体を動かしたくなる本は、うつの時にも読めました。

聞くこと、話すこと。

たとえば「走れるようになりたい」のなら、とりあえず走ってみればいい。「料理が作れるようになりたい」のなら取り組みやすいレシピから選んで作ってみたらいい。「試してみる」といったシンプルな行いにしてしまえば、「うまく」「ちゃんと」の出番はなくなってくる。

はじめに から引用

今回「うつでも読める本」というマガジンを作ってみよう。と思ったきっかけの本です。

著者の尹雄大さんは、インタビュアー。聞くことのプロ。職業柄、「どうすれば話をうまく聞けるようになりますか?」と聞かれることが多いようです。

その一つの答えが冒頭に書いてあって。それが、うつの時の自分の体に染み込みました。


うつの時は、自分は「ちゃんと」しないといけない。「しっかり」しないといけない。のにできない。という気分に打ちのめされます。今までちゃんとできていたのに、なんで、急にちゃんとできなくなってしまったのか?原因はなんなのか?自分が悪いのか?病気が悪いのか?色々な思考だけが、ぐるぐる回ります。

一方で、躁の時。全くそんなことはないんです。自分がちゃんとしているかなんて気にも留めない。ただひたすらやっている。失敗しても、「まあそりゃあそうだよね。」とあっさりしています。

躁の時に「ちゃんと」している自覚は全く無い。のにもかかわらず、一度うつになってしまうと、その時のことを「ちゃんと」していたと強烈に思い込んでしまう。いつものことです。もはや何度目のサイクルか忘れてしまいましたが、今回もそうでした。

1週間くらいしんどい時期は続きましたが、この本と出会い、冒頭の文章を目で捉えた後、何かがほどけていく感じがした。そして、音読してみました。自分にしか聞こえないくらいの小さな声で。そうすると、より体が楽になりました。

この本には、少し難解な表現が出てきます。言葉自体はそうでもないんですけど、その組み合わせというか。順番というか。意味は知っているんだけど自分の身体にない言葉が出てくることが頻繁にあります。

その度に、声に出す。すると、なぜか理解できる感じがする。頭で理解するというよりも、身体で理解する感じがある。寝込んでいた身体を起こして、姿勢を正して、自分なりのいい声を発し、耳で聞くと、もっと体が楽になる。

わかりにくいから読めないのではなく、自分の読解力が落ちているから読めないのでもない。ただ、体を使っていなかったから読めなかったのかもしれない。身体感覚が伴うような本であれば、読めるのかもしれない。と、そんな予感がした本でした。


当初予定していた通り、1000文字で書くと決めていたので、ここで終えます。今はもっと書きたいなと思っています。書けたらまた書きますね。

私の記事を読むより、書店で「はじめに」を見たらよくわかるし、楽になったら嬉しいので、是非そちらへどうぞ。

以上、アイダでした。

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