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#4)「誰が言うか」の「誰が」になる


大切なお話

中学校の先生には、「学級担任」「教科担任」「部活動顧問」など、直接多くの生徒にかかわる場面があります。
ですから生徒に対してそれぞれの立場から「大切なお話」をすることがあると思うんです。
この時に私が心がけていることが一つあります。
それは「生徒にとって大切なお話」「先生にとってこれが大切なはずなんだというお話」という異なる主語の言葉を一致させるということです。

中学生はよく見ている

中学生は先生をよく見ています。そして例えば、面白い人、厳しい人、優しい人、熱い人、かっこいい人、頼れる人、意味が分からない人…などなど、各自が好き勝手に先生をキャラ付けします。

したがって生徒目線に立ってみれば「大切なお話」をされても、受け取り方は、生徒それぞれです。
もっといえば、部活顧問が担任だった場合など、立場によっても捉え方が変わりがちです。

生徒に「大切なお話」と受け取ってもらうには

私は、2つの方法があると思っています。今回は、⑴について書きます。

⑴生徒から見た先生像の意識を変える
⑵生徒が聞きたくなる「話し方」を身につける

与えるものは与えられる

与えるものは与えられる

私が生徒によく使う「大切なお話」の1つです。
これは、若いころに比田井和孝さんの「あなたの人生が変わる奇跡の授業」という本を読んだときに、とてもしっくりきた言葉です。
簡単に言うと、
自分が誰かにしたプラスの行いは、巡り巡っていつか自分に還ってくる
という法則です。
これを私は、
自分に何もしてくれないと不平不満をいう前に、自分は他の誰かに何か
 を与えているかを振り返り、行動しよう

他人にマイナスの行いをすれば、いつか自分に還ってくる
という風にも解釈し、生徒に「大切なお話」として伝えています。

朝のルーティンワーク

さて、私が「与えるものは与えられる」を生徒に伝えるとして、日頃から私自身が生徒に対して尊大な態度をとっていたり、教務室でも自分優先で、他の先生方の提案にケチをつけるばかりの教員だとしたらどうなるでしょうか…。そういうところから見透かされ、生徒は(先生も)、私の言うことを信じようとしないでしょう。

だから、まず私自身が「与えるものは与えられる」のマインドセットをもつ必要があると思っています。

朝のルーティンワークとして、私は基本的に一番に出勤するようにしていました。これは初任者の頃からずっとです。(朝の家庭のごみ集めとごみ出しはちゃんとやってから家を出てました(^^♪))
学校で最初にやることは、教務室のブラインドや窓を開け、お湯を沸かし、共有のPCを立ち上げ、簡単な清掃をすることでした。これから出勤する先生がスッと自分の仕事を始めたり、朝のコーヒーを飲んだりできたら無意識に快適でしょうし。

これは「皆のためにやっている」とは思えないくらいの小さな行いです。
ですが持続可能な行いであり、何より私が勝手に「ふふん、俺、良いことしてるぜ」とセルフイメージを高めるためには最適でした。

マインドセット

「何を言うのではなく誰が言うのか」という言葉をよく聞きます。
では、「誰が」になるためにはどうすればいいのか。

私なりの答えが「マインドセット」です。
私は「与えるものは与えられる」という法則を生徒に伝えたかった。だから朝の(小さな)ルーティンワークを続けることで「マインドセット」を確立したわけです。

同様に考えると、
自分が伝えたい「大切な話」に必要なマインドセットを確立するためには、自分が「大切な話」にかかわるルーティーンワークを探して続ければよい、ということです。
小さな行いでよいのです。

気が付いた時には、先生のセルフイメージが高まり、時には生徒にもエピソードトークの1つとして話せます(あまり言いすぎると逆効果ですが…)。「誰が言うか」の「誰が」に自分がなっちゃうわけです。
結果として、「生徒にとって大切なお話」「先生にとってこれが大切なはずなんだというお話」一致していきます。

さて、

「自分の仕事ではない」こととして割り切る考えは、ワークライフバランスの考えからも、今の時代悪いことではありません。寧ろ推奨します。
ただ、自分が教務室でそれを前面に出しておきながら、授業等では、生徒に「作業が終わったら他の人の手伝いをしなさい!」と言っても伝わらない気がします。怒って大きな声を出せば生徒はやるかも知れませんが、その真意が伝わったかと言われれば、それは難しい気がします。だからその先生は、本当の意味での「誰が」にはなっていないのかもしれませんね。
よく見聞きしません?「それ、前にも言っただろ!」という指導。

だって、中学生はよく見ていますから。

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