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記憶のストックの話し

ふと、noteをはじめてみようと思いました。facebookでもTwitterでもインスタでもSNSは、それぞれを使い分ける時代だって誰かが言ってたので。どこにアウトプットするかの違いだけでアウトプットの総量は変わらないから。深く考えずにはじめてみようという考えです。

小学校の頃、ノートと鉛筆で「文字」を書く時に悩みがありました。
その悩みとは、下敷きを敷くと硬くてうまく文字が書けないということでした。逆に敷かない方が上手く書けるのだけど、そうなると困ったもんで、後ろ5ページくらいまで跡が付くほど筆圧が強かったのです。笑

でも、絵を描くのは大好きで、毎日毎日の罫線付きのノートに好きな漫画のキャラクターをただひたすらに描いていました。

モデルは
「パーマン1号」「パーマン2号(ブービー)」「パー子さん」「バードマン」「パーやん」

それから、「キン肉マン」「ロビンマスク」「テリーマン」「ラーメンマン」「ウォーズマン」「ブラックホール」「ミートくん」「サンシャイン」

それから、「大空翼」「岬太郎」「三杉淳」「日向小次郎」「若林源三」「若島津健」「滝兄弟」

それから、「上杉達也」「上杉和也」「パンチ」「新田明男」

はたまた、「ケンシロウ」「トキ」「ラオウ」「シン」「レイ」「ジャギ」「サウザー」「ハート」

この辺は30 数年経った今でも、全部書けるくらい強烈な「手続き記憶」として残っています。

長期記憶の中には、いわゆる身体に染み込んでいる「手続き記憶」(自転車の乗り方は忘れないなど)やエピソード記憶などに代表されるように、僕らはもともと記憶のストックに収めたものを日々小出しにしながら、昔のインプットを長い年月に渡り活用して生活していることが多い。

それとは反対に、大人になってから「知識」として得たものは、その知識が必要な時にはアウトプットし活用しているが、その知識が必要な時期が過ぎ、あまり必要ではなくなると「えーっと、えーっと、なんだったっけなー。。。」と、不要な記憶として自然淘汰されていくように思います。記憶のAuto Delete機能みたいなものなのかもしれません。10代〜20代の頃、僕にはギターを血が出るほど弾いていた頃があり、好きなミュージシャンの記事が載っていると本屋に走って「Rock'in on」や「Cross Beat」という音楽誌をひたすら読み込んでいました。雑誌の中のインタビュー記事などに出てくる「好きなミュージシャンが“影響を受けたミュージシャン”」を音楽的ルーツとして追っかけて、今度はCD屋さんに走る。そうすると、それによって音楽家系図みたいなものが描けてくる。それらの「血の繋がりのあるバンド」のメンバーの名前など、すべて覚えていました。ギターのコードは自然に今でも押さえられるのに、こうゆうのは“一つ外の層”にある記憶のようで、今ストックを探してもなかなか見つからず、案外染み込んでいなかったりするのです。昔は全部言えたのになぁ。。。など。

そう考えると、インプットの仕方によっては記憶とか原風景とかって、永久保存版で一生モノだったりするんですよね。例えば、幼児期の0〜6歳を人格形成期と言うのだけれど、よく「三つ子の魂百まで」とも言われますよね。これは日本に限ったことわざではなく、英語でも「As the boy, so the man」(こどものころと同じように、そのまま大人になる)と言います。当たり前な話ですが、どんな国、どんな環境でも人間の子どもは、同じように人間の子どもなんですよね。そう考えてみればいかにこの人格形成期の記憶や肌感覚が有益なのかはわかります。そこで、ふと思ったのだけど「寝返りを打つ」「立つ」「ものを掴む」「歩く」「走る」とかも手続き記憶と言えるのかな?? 一度覚えたら忘れない。これについては、わからないので、調べておきます。

でも、きっと人間ってそうやって薄い記憶の座布団をひたすら重ねて重ねて自分で自分を高めていくのです。保育園で子どもたちを観察していると感じます。幼児教育では、子どもが自分自身で自分を高めていく能力を「自己教育力」と言いますが、子どもってカラっカラに乾いたスポンジのように一瞬にしてあらゆるものを吸収していくスピードが圧倒的で凄まじいのです。

何が言いたいのかって

人間は生まれながらにして超ハイスペックな生命体で、多くの先行研究によってわかってきた、精神的な“見えない障がい”や“脳に収める記憶の棚番”が少しずつではあるものの、明らかになってきているからこそ、僕らは一番近い「自分」という人体を研究対象にして、一人称で色んな“ほぼ日研究”をしたら面白いはずだ。

僕がヒューマンサービスである「福祉事業」をしているから特にそうゆう興味にかられるのか、それとも、もともと人が好きだからか、介護の中での認知症も、保育の中での自閉症や発達凸凹も、その他ほとんどの知的好奇心は「人」に向かっているわけだから。対象が「人」だから面白いのだと思うのです。僕が昔から好きな考え方の角度は「その時人はどう動くか」です。声かけ一つで変わる行動心理学。これは、接客業などを深掘りして面白がれる人は身につくスキルだと僕は思っています。これについてもまたそのうち詳しく書いてみたいと思います。

さて、ちなみにですが、いまこれを書いている僕は、焦燥感に駆られています。それはなぜか?
実は、他に進めなければならない仕事よりもこれを優先してこの文章をパチパチと打ち走らせてしまっているからなのです。笑 
こうゆう衝動的なコミット感は小さい頃からある特性だと思います。その特性が「時間が守れない」ことに繋がっていることは頭では理解していますが、気づけば興味の矛先が「今すべきこと」より、「今したいこと」に引っ張られてしまうのです。だからとりあえず、今日はここでおわります。笑

ということで、これからnoteを書いてみよう。

木下清一郎『心の起源』、記憶から、時間・空間、論理、感情が導き出される 参照

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