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関東大震災がなければ愛鶏園は無かった!? 映像記録を観て。

関東大震災が起きなかったら愛鶏園は存在しなかっただろう。

創業者齋藤虎松は100年前の1923年9月1日、丁稚をしていた東京の金物問屋で被災した。運良く死ななかったものの、復興に尽力しその疲労が祟り、当時不治の病であった結核に罹ってしまった。横浜の田舎に出戻り、感染対策として隔離され寝るだけのどん底の闘病生活の中、1925年5月5日養鶏をはじめている。つまり、あの関東大震災の1年半後に、養鶏をスタートさせているのである。

虎松はどんな気持ちで、その混沌とした次代を生き、そして養鶏を始めたのか?私は、そのことについて、少しでも知りたいと思っていた。

数日前放映した関東大震災を振り返るNHKスペシャル『映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間』は、私にその機会を与えてくれた。NHKは100年前の映像記録を現代の技術で蘇らせた。映像はカラーとなり大震災の惨事をリアルにつたえてくれた。焼け野原になった東京、多くの死体、流言と殺人。財産をなくし途方に暮れる人々。

リアルな映像を観ながら、そこにいる虎松の気持ちを想像し怖くなった。

23歳の虎松は、被災したとき、金物問屋を復活させるために日夜働いたとき、結核に倒れたとき、横浜に隔離されているとき、どんな気持ちだったのだろう?そして鶏を始めたとき、どんな気持ちだったのだろう?

今回は映像を観ることで、少しだけ虎松の気持ちに近づけたと思う。
苦難の連続の中で、スタートしてくれたこの愛鶏園の事業を、これからもずっと大切にしたい。

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