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当たり前のことができなくなった私は辞める勇気を持たないといけない

「これからどうしていこうと思っている?」


私が最近言われたこと。ずっと考えて悩んでいるのにあっさりと答えを求めてくる。その言葉にうんざりしてしまった。こうなったのは誰のせいでもない、私が弱かったから仕事ができなくなってしまった。朝起きて、制服に着替えて持ち場に入り、与えられた仕事をして終わったら帰る。人が当たり前にすることが出来なくなってしまった私には難しい質問。どれだけ寝ても回復する事のない重い体をおこして、おなかが空いたら食事をし、最低限の家事をするそれだけで疲労困憊になる。こんな私に任せられる仕事はない。


生きていくうえで仕事はそんなに重要じゃないかもしれない。選ばなければできるものはいくらでもある。無理だと思ったら辞めて、自分にあった仕事を探せばいい。でも私には仕事しか誇れるものがなかった、だから少々納得いかないことがあってもやっていくしかなかった。自分の考えに嘘をついて生きていたからこころが不安定になったのだろう。そんなに器用ではなかった。好きなことを仕事にすると理想と現実のギャップに葛藤し自由に動けなくなる。いっそのこと嫌いなことを仕事にすればよかった、現実はこんなもんだとあきらめられたのに。




決断する勇気

なかなか手放せない性分で一人暮らしの時は捨てられない物であふれかえっていた。ゴミ屋敷寸前の光景はきたないと思いつつも服とか、本とか、バックとか増えていくたびにいろんなものを持てる生活になったのだと居心地のいい場所にもなった。ずっと着ていない服も、読んでない本もいつかは使う日があるのだからと部屋の隅において二度と手に取ることはないのに。もうずっと前から答えは出ていた。行動できないことを言い訳にあと1か月、あと3か月、気づけばもう一年。不満はあっても期間が長くなれば長くなるほどどうにか我慢すればやっていけるんじゃないかと考え始める。慣れた環境が手放せなくなり、正しい判断に鈍感になっていく。変わりたいという願いはありつつも、決断する意気地がない。ずるい考え方だ、そのおかげで心と体のバランスがとれなくなった。もういいんじゃない、それは逃げでしょとか甘えでしょとか、もう少し頑張ったら楽になるとかいわれても。ほかの人にどう思われても将来のことは自分で決めたほうがいいに決まっている。周りの目を気にして毎日をくりかえすほど消耗することはない。すぐに承諾してはもらえないかもしれないけどもう前のように働くことはできないのだから。「辞めます」と答えよう。

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