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満州国、その「消えない記憶」の詩法
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」安西冬衛の、この詩を含む満州文学というカテゴリーがあることを、わたしは、川村湊や樋口覚の本を読むまで知らなかった。犬塚堯が、そこに属することはなかったが、同じ大陸からの引揚げ者である池田克己創設の「日本未来派」に犬塚の詩が特集され、詩壇の詩人たちに認知されることになるのも、なにかの因縁によるに違いなかった。
安西が満州に渡った五年後の大正十三年(一九二四
言葉の世界と実物の世界
大橋政人 詩集『反マトリョーシカ宣言』(思潮社)
「敬愛する」と自ら書くほど大橋は、まど・みちおに心酔しその詩法も近年益々接近している気がする。詩法のコアとなるのは〈言葉の世界と実物の世界〉の〈違いを見ずにはいられなかった〉不思議な世界を注視することであり、注視した後の自然の wonder を言葉に置換するムーブメントである。本書の随所に垣間みることができ、まどの世界をみている錯視感に筆者は何
ボールは地球、自身の似姿
田中淳一 詩集『生と死のあわいに迷子』(モノクローム・プロジェクト)
詩はときに書記主体の生きざまを描く。詩とひとの生死とが同一地平に共存する。だから、ひとが迷子になると詩も迷子になる。「一人称の表記は『僕』『ぼく』『私』が混在し」ているが、「タイトルの『迷子』が迷っている様が表現できていれば」と述べられている通り、まるで路上派詩人の朗読会かライブの趣があった。〈寒かった/コンクリートの上に横
母娘による壮絶な確執の旅
葉山美玖 詩集『春の箱庭』(空とぶキリン社)
前作の『約束』は内実と表現形式、それにレトリック三者のバランスが拮抗しており完成度も高かったが、本作では詩的虚飾が剥ぎ取られ、より生の感情が過去形で語られ精神史でも繙いている感覚に襲われた。とはいえ創作は虚実綯交ぜにするものだから、ことの真相を暴くものではないし、そこに軸足が置かれているわけでもない。いってみれば小説や絵本も上梓している葉山が、なぜ
散文脈により正統的欲望
裏路地ドクソ 詩集『ビューティフルワインド』
読みだした当初、70年代の尖鋭でラディカルな饒舌体による詩法で書かれた詩群のように感じた。しかし注意して眺めれば政治色は薄く、むしろ尾崎豊的な「愛と反逆のエコー」であり「韻を踏まないラップ」、「自身と他者に向けられたアジテーション」、「言葉の衣裳を纏ったソロダンス」などの評言で全体像を把握したいと思ったが、そのフレームをパンすれば若年の吟遊詩人であ
「音」を異なる情態で捉える
古根真知子 詩集『皿に盛る』(私家版)
横長見開きの詩作品を読むと、ページをめくることなく一篇が完結していて心地良い。余白の多さと言語空間の生活感が薄い形而上的な透明度と清楚感とが巧みにシンクロしているからでもある。冒頭作ではないけれど詩篇『音』はこんな詩だ。〈窓をあけると//雨の音が/はいってきた//地上におちた/ひとつぶひとつぶの/音//無数の/透明なつぶの/音//雨の音〉(詩篇『音』前半