齋藤拓/たまごの専門家

#たまご を通して大切な人を幸せにする仕事をしています。 もうすぐ100年 株式会社愛…

齋藤拓/たまごの専門家

#たまご を通して大切な人を幸せにする仕事をしています。 もうすぐ100年 株式会社愛鶏園 代表取締役社長 https://lit.link/aikeien1925

最近の記事

くしびきニワトリ事始め

愛鶏園にとって貴重な資料が見つかりました。 愛鶏園の2代目である齋藤富士雄が、創業の地である神奈川県から新天地を求めて埼玉県の深谷市に移住した経緯が手に取るようにわかります。齋藤富士雄が、櫛挽開拓50年の記念誌にその思いを投稿していたのです。 愛鶏園が深谷市にお世話になるきっかけがわかります。電子文書に記録として起こしました。 くしびきニワトリ事始め                 斎藤富士雄(愛鶏園・岡部町本北) 私はその日のことを忘れません。 昭和40年2月、そ

    • 入学式 祝辞

       新入生の皆さん、100年を超える歴史を持つ伝統校、本庄高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。今日から3年間の高校生活が始まりますね。勉強、部活動、学校行事、どんなことでも思いっきり挑戦し、楽しんでください。  さて、これから高校生活を始める皆さんに一つだけお伝えしたいことがあります。今皆さんが持っている『夢』を大切にしてください。今夢がないという人も必ずそれを持つときが来ます。そして、その夢を育て上げてください。途中で変更しても構いません。自分の夢を持つことをあき

      • 卒業式 祝辞

         本日卒業を迎えられる皆さん、ご卒業おめでとうございます。今、皆さんの心の中は、無事にこの日を迎えた達成感、先生や仲間と離れてしまう寂しさ、そして、これから始まる新しい生活への期待と不安が入り混じっているのではないでしょうか。  高校生活はどんな毎日だったでしょう?勉強や部活動に励み、友人や先輩、後輩と共に同じ目標を目指し、時に喜び、時に悲しみ、挫折感も味わったこともあったでしょう。高校生活で経験したことは、どんなことでも将来の自分にとって生きる糧となります。  皆さんは

        • 生でたべられる『たまご』への道のり。1にチェック、2にチェック、3,4がなくて、5にチェック。

          『このたまご、生で食べられるの?』をフェイスブックで公開したところ、とても多くの反響がありました。やはり、多くの人が関心を持っているのだと改めて気づきました。今回は、生で食べられる『たまご』を目指し、私たち愛鶏園が、取り組んできたことを少し話します。 その前に、たまごと食中毒との関係をもう一度復習します。  たまご由来の食中毒菌といえばやはりサルモネラ菌です。一部の種類のサルモネラ菌は、鶏に感染し、極まれに感染した鶏のたまごの中にサルモネラ菌が入り込みます。殻の外側に着い

        くしびきニワトリ事始め

          感謝を伝える夕食会  イタリアの友人

          古くからのイタリアの友人とその奥様を夕食会に招待しました。愛鶏園ファミリーで、たくさんの『感謝』を彼らに伝えたかったからです。愛鶏園のトレードマークである赤いブルゾンとタオルをプレゼントしました。 彼は私にとって特別でした。ただの良い設備を売るだけのサプライヤーではありません、私の人生の先生でした。彼は私に考え方を教えてくれました。世界水準の養鶏家は?世界に通用するビジネスマンは?会社を率いるリーダーは?そして、仕事だけでなく、良き父親は?そして、良き夫は? ヨーロッパや

          感謝を伝える夕食会  イタリアの友人

          このたまご、生で食べられるの??

          『このたまご生で食べられるの?』 初めて来店して頂いたお客様の8割が質問します。この質問を聞くたびに、如何に多くのお客様が、生たまごを食べたいと考えていて、そして、それと同時に食中毒を心配されているのだと、深く認識させられます。 生たまごを食べる文化は、日本の誇るべき文化です。ヨーロッパにも、アメリカにも、アジアにも、この食文化を持つ国は、ほとんどありません。どれだけ多くの日本人が生たまごや半熟たまごを食べて『幸せ』を感じているでしょうか。それを思う時、私達の仕事に大きな誇

          このたまご、生で食べられるの??

          東日本大震災の記憶と能登半島地震の被災地に対して私たちができること。

          毎日刻々と伝えられる能登半島の被災地の状況を見て胸が痛くなります。そして約13年前、東日本大震災で私たち愛鶏園も被災したことを思い出します。 震源地から遠かったものの、茨城県にある2つの農場が被害を受けました。不幸中の幸いで働く人は全員無事でしたが、ケージが倒壊し、20万羽の鶏を失いました。電気が来なかったため、自動給餌機や自動集卵機を使用できず、残った40万羽の鶏達に人海戦術でエサを与え、たまごを集卵しつづけました。機械は人間の数十倍の仕事をしますので、機械の代わりに人海

          東日本大震災の記憶と能登半島地震の被災地に対して私たちができること。

          愛鶏園 海外プレスツアー

           2023年11月8日9時半、茨城県主催の海外プレスツアー一行がわが社愛鶏園を訪問してくれました。12月に水戸市で行われるG7茨城水戸内務・安全担当大臣会合に向け、茨城県の魅力を海外にPRすることが目的だそうです。 一行は、愛鶏園の『たまご』を皮切りに、JAなめがたしおさいの『サツマイモ』、野村花火工業株式会社の『花火』、株式会社鈴木茂兵衛商店の『伝統工芸品提灯』、有限会社つくばチョウザメ産業の『キャビア』、そして大井川和彦茨城県知事を取材するとのことでした。  茨城県が『

          愛鶏園 海外プレスツアー

          愛鶏園×チーズはどこへ消えた?

           2023年10月2日の事業方針説明会に来年の4月に入社してくれる学生がオンラインで出席してくれました。愛鶏園の全社員と共にミッション、ビジョン、バリュー、今期の事業方針を共有できたことが何より嬉しかったです。愛鶏園を選んでくれた彼らに私たちは感謝をしています。  さて本題ですが、事業方針説明会の前に行った彼らの内定式の結びに、スペンサー・ジョンソン著『チーズはどこへ消えた?』を紹介しました。学生から社会人になる彼らが最初に読んだらいいと思う本として紹介をさせていただいたの

          愛鶏園×チーズはどこへ消えた?

          茨城県小美玉市への恩返し

           茨城県東茨城郡小川町(現在の小美玉市)に愛鶏園が農場を展開してから54年が経ちますから、茨城事業所は私と同い年となります。愛鶏園は新横浜が発祥地であるが、その後、神奈川県相模原市、埼玉県深谷市へ農場を展開していきました。そして、私が生まれた年に茨城に農場を展開しました。茨城の展開を中心に進めたのが私の叔父であり愛鶏園グループの第3代社長であった齋藤太洋でした。  新横浜、相模原市、深谷市、小美玉市に農場を展開した第2世代達は、私達第3代世代に、『関東取り囲み戦略』と自慢げ

          茨城県小美玉市への恩返し

          埼玉県深谷市への恩返し

           私の父であり愛鶏園グループの2代目の社長であった齋藤富士雄が、埼玉県深谷市櫛挽に家族を連れて移住して50数年が経ちました。私は1歳半だったのでもちろん記憶はありません。  その当時の昭和30年代後半、神奈川県相模原の養鶏団地はニューカッスル病という鶏の感染症が大発生し混乱のさなかにありました。若い養鶏家であった齋藤富士雄はニューフロンティアを求め、精力的に関東中を探し回りました。そして深谷市櫛挽に辿り着いたのです。  櫛挽地区は深谷市南西部の広大な平地で農業生産地域です

          埼玉県深谷市への恩返し

          愛鶏園チアー  私たちの応援歌!

          愛鶏園チアーは、みんなで創り上げた愛鶏園の応援歌です。 10月2日の事業方針オンライン説明会の最後に、参加者200人以上で歌い上げました。以前からあった愛鶏園チアーを今回は、リズムや掛け声を付け加え、更にグレードアップを行いました。1か月前から、多くの社員がオンラインで集まり、アイデアを出し合い、完成させてくれました。 今回も、忙しい仕事の合間でしたが、みんなで創り上げることにこだわりました。それは、愛鶏園チアーを数年前に創ったときの思いを貫きたかったからです。少し過去に

          愛鶏園チアー  私たちの応援歌!

          さらば、高床式開放鶏舎よ!

           今期は3つの農場を閉鎖し、9月末までに解体を終えた。ビルト&スクラップ。つまり、最新式の農場を建て、古くなった農場を解体するのだ。今回解体している農場は、私が入社した32年前には、最先端の農場として君臨していた。そして、私はこれらの農場で鶏の飼い方を一から学んだ。  今の最新式の鶏舎と比べ、換気はカーテンの開け閉めを手動で行わなければならなかった。1日中鶏舎内を歩き、少し暑ければカーテンを開けた、少し寒ければカーテンを閉めたのだ。いつも鶏の状態を把握し、判断し、カーテンを

          さらば、高床式開放鶏舎よ!

          愛鶏園の経営理念 ミッション・ビジョン・バリュー

           創業から98年4か月、会社設立から69年が経ちました。10月1日から新しい会計年度70期が始まりました。そして、今期から今まで使用していた経営理念をブラッシュアップした新しい経営理念を使用します。  17年前まで愛鶏園には明文化された企業理念はありませんでしたが、5代目の愛鶏園社長であり、私の先代の社長である齋藤大天が経営理念を制定しました。経営理念は創業者の言葉である『養鶏とは 働くこと辛抱すること鶏を愛することとみつけたり』の考え方をわかりやすく噛み砕いたものとしてつ

          愛鶏園の経営理念 ミッション・ビジョン・バリュー

          愛鶏園 感謝DAYS  ありがとう!

           2023年9月。計5日間『愛鶏園感謝DAYS』を開催しました。 社員と社員の『大切な人』である家族、パートナー、友達をご招待し、少し豪華でおいしい食事をゆっくり楽しむプレミアムな時間を提供させていただきました。埼玉県深谷市、茨城県水戸市、神奈川県新横浜にて、総勢約300人が出席をしてくれました。    愛鶏園のミッションは『たまごを通して大切な人を幸せにする』です。大切な人は誰でしょうか?会社の大切な人はお客様です。社長である私の大切な人は愛鶏園の社員です。社員の大切な

          愛鶏園 感謝DAYS  ありがとう!

          決算賞与を出させてくれて、ありがとう!!

          2023年9月15日に愛鶏園は決算賞与を出すことができました。 愛鶏園のミッションは『たまごを通して大切な人を幸せにすること』です。そして、私にとって『大切な人』である社員に賞与をだすことは本当に幸せなことです。 決算賞与を出せる状態に導いてくれたのは愛鶏園の全社員です。 鳥インフルエンザから鶏たちを守り抜いてくれました。コロナや人手不足により、必要人数が足りない現場をみんなで補い合ってくれました。このことにより、百年に一度の鶏卵不足の中でも、お客様への供給を全うするこ

          決算賞与を出させてくれて、ありがとう!!