうなってしまうと持っているボトムスはほとんど入らなくなってしまい、穿けるのはわずかに残ったいつも同じ伸縮性のある素材のものばかり。以前穿いていたズボンがものすごく気に入っていたというわけではないけれど、貧乏性をこじらせた私には、太ったせいで本来着ることのできる服たちが活用されないことに耐えられず、未だにサイズの入らないという理由で昔の服を捨てたことは一着もない。
 持病が長引いて十数年、肥満体である期間が長くなっても、これは本来の自分ではなく、鳥が渡りに入る前に脂肪を溜めこむような一時的な姿で、本当はそこそこしゅっとした人間なのだ、だからちょっと待ってくれ、と自分や周りの人たちに心の中でエクスキューズをしていた。
 
 長い時間をかけて精神疾患をようやく寛解くらいにまで持ち込めた頃、ちょうどこっぴどくふられたというタイミングも相まって私は本格的にダイエットに取り組んだ。ボクシングジム通いは長続きしなかったけれど、朝晩一時間近くジョギングをしてみたり、糖質制限とプロテイン摂取を並行し、パーソナルジムに通ってみたりもした。
 そうするとえらいもので確実に体重は減少し、身体が締まっていくのが実感できた。全く入らなかった昔のパンツ類も、まだまだキツいものもあったが、それでも一通り何とかウエストを留めることができるレベルにまでシェイプアップした。嬉しくて以前なら選ばなかったであろうシルエットのボトムスなどを買ったりもした。
 
 ところが私の持病は寛解と増悪を繰り返す性質を持っていて、波打ち際の水がさあっと引いていくように、自分の中のエネルギーも血の気と共にどこかにいなくなってしまう。そうなると私は動けなくなって、運動どころか日常を生きることに精一杯になり、食べることに対する制限をかけられなくなり、簡単にリバウンドしてしまう。もうここ何年も元気になってはダイエットし、うつに嵌まってはリバウンドの繰り返しで結果的にそこそこの肥満状態をキープしてしまっているのが現状だ。
 
 そんなわけで寛解状態にある今の私は友人たちとの湖水浴を前に、日々自室でダンベルトレーニング腹筋背筋腕立て伏せに励んでいる。どう考えたってあと一週間でどうなるものでもないのだけれど、一緒に行く大好きなNくんや仲間たちみんなは、私が本格的な肥満体になってから知り合った友人たちなので、すっきりしていたころの私を知らない。だからこそ渡に備えていつまでもぶくぶくしている私でなく、南の空を目指して空を華麗に渡る本来の私を見せたい。
 
 湖水浴に行く計画を立てながら、そんな戯れ言を最も気の置けない悪友Kと話してると、Kはこんな風に言った。
「岸田(私)そういうことよく言うよね。でもうちら結構付き合い長いけど、俺はお前のやせてる姿とか見たことないから。昔の姿がどうあれ、遠慮なしに遊びとか飲みに行ける、目の前の今の岸田が俺にとってのお前やで。」
 
 「ああ、……うん。」
 
 自分の思う「本来の私」が、実は虚像であったことを正面切って突き付けられて、私はいたくショックを受けてしまった。だが同時に、悪友からの思いがけないあたたかい言葉を受けてありがとうと言いそびれた私は、思春期の男子生徒みたいに照れて俯いてしまった。

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