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5. 表現はすべてサイン、願いに気づいてほしい意識の表れ。癖に意識を研ぎ澄ませると、習慣や言動の共通点が視えてくる。

弱さを強さに変え、慈悲喜捨を育み、自分の力で願いを叶えてあげて。

人の振り見て我が振り直し、自らの弱さを見つめ、超克する他ない。にもかかわらず、同じ状況を目の当たりにしてもなお、他者への期待を募らせ、他者に原因を求め、叶わない状況にまた憂う。幾重にも悩みを口にするものの、適切解や適切な助けを借りて模索する様子もなく、諦めか疲労か無知ゆえか、本気で状況を改善したいようには伺えない祖母と母の様子に、怒りが膨らんでいた。私が抱いていた嫌悪感は、彼女たちが満たされない気持ちに埋まっているつらい状態やそれを見聞きし続けていたことでの苦しみよりも、本質的に“彼女たちが、ご自身のために、真の願いを叶えてあげようとする姿勢、在り方”のなさへの疑いから生じていたのかもしれない。

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「いつかこの人が気づいてくれるかもしれない、、などと淡い期待は余所に置いておこうよお!」「見たいものを見たいように見る。聞きたいものを聞きたいように聞く。自分に都合のよろしいように。そうする癖を自覚して、辞めて、まずは、己の認知の歪みをただ観てみようよお!」「自らの弱さを強さに変えて、適切な人の助けを手にすることも含めて、自らを救う力で、真の願いを叶えてあげてほしい!」「諦めたくなっても、自分のことだけは信じてあげて!鬱屈を撒き散らすのではなく、建設的な解決策を模索してほしい!」このような想いが届かない状況への無念さも怒りの火花になっていたのであろう。母には風貌も雰囲気も似ていると幼少期からよく言われてきたのだが、「ママのように(嘆いてばかりの人に)はなりたくない!私はママとは違う!」と心の中でボソボソと唱えはじめていたのはその頃からかもしれない。

十人十色、70億人70億色の人生がある。双子であろうとも全くおなじ人生を歩むわけではない。表でどれほど華々しくみえても裏でどれほど苦に塗れているか、他人には知る由もない。そもそも一切行苦であり、生きているだけで苦しいのである。泣きながら生まれ、感謝や無念さで涙で頬を濡らしながら死を迎えるのもその所以なのかもしれない。苦しみだらけの世の中で、真に苦しみから抜け出したいのであれば、内なる心を観察し続け、内なる理を体感する他ない。「なぜ、わたしだけこんなめに、、」と惨めさや哀しみを嘆く瞬間が必要であればその思いを受け止めてあげるのも慈愛ではあるが、いつしか己の願いだけが叶うことへの執着となれば、苦しみが増えるだけである。内を観て、まわりを敬愛し、慈悲喜捨をもって、諸行無常、諸法無我を体感する他ないのである。

「なぜ、おじいちゃんもおばあちゃんも毎日おなじ状況を繰り返すのだろう。」からはじまった私の問いかけ。おかげ様で、幼少期に然るべき反面教師たちに出逢えたことで、物事をありのままに観る“観察力”や人の傷み・痛みに気づき“寄り添う力”、反骨精神を育むことができ、整理整頓や要領よく手際よく細部にまで心を配った家事をすることが得意となったので、祖母や母には誰より感謝している。自他の両方に対して、希望を抱けども、一切に期待をしない。然るべく時に然るべく事が起こると確信し、安らかに待つ。過去や未来に切望したり憂いたりすることなく、今、この瞬間のみに集中する。これまでの人生、特に社会人時代に、逆境という名の次なるチャプターへの扉に、幾度となく出逢わせてもらえた。今、これほどに心が澄み切る境地に在れるのも、巡り逢えたすべての人あってのことである。深い敬愛と感謝を胸に、これから一層、精進していく次第。

ところで。家族の中での私の役割は、主に、調停役や聞き役(寄り添い役)、力の強き者から弱きを守る役であった。祖父母間のときもあれば、両親と妹の間、叔父と妹の間、父と母の間など対象は様々。毎晩、地震や災害を想定し、妹や母をどうやって逃がすかをシュミレーションしてから、眠りについていた中高時代。20歳の誕生日を迎えた時に「ああ、お役目卒業だね」とおもった時に、肩に乗っていたであろう重みをはじめて自覚し、息を呑んだ。思いもしない緊張があったんだね。ひとつひとつ、在ったものから解き放たれているんだね。11年前の自分自身に改めておめでとう、お疲れさま。

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好きの共通点や身近な人の癖がサインだ。意識を研ぎ澄ませてみて。

中学二年のとき、怪我をした母の妹家族に手を差し伸べるため祖父母が一ヶ月ほど家を空けるまでは、胸の苦しい状況が続いていた。心にすっかりと空洞ができ、凶暴性を増していたのであろう。幼少期からの多感な時期までの日常に在った不協和音が原因で心が荒んでいたことを、これほどに大きな怒りがあったことを、33歳を迎える二ヶ月前にようやく認識した。観察力や寄り添う力を育み、他者に対してはその得意技を発揮できてきたものの、自分自身の傷んだ心を真っ直ぐに観てあげることはむずかしかった。先天的に高感受性(HSP- Highly Sensitive Person)であり、またその程度が強い私は、あらゆることを敏感に感じやすく、それゆえに心にかかる鉛の蓋が重たくなりやすかった状態も、長らく井の中から出られなかった理由かもしれないね。

小学生時の想い出を回視すると、私なりの必死な抵抗や願いがいくつもあったのが視えてきた。たとえば、よく遊びに行かせてもらっていたお友達のお家には共通して、“大切にしたい状態、願い”のサインがあった。静かで、ほっとする、いつまででもいたいなと思える空間。習い事のない日に、彼らのお家でのんびりと過ごすことが本当にうれしかったのであろう。うっすらとしか記憶にないが、階段に貼ってあった家族の顔と特徴を描いた絵には、それぞれに改善してほしい性格をサインとして載せていた。

ようやく、心のかさぶたが消え去る瞬間を迎え、冷静に客観的に心の声を聴くことができている。ずっと自分がなぜこんなにも苦しいのかわからなかった分、今はもっと知りたい。ずしっと重たくて濁っていてざわざわしたその黒い塊を溶解し、ようやく解き放ってあげられていることを、心からよろこびにおもう。祖母や母が、今世の内に、ご自身の内にある滞りを浄化してさしあげられることを、願いながら。

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不協和音の旋律により生じていた歪み、心の癖。劣等感や噛み癖など。

心身を一掃して浄化しきるためにも、自分の心に素直に誠実に在りたい。心にあった癖をすべて挙げてみようとおもう。身近な人の言動の癖に意識を研ぎ澄ませると、忘れていた自分の癖や習慣、言動の共通点が視えてきた。

他者に対する怒りを感じる瞬間はほとんどない私が、とある母の癖においては、異常なまでに沸点が低く、反応的になる癖に意識を向けてみた。無意識に無邪気に悪気なく、本意にも不本意にも、おもったことをおもったままに口にし、それによる影響に対する配慮や考慮がない母の癖。癖そのものやその背景にある彼女の弱さに対して、違和感や怒りを感じていた。これまで記してきた内容は、祖母や母が他者に関して発していた言葉を聴いていての苦しみだったが、それ以上に、私にとってまともに毒となっていた苦しみは、母から母自身に対しての言葉であったと気がついた。「自分を傷つける、蔑ろにするのはやめようよお!」というのが心の叫びだったに違いない。

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ひとつめ、劣等感。中学時代から大学に入る前後まで、私は顔に対する自己評価が低かった気がしている。両親にはかわいいかわいいで育ててもらった自負はあり、おかげ様で、自己肯定感は強いもののね。というのも、瓜二つなほどに似ている母は、あいにく、両親や姉弟、親戚などから、かわいいとは言ってもらえず、なんならかわいくないと言われて育ったようで、事あるごとにその旨を悲しげに口にしていた。それゆえか、母は自身の顔への自己評価が低く、今でも受け止めていない傷があるようで、目などいくつかの部位においてより大きな状態を切望する癖がある。また、容姿や身体に関して、自分のことも他者のことも言及する癖がある。誠に可哀想である。そういえば、兄や妹も以前は、容姿に関して言及する癖が強かった。大なり小なり母の影響があったのは確かであろう。

母が自己否定する様子を間近で見聞きし続けていたことで、私にも当てはまる言葉として無意識下で捉えていたのかもしれない。父と一緒に近所の床屋さんで刈ってもらうショートカットが何年も続くほどに、容姿を気にかける様子がなかったボーイッシュな小学生の私たち姉妹。もしも、ある日から、私もかわいくないのかな? と疑問を抱きはじめたらどう感じていたであろう。そんな矢先に、他者評価を目の当たりにする機会があるとどう感じていたであろう。百貨店の販売員のお姉さんたちに、基本的に「僕」と声をかけられるなどね。可哀想に。不安や絶望、悲しみ、疑い深さ、遠慮がち、不安定、憂鬱、防衛的になっていたかもしれない。悪気ない言葉が凶器となり、傷口が広がるばかりであったはずであろう。

明白に憶えているのは、当時、笑い話としてこの「僕」の話を、自ら繰り返し口にしていたこと。(両親ではない)他者から「そんなことないよ、かわいいよ。」と否定してもらえるのを待っていたのかもしれない。“自分への信頼(自信)”たる願いを叶えたかったに違いない。顔面への懸念を払拭したい思いが背中押しとなり、人から愛されるようにと、礼儀正しさや愛嬌による愛おしさを無意識に懸命に育んでいたのかもしれない。リトル愛華の健気で愛おしいことよ。おなじように、母は、三人姉妹の中でも礼儀正しさや愛嬌の良さがずば抜けて高い。「(自分では認められない何かを、他者から、母の場合、親から)認めてもらいたい」という願いの表れであったのかもしれないね。もの寂しげな幼い愛華をぎゅーって抱っこしながら「うんうん。そんなことないよ、かわいいよって言ってもらいたかったんだね。大丈夫だよ、すんごいかわいいよ。愛おしいよ。」「うんうん。当時のママも、当時の私も見てほしかったよね。十分に認めてほしかったよね。安心したかったよね。」「ママが自分を傷つけて蔑ろにしている姿は見ていてつらかったよね。ぱぱかだれかに、ままを助けてもらいたかったよね。こっちにおいでえ、一緒に安心しようねえ。」とお伝えしてあげたい。

すべてはつながっている、点と点が線でつながり円を描くように。真っ白いキャンバスにパズルを当てはめていくかのように。明確な劣等感を感じはじめた時期ははっきりしていない。が、学校や二つの習い事で、お人形さんのような愛らしさと華、一際目立つ技量を備えた同級生がいて、彼女たちの前だけはオーラに圧倒されるのか、珍しく気後れしていた記憶がある。今、おもうと、可愛い人に惹かれる、憧れや執着が強かった。小学生の中・高学年時代、大好きな桃太郎電鉄の他に唯ひとつハマっていた、ゲッターラブというゲームが物語っている。ときめきメモリアルのような恋愛シュミレーションゲームで、かわいい女の子に好きになってもらうという内容である。それほど可愛い女の子に惹かれていたのね。心の内を見つめていけば見えてくるね。心が透明になることを願って。

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家族といえど、異なる性質を持った存在であると認識し、評価せず受け止めてほしい。

ふたつめ、歯磨きを嫌う癖。今度は、父の癖が影響した話である。寒い地域出身特有の寡黙さを有する父は、自らの思いを積極的には語らない人であると、私は感じていた。父の両親にあたる厳格な祖父も細やかなことに気がつくかわいらしい祖母も、多くは語らずとも黙々と頷きながらにこやかに話しかける雰囲気であったように記憶している。そのような家庭環境で育った父は、「伝えなくても伝わる」成功体験が多かったゆえなのか、寄り添いながらも告げる側の立場に就くことが多いゆえなのか、多くを伝えなくとも伝わるであろうと心の奥深くで願っているゆえなのか、必要以上に話さない・言わないのかもしれない。聴いてほしさで、ひたすらに正語や正語ではない言葉を話し続ける母に対して、「口は災いの元だ」とよく口にしていた父を思い出す。職業柄上、患者さんに寄り添い聴く側となる機会が多いことや、多忙で家にいないことが多く、心身の休息もままならず疲労が蓄積されている中で、話す気力が潤沢にないことも関係しているのかもしれない。もしくは、自己完結する傾向が強いゆえに、伝える必要性を感じず、相談や対話という行いがピンとこないのかもしれない。

父の思いや感情を知りたい寄り添いたいと願う母が、父からの相談や対話がないことで、淋しそうにしていた。繰り返し耳にするのが、兄がおなかの中にいた頃に、母に一切の相談なく突然仕事を辞めた話。母の中には、驚きや動揺の深層には、深い哀しみがあったに違いない。彼が自ら選択することを厭っているわけでは一切なく、応援しているがゆえに、相談したいとおもってもらえていない気持ちの状態が切ないのであろう。もしかすると、すぐに自分の話をしたくなる母の聴く力が備わっていなかったことも、父が話しにくかった無意識下の理由のひとつであったのかもしれない。『七夕に 二人でかけよう 愛の橋』と母が書いた俳句を部屋に飾っているのだが、二人がすこしずつそうなっていくことを願って。

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さて。父が自分のことを話してくれた印象は濃くないが、私たちのことを称賛してもらった印象も薄い。「できる、努力してできるようになる」が前提の努力家で懸命に励むのが当たり前と捉えているゆえか、できていないことに目が向きがちで、どちらかというと指摘や命令口調の方が多いように見受けた。金銭的には標準的な家庭で、贅沢することなく育った父は、やってみてわからないことがあれば、自ら本を購入し適切な人に確認し、できるように努力してきた人であろう。できないことが本当になかったのかもしれない、できない理由が本当にわからないのかもしれない、できる前提でしか生きてこなかったのかもしれない、好きの差はあれど苦手不得手がないのかもしれない、なぜ工夫しないんだろうできるようにしないんだろうと根っこでおもっているかもしれない。父自身に悪気も自覚もないであろう。

長らくの間、母も兄も、父に認めてもらえない満たされなさを感じていた。特に兄は「お父さんに認めてもらえない。お父さんを越えたい。」と口にしていたほどである。玄関先に「おかえりなさい〜♡ ぱぱと結婚する〜♡」と母と争ってお出迎えするほどには父が大好きであったし、私は愛を注いでもらっていたように受け取っている。が、もしかすると、具体的に関心を向けてもらっているようには感じていなかったのかもしれないし、それをなぜだろうとすこしは気に留めていたかもしれない。

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その父が、当時の私に唯一伝えてくれることがあった。「毎日歯磨きをしなさい」「朝ごはんを食べなさい」「お母さんにきつい言葉を使わないように!」の三つである。自分自身がが正しいと確信したことや納得したことを重んじ行動してきた私は、明確な理由なく指摘や命令、評価を受けると、たとえそれが小さなことや簡単なことであっても、「なぜそれが必要なの? なぜそう思うの?」と素朴に疑問を抱いては、相手を理解し、自分が納得するためにも問いかけていた。

幼少期から今も、偉いも未熟も年齢は関係ないと捉えている私にとって、「親が言うことが絶対だ」や「おとうさんがそう言っているからではだめなのか?(愛華は納得できないのか?)」という言葉が本当に意味不明であった。親の言うことが絶対だという風に育ってきたのであろう父にとっては、なぜ娘がわからないのかがわからず困惑していたに違いない。「わからへんから聞いてるんやん!」とわかってもらえない苦しみから、幼い愛華が両親ににらみつけるように必死に訴えていた光景がまぶたに浮かぶ。数年前の私は、父が理由なく伝える度に、「ぱぱがそうおもう理由を教えてほしい。家族といえど異なる生きものだから、伝えてくれないとわからない。反発しているのではなく、シンプルにぱぱの思いを理解したいから確認させてもらっているよ。」と、すこしは心が熟してきてことでやさしく投げかけるようになっていた。今は、より適切な方法で、相手が言うことをオウム返ししながら聴くことを軸に、相手の願い、特に安心安全を願う気持ちに寄り添うようになっている。

このような背景で、納得のいかない指摘を受けることを尋常に嫌っていた。歯を磨くはそのひとつ。自分史で唯一、卑怯な嘘をついていたと認識している。父に「今日は歯を磨いたか」と問われると、適当に答えるようになった。ある日、嘘に気がついた父に「歯ブラシが濡れていないよ」と切り返されると、その日から歯ブラシを水でさっと濡らすようになった。「歯磨き粉の匂いがしないよ」のさらなるツッコミがあったかどうかは忘れたし、このやり取りがいつ終わったかはわからないが、実は、最近まで歯磨きへのやる気を失い続けていたほどに影響が大きかった。

背中を震わせながら反抗して自分の意志を訴えている幼い愛華に対して、両手いっぱいに手を広げて、抱きしめて頭をなでなでしながら、「よしよし。うんうん。もっと知ってほしかったよね。ぱぱの思いや考えを知りたかったよね。頭ごなしに言われるの嫌だったよね。指摘するよりも、よくがんばったねって言ってほしかったよね。ままのこともお兄ちゃんのことも私のことも認めてほしかったよね。家族みんなでのあたたかさやつながりを感じたかったよね。肩を寄せるように、そこに居るんだよって感じてほしかったよね。ぱぱの存在が近くにある安心を感じたかったよね。」とお伝えしてあげたい。可笑しいね、愛おしいね。

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親の在り方や心の癖、何気ない言動が、こどもに与える影響。

みっつめ、盗み癖と噛み癖。人はあまりに受け入れ難いことがあったとき、自己防衛によって記憶をなくすため、思い出すまでに相当に時間を要した。小学三、四年生の頃、両親のお財布から幾ばくかをくすねたり、おともだちのお家でおもちゃの一部品や大きなお店でポケモンカードを盗む癖があったり、母のか細い腕を思いっきり噛んでいた癖を思い出した。両親にこっぴどく叱りを受け、一緒に謝りに行き、すぐに辞めた記憶がある。なぜそのような癖がついてしまったのであろうか。情緒が安定していなかったゆえの衝動であったのであろう。調べてみると、すべて納得がいった。

子供の盗み癖は単に親の関心を引きたいだけでなく、両親の不和や家庭内のトラブル、親の対応、共働きなどが原因で寂しさや情緒不安を募らせてしまい、やむにやまれぬ心の抑圧が引き起こしているケースもあります。特に盗み癖は「優秀で真面目な子」と学校の先生の評価が高い子供や、「手が掛からない子」と親が思っていたけれど、内心親に不満を持っている子供に見られることが多いです。子供の盗み癖がなかなか改善されない場合には、子供や親のカウンセリングなどを通して、子供の家庭環境もあわせて改善していくことが必要になります。

相手には、困惑やとまどい、疑い、孤立、憂鬱、憤慨、不愉快な気持ちを、彼らの胸に生むきっかけをつくってしまい、本当に申し訳無いことをした。ちいさな両手でしっかりと耳を塞いでいる幼い愛華には、と対話し、緊張を解し、胸の鼓動が聴こえるほど整った気持ちを感じ、心の内に微笑みを向けながら、合掌をしていたい。「喧騒が嫌だったよね。和を求めていたよね。おばあちゃんとおじいちゃんが一緒に微笑んでいる姿を見たかったよね。静かで穏やかなあたたかい空間に居たかったよね。おばあちゃんやママが晴れ晴れ、いきいき、励まされたり誇らしくいてほしかったよね。」

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以上、親の在り方が、何気ない言動が、こどもにどれほど影響するかの一例をご覧いただけたことであろう。私たちひとりひとりが、どれほどやわらかいスポンジのような心をもっている人間であるかを再認識してほしい。評価や疑い、期待を交えず、あるがままにその存在を受け止め、認め、慈しみ、労い、赦し、愛してあげてほしい。共感してあげてほしい。素直に、謙虚に、繊細に、丁寧に、誠実に。

今既に、祖父母である人、親である人、これから親になる人にとって、すこしでも意識しもらえるきっかけとなれば、倖いである。残念ながら、過去こども時代に被害者であった人が受けた傷を癒やさぬままに親となり、親にされたこととおなじことをこどもに繰り返したり別の形で加害者となり、こどもが被害者となる流れは、程度に差はあれど、多くの家庭で生じているであろう。傷が化膿しているの場合、ドメスティック・バイオレンスと化してしまう。化膿した人が複数人の場合、DVの程度が強く、親子共々相当に苦しいであろう。両者に適切なケアが必要である。ご自身の苦しい過去に、その傷に、その当時の姿に、できるかぎり寄り添い、自己共感してあげてほしい。心が透明になっていく感覚を感じられる日が必ず訪れると信じて。忍耐強く励んでほしい。どのような親子例があるのか興味がある方は、曽根富美子さんのマンガ作品を手始めに読まれることをおすすめする。

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表現はすべて自分自身へのサイン。願いに気づいてほしい意識の表れ。

まわりの人がおなじような言葉を繰り返しているのを耳にする機会があるであろう。それは、本人が無意識下でその言葉が表すなにかにおいて満たされない願いがある表れである。というのも、人が表現しているあらゆる言動はすべて、心の奥にある願いの表れである、と私は捉えている。本人が認識していようとしていまいと、無意識下では気になっているがゆえに、表現という名のサインを出し、自分自身に気づいてほしい、願いを叶えてほしいと伝えているのである。特に、繰り返し言及しているのであれば、耳を澄ませてあげることで解き放たれるきっかけとなるかもしれない。言葉を言葉でとらえて、しつこいなーうるさいなーまたかいなー、とおもうことは簡単ではあるが、それよりも、「あなたの言葉の奥にある願いはなんだろうね」と一緒に問いかけてみてあげてほしい。あなたにとっても、相手にとっても、繰り返し聞かされてきた苦痛が歓喜に変わるであろう。

また、心の傷みを、満たされない思いを、放置すればするほど増長する。まるで、川が沼や泥などによって滞り、終いには悪臭を放つように。「あの人、癖強いなあ」とおもった対象の人は、まさに深い傷を長らく放置していることによって苦しんでいる人なのであろう。だから、忌み嫌うのではなく、その人の代わりに赦しを請うてあげてほしい。どのような川であっても、手を尽くせば、清浄化できる。だからこそ、私は自分や他者に手を差し伸べられるように、観察し(observe)、問いかけ(ask)、聴いて(listen)、寄り添う(compassion)を繰り返すことに集中し続けてきた。 そして、これが自分と他者にできる最善の奉仕であり、私の天命だと認識している。

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容姿に関して繰り返し口にする母は、自分の母親や自分自身から、かわいいかわいいと本心で言ってもらいたい、受け止めてもらいたい願いが幼少期からあるのであろう。その願いを叶えたい思いはあれど、本点における過去の成功体験の少なさや自己肯定感の低さが遮るゆえか、思いとはちぐはぐに自分の部位を否定したり、他者の部位に関して言及したりと、サインを出し続けているものの、向き合えず目を逸らし続けているのである。過去に誰かから、特に大切な人から否定・非難されたことを受け止めるのは、簡単ではない。人それぞれに然るべく時が訪れるのを待ちながら、心の準備を整えていく他ない。私を含め、まわりの人ができることは、本人すらも気がついていないサインに意識を向け、「こないだも言ってたね。どうしたかな? この点に関して気になっていそうだね。よかったら、話を聴こうか? I am here for you. いつでもあなたのよろしいときに。」と寄り添うことだけである。自分自身に対しても他者に対しても、そのように手を差し伸べてあげられる人が増えることを心から願って。

コラム:HSP(Highly Sensitive Person)

直近の数年で存在を知った HSP は、 DOES という四つの定義で表される。日本語訳すると、D:深く処理する、O:過剰に刺激を受けやすい、E:全体的に感情の反応が強く、特に共感力が高い、S:ささいな刺激を察知する、である。

D is for Depth of Processing 
O is for Overstimulation
E is for Emotional Reactivity
S is for Sensing the Subtle

見た目には表れず、本人以外からはわかりにくい先天的な特性ゆえ、気がつかない人もいるとおもう。ただ、もしも、まわりの人が気づいたなら、当人に向けた言動ではなくとも、近くにいる人間の一人として言動には一層に意識を向けてほしい。誰にとってもしあわせではない、不必要な傷を生むきっかけを与え合わない社会となることを願って。正語を話すことで、ひとりひとりの心が清らかになっていくことを願って。

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お気持ちを添えていただけたこと心よりうれしく想います。あなたの胸に想いが響いていたら幸いです。