私は"誰か"にはなれないし、誰かも"私"にはなれない。
今日も遅くなってしまった。終業時間を超えて18時過ぎに仕事が終わった。時間内終業を目標にしている師長には「あいかもさん、帰れる?」と毎日のように言われる。それがまたプレッシャーになり記録に集中できない、そしてもっと遅くなるという悪循環。
終わりごろになると、頭がぐちゃぐちゃになり整理したくてもできない。私の仕事は1に記録、2に記録と文章の連続である。自分が1日行った看護、患者さんの状態をみんなに伝わりやすいように文章として表現しないといけない。
それはこのNOTEでも重なる。
誰かに自分の思いをまっすぐに伝えるのは本当に難しい。それも、ザワザワしている中、集中できない環境で書かないといけない。かなり難易度の高い技術なんだ。今日の受け持ち患者さんの病室に行き生活上のお世話や思いに触れる。自分が見たもの、考えたことを文字にするには本当に時間が足りない。それでもほかの同僚はいつの間にか記録を終えている。私がナースステーションに戻るとすでに座って記録をしていた。
どうしてそんなに早くできるのだろうか?
自分はまだまだ仕事が残っているのに・・・。
あの人みたいに早く仕事ができるようになりたい。この人みたいにできる人になりたい。他人は良く見えてしまう程、自己肯定感が低い自分。
どうしたらあの人みたいになれるのだろうか。
いつの間にかずれた方向に意識がいってしまう。
私は何を求めているんだろう。仕事をしているとたくさんの人と出会う。その誰もが違う人だし、性格も違う。強みも違うもの。
私は自分以外の誰かになろうとしていた。そんなことできないのに。
自分は自分だ。仕事が遅いのも、常に全力投球してしまうのも。違う性格の誰かになんてなれないんだ。仕事の早いあの人も実は私が良く見えているのかもしれない。そう、みんな同じような悩みは持っているもの。自分の嫌な部分とか、誰かを羨む気持ちとか抱えている。私は自分の事しか考えられず、アリジゴクの中に足を掬われているだけ。自分の中を見ようともせず外側の華やかな所をウジウジと指をくわえてみているに過ぎない。
年をとっても、私は私を好きになれない。そういうのがゆがんだ感情を作り上げる。
「私なんか」「私だって」
言い訳しかできない大人になってしまった。
いつも僻んでいた、いつも拗ねていた。みんなの輪の中心にいるあの子を。
いつも話題に出てくるあの人を。つまらない子供でつまらない大人だった。
みんな模索している、”自分は必要な人間なんだろうか”と。必要じゃないと誰かに言われたらドミノの様に自分が崩れてしまいそう。それでも必要な存在になろうと必死で生きている。
他の誰かになんてなれない、私はどこまでいっても私でしかない。
良いところも、悪いところも丸ごと受け止めて俯瞰して見ないと本当の自分には出会えない。
私は本当の”自分”にまだ出会っていないのかもしれない。
本当の”自分”に出会えた時、心と体が強く結ばれて、前を向けていける気がする。
本当の”自分”
今はどこにいるんだろう。
私のところにやってこい。
最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!